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三章

三章



 それから……半年が過ぎた。

 ノゾミとわたしが友達になってから。

 ――わたしたちは、今はしっかりと生きている。ノゾミは、この半年の間……かなり強くなった。わたしから見ても、生きることに自信がついているのがよく分かる。

 ノゾミは、特に勉強ができるようになったわけでもなく、かといって運動能力が上がったわけでもない……。それでも、今のノゾミは、半年前とはまるで別人のようだ。

 ノゾミの両親は、離婚をせずに……今では、家族三人で仲良く暮らしている。

 ノゾミが言うには、「私がお父さんとお母さんを怒鳴りちらして説得したんだよ!」……とのことだけれども……。

 後でノゾミの家に通うようになった時、ノゾミのお母さんにこっそりと教えてもらった。

 所謂、泣き落としだったと。それと、元々、ノゾミのご両親はノゾミのことを思い、そして口論していただけで、離婚だなんて話はなく……確かに喧嘩はしたけれども、それも今ではいい思い出だとか……そんな話をしてくれた。

 後で聞くからこそ笑い話だけど、当時そのせいでノゾミが大変なことになっていたんですよ――と、そう言うのはやめておいた。

 結局、それが原因でわたしはノゾミと出会って、友達になれたのだから……。だから、プラスマイナスゼロでいいか、と。わたしはそれで納得することにした。


「ミッコトー!」

 ……今日も元気に、ノゾミはわたしの家にやってくる。

「はーやーくー! 電車の時間、遅れちゃうよー!」

 ……少し、元気すぎるくらいだ。

「わかってるから、ちょっとは大人しく待ってなさいっ!」

 そんなノゾミとずっと一緒にいたわたしも……自分では気付かないけれど、実際はかなり変わっているはずだと思う。

 何しろ……ノゾミと友達になってから、夏休みを経過し……夏休みが明けた時――クラスメイトに驚かれたくらいだ。

 そんな中で、自分でも明らかに変わったと思うことは……命の砂時計に関することだ。

 今のわたしは、砂時計を完全に受け入れている。受け入れて、その上で精一杯生き、死にそうな命を心配できるようになった。

 それは、半年前のわたしからは、本当に考えられもしないようなことだ。だから、わたしもノゾミと同じように……この半年、強くなった。

 今では……机に置いてある砂時計にも、触れるようになっていた。

 これは――そんな、ある日のこと。


「ミコト、今週の土曜日、図書館行こう!」

 ノゾミのそんな何気ない提案から、全てははじまったのだ。


そんなわけで、その土曜日が今日。約束の時間より三十分も早くわたしの家に訪れたノゾミのせいで、わたしは今大慌てで出かける支度をさせられていた。

 

「……図書館?」

「そう! 図書館っ!」

「――何でまた、図書館なんて行きたいの……?」

 わたしがそう聞くと、ノゾミはもうこれ以上ないくらい――顔の横に文字で書いてしまいたいほど、にっこりとした表情で、わたしに一枚のパンフレットを差し出してきた。

「ふっふっふ……じゃーん! どう、ミコト!」

 そして、そのパンフレットをつんつんと指差しながら、わたしの顔をじーっと見つめてくる。


 パンフレット――それに書いてある内容はこうだ。

 丁度一ヶ月くらい前に公演終了になった話題の映画が、なんとその日……午前と午後にそれぞれ一回ずつ、図書館シアターホールで特別公演となるとのこと。

 映画のタイトルをみて……わたしはノゾミの態度に納得する。

「あぁ、これ……ノゾミがすっごい見たがってた映画だね」

「うんうん! そーなんだよね! だからミコト、行こう!」

 けれど……丁度その映画が公開されていた期間……わたしに陸上の大会があって、大会前の猛練習で、一緒に行ける暇がなかったのだ。

 ちなみにノゾミは何の部活をしているかと言うと……名前も存在も知らなかったような文化部――カルタ部とかいうところに所属している。

 ノゾミが言うには、活動内容は秘密とのこと。……でも、ノゾミがその部活へ行っている場面を、わたしは一回も見たことがないんだけれど。

 ……まあ、それは置いておくとして――とにかく、そういうわけで、わたしたちはその映画を見逃してしまったわけだ。

 ノゾミは一人で映画に行くこともできたはずだろうけど……「ミコトが頑張っている時に私だけ一人で映画だなんて、できない」とのことで、結局ノゾミはその映画を見なかったのだ。

 だから、これは思わぬチャンスだったというわけだ。

「うん、いいよ。それじゃあ、土曜日の九時半に、わたしの家でいいかな?」

「よしよし、オッケーオッケー! じゃあ、九時半に行くからね!」


そして……現在。土曜日、時刻――九時十分。


 やっと支度を終えたわたしの手を取ると、ノゾミは凄い勢いでわたしを引っ張り……図書館までの道のりを進んでいった。


「――いっ……いってきまーす!」

 わたしがそういった声は、おじいちゃん、おばあちゃんには、多分聞こえなかったんじゃないかな……。


ガタゴト――ガタゴト――


「……で、ノゾミ?」

「なに?」

 図書館へ向かうための電車……それも九時二十七分発の電車に乗ったところで、わたしはノゾミを問い詰めることにした。

「わたしは、九時半にうちに来てって言ったよね……?」

「そうだね」

 わたしの問いに、ケロっとした表情で答えるノゾミ。

「それで、今は九時何分かな……?」

「えーと……今丁度二十八分になったところだねー」

「明らかに……早いよね?」

「……そうだねぇ」


「……」

「楽しみだねー」

「……そうだね」


――ガタゴト――ガタゴト――

 

 図書館、到着。時間はまだ、十時になったばかり……映画の公演開始が十時四十五分からだから――まだまだ、十分すぎる程に……時間がある。

 ……ありすぎる。

 しかし、折角こんな早い時間に着たんだ。せめて好きな席に座る権利くらいは使わなくては……。

 わたしはそう思って、図書館の周囲を忙しそうにぐるぐる駆け回るノゾミを捕まえ、ずるずる、ずるずると、シアターホールまで引っ張っていく。


「……うわ」

「――ありゃ」


 シアターホールへ入ったわたしとノゾミは、入った瞬間同時にそう言った。

 こんなに時間に余裕があるというのに……ホール内の席は、既におよそ三分の一程度が埋まっていた。


「この映画、そんなに人気なんだ……」

 わたしがぽつりと呟くと、ノゾミはにっこりと笑顔を浮かべて。

「いやー、早く来てよかったね」

 と、ブイサインをつけて言うのだった。

 ……。


 それから、適当に見やすい席に腰掛けて開演するまでの時間を待っていると……。

「ミコトミコト、これ、知ってた?」

隣で映画のパンフレットをじっと読んでいたノゾミが、急にそういってわたしの肩をたたいてきた。

「……何を?」

 そう聞き返すと、ノゾミは何故か得意げな表情をつくり。

「この映画って、原作者が私たちと同い年の子らしいよ!」

 と、嬉しそうにいってくる。――けど。

「ああ、知ってるよ。前に話題になってたよね。……天才女子高生小説家がどーのこーのって――」

「――なんだー、知ってたのかー」

「……わたしが知ってたら残念なの?」

「いや、そういうわけではないんだけど……それにしても、すごいよねー。プロの小説家って」

「……まあ、そうだね」

 実際、わたしはその人の小説を読んだことはないけれど……それでも、映画の原作に選ばれるということは――それなりに凄いことなんだろう。

「ペンネームは……光だって。これ、なんて読むんだろう?」

「んー……ヒカリじゃないの? 女子高生小説家なんだから、多分女の子の名前で読むんだよ」

「あー、さすがミコト。頭いいね」

「それ程でも」


 そんなことを話していると、いつの間にか時間は流れて……シアターホールは、すぐに満員となった。

 そして、十時四十五分……公演開始。


「……」

「……うわぁ」

「……」

「わああ」

「……」

「おおおー!」

「――ノゾミ、うるさい……」

「ぉぉぉぉぉー!」

「……」


――ガタゴト――ガタゴト――


「いやぁー! 面白かったねー!」

 映画が終わり……帰りの電車の中で、ノゾミは大満足した様子でそういった。

 映画の内容は、学生同士の友情、そして恋を巡ったストーリーだった。

 ……これだけだとありがちなストーリーのように感じてしまうけれど、その演出の仕方が中々面白かった。

 一番面白いと思ったのは、主人公の設定。

 主人公の少女は、不思議な能力を持っているという設定。……それは、自分の命を分け与えることができる能力。

 物語の中で、主人公の少女はその能力を使い、少しずつ友達や……好きな人に、命を渡していく。

 そうしていくうちに……いつしか、主人公の少女は、自分の命を使い切ってしまう。

 多くの人を愛しすぎたために、誰も見捨てることができなかったために、主人公の少女は死んでしまう。

 しかし、そこで奇跡が起こるのだ。

 主人公によって助けられてきた多くの人たちの思いが、死ぬはずだった主人公の命を救う。

 命を返したわけではないのに、主人公は生き返る。正に奇跡だ。

 そして、生き返った主人公は……命を与える能力を失っている。

 今度の命では……自分の命を、自分のために……友情、恋を、全力で……能力に頼らない、自分の本当の命で生きるのだ……と、まあそんな感じのストーリーだ。

「うん、確かに面白かったね」

 面白い発想……よくこんな物語を、わたしと同い年の子が作り上げたものだ――と、確かにわたしは感心した。

 ……でも、何だろう。何か、ひっかかるんだ。

「あのラストシーンなんて、本当に最高だったよねー! 私もう、涙がとまんなかったよー」

 ……ラストシーン。あのラストシーン……。んー。

 ――ああ、それだ。わたしがひっかかっていたのは。


「んー……ノゾミには悪いけど、わたしはちょっと、あのラストは納得できなかったよ」

「え? 何で? どこが納得できなかったの?」

 わたしの言葉に、ぽかんとした表情を作るノゾミ。

「……わたし、あのラスト――主人公の子は、死なないといけないと思うんだよね」

「えー?」

ノゾミの顔には、もうハッキリとわかるくらい、ハテナの文字が書かれている。

「だって、死なないとおかしいでしょ。自分の命を皆あげちゃったんだから」

「違うってミコト。それで助かるから、奇跡なんでしょー? そんな優しい子だったから、神様が命をくれたんだよー」

「奇跡ねー……。それじゃあ、結局主人公が皆に分け与えた命って、何だったの……? その子の命の重さって、そんなものなのかな」

「……ほぁー……まーたミコトは、難しいこと考えてるねー……」

「んー……要するにさ、何か、物凄く命に対する扱いが、軽い気がするんだ」

「そうだった?」

「主人公の子、能力を使うときに、自分が死ぬんだってこと、殆ど考えてないように見えなかった?」

「あー……それは確かにそうだったねぇ」

「でしょ? だから……わたしにとっては、この主人公の子……ばかにしか見えないんだよね。何も考えないで命を全部あげちゃって……それで死ぬのって……実は優しくもなんともないと思う」

「……うーん……ミコトが言うと、何だか妙に説得力がある気がするなぁー……」

「だから、主人公がラストで死ぬのって……自業自得じゃないって、わたしは思うわけね。……そういう意味で、わたしはこのラストが納得いかないな。そんな子に、何で奇跡が起きて……生き返っちゃうのか――ちょっとわたしには理解できないからね」

 と、ここまで一気に喋ると、ノゾミは目をまんまるくさせる。そして、その後で……

「ミコトすごーい! 何か、評論家みたいだよ!」

 と、パチパチと手を叩きながら言ってくる。

「いや……まあ、それでもこのストーリーはよくできてるなって思うよ。映画として時間内に話をまとめるって意味では、しっかりと後味もよく終わってるし……」

「おぉー、ミコト益々評論家っぽくてかっこいいー!」

「あー……もうっ……。ノゾミ、あんまり茶化さないでよー……」

「いやいや、私茶化してるんじゃなくて、本当に感心してるんだけど……」



「……私も、今のあなたの話、すごく興味あるな」


――と、その時だった。


 わたしとノゾミ以外の声が、突然会話に入ってきたのは。


「――っ! うわ、びっくりしたー!」

突然の声に、文字通りビクンと飛び跳ねるノゾミ。

「……?」

 わたしの分もノゾミが驚いてくれたおかげで、わたしはそれ程驚くこともなく……声のした方を向く。

 ――するとそこには……わたしたちと同い年くらいの女の子が、腕を組みながら立っていた。

 その女の子は制服姿……それも、わたしたちが通っている高校の制服を着ていた。

「……誰? ミコトの知り合い?」

 心臓の辺りに手を当てながら、小声で聞いてくるノゾミ。

「――いや、知らない子」

 わたしも小声でそう返す、

 すると、制服の女の子はにっこりと笑い、口を開く。


「あー、驚かせちゃってごめんね。実は私、さっき……今あなた達が話してた映画見てたんだ。それでね、なんか二人で興味深いような話してたから……ちょっと気になっちゃって。だからさ、もしよかったら、今してた話、私にももう一回してくれないかな!」

「私たちがしてた話って、ラストシーンのこと?」

 ノゾミが聞くと、女の子はうんうんと頷く。

「そうそう、その話。実は私も、あのシーンちょっと気になってたんだ」

 ――ふぅん……やっぱり、わたし以外にもあのシーンが気になった人がいたんだ……。

「……話すのはいいんだけど……わたし、そこまで大したことは言ってないよ?」

 わたしが聞くと、女の子は笑いながら。

「いいからいいから。私、あの映画について誰かと話したかったんだー」

「――まあ、そういうことなら……」


 というわけで、それから――わたしたちとその女の子は、暫く映画について話を交わした。


――ガタゴト、ガタゴト――


 そうしている間に、すぐに電車が駅に到着する。


「わたしたち、ここの駅だから」

「じゃあねー」


「うん、色々話せて嬉しかった! じゃあ……またねーミコトさん、ノゾミさん!」


駅に着いたところで、わたしたちと女の子は、手を振って別れた。

駅のホームから女の子を見送りながら……わたしは、ぎゅっと手を握り締めた。

……握り締めた手は、少し冷たく。

「ミコト……何か、あの子が来てから少し様子変だったけど――大丈夫?」

「え――? わたし、何か変だった?」

 と、ノゾミに返しながら、ああ――ノゾミは鋭いなと、わたしは思った。

「んー……変というか、ちょっと落ち着きないように見えたから、気になっただけ」

「……なんでもないよ、大丈夫」

 大丈夫。何でもない。

 言葉ではそう言ったけれど、わたしの頭は今、確かに軽く混乱していた。


 ――砂時計によって。

 

さっきのあの子……あの女の子は。

――あと一年後に、死ぬ……!


いつ、どんな時にでもわたしに命を見せる砂時計が……今会ったばかりの子の死を予言した。

そして、わたしはある予感を感じていた。


その死が……何かを引き起こしそうな――そんな漠然とした予感を。



「何か、ちょっと変な子だったよねー」


 女の子と別れてから、わたしとノゾミはわたしの家に戻り……部屋の中で一息ついたところで、ノゾミがそういってきた。

「……電車で会った子?」

「うんうん。……私たちと同じ制服着てたってことは、もしかして同級生なのかな?」

「んー……年上のようにも見えなかったし、同級生かもしれないね」

 そう言うと、ノゾミは少し黙り込んで……その後、ずいっとわたしに顔を近づけてきた。

「……よし、きめたよミコト」

「何を……?」

「明日、学校であの子探そう!」

「……は?」

 突然何を言い出すんだ。目でそう訴えると……。

「ミコト風に言うと――何か、感じるんだよね」

「わたし風って……わたしいつもそんなこと言ってないでしょ」

「――まあそれは置いておいて。……あの子、何だか妙にひっかかるんだよ。何か秘密の匂いがするというか……!」

「あー……秘密の匂いね。――そういう表現はノゾミらしいよ」

「……私、いつもはそんなこと言ってないでしょ」

 ……。

「――まあ、それは置いておいて。どういうこと? ノゾミ」

 わたしはそう聞きながら、内心かなり驚いていた。ノゾミが、わたしと同じように……あの子に対して何かを感じていたということに。

 そして、明日あの子を探してみようと、わたしが言う前に言ってきたことに。


「……んー、勘! ――でも、なんとなく面白そうな子だったし……探して損はしないんじゃないかな」

「あはは、勘か。……まあ、いいよ。探してみようか」


 ――本当に、ノゾミらしい。行動するのに、細かい理屈を求めない。感覚で行動できる。

 これをノゾミに言うと、ノゾミは「ばかにするなー! 私は動物じゃないぞー!」と言ってくるけれど。実は、わたしにとってはノゾミのそういうところが羨ましいんだよな。


「そういえば、ミコト……あの子の名前聞いた?」

「いや、聞いてないよ」

 と、ノゾミは顎に手を当て、何か考えているような様子。そして、ぱっと思いついたように顔を上げると、口を開く。

「そうだよ。……私たち、あの子に名前聞いてないけど、教えてもいないよ。……なのにあの子、私たちの名前知ってたよ! 最後、別れるときに、私たちの名前言ったよね!」

 まるで、何か世紀の大発見でもしたかのような表情のノゾミ。

「――普通に、わたしたちがお互いに名前呼び合ってたでしょ」

「――あ、そうか」


「とりあえず、明日他のクラスを回ってみればいいんじゃないかな? 一年生だとしたら、すぐ見つかるはずだよ」

「んー、じゃあそうしよっか」

 ……というわけで、わたしとノゾミは、明日……学校で、あの女の子を探すことになった。



 そして、その日の夜。

 ベッドで横になりながら……わたしは考えていた。

 あの映画のこと……そして、女の子のことを。


 わたしから見て、映画の主人公はばかだった。自分の命をあんなに簡単に他人へ渡してしまうのは、自分の命の重さが分かっていないからだ。死ぬってことを知らないから……。

 ――でも、あの主人公は……最後の最後まで、一回も……死にたくないとか、助けてとか……そういうことを言わなかったんだ。

 それは、何でだろう。映画の公演時間上、あのシーンで余計な台詞は入れられなかった……? でも、何かひっかかるんだ。

 そもそも、あの映画の目的は何だ。

 命を分け与えて死んだ主人公が、最後に皆の願いで奇跡が起こり、蘇る……これは、何がいいたいんだろう。

 ……命の大切さを謳っているようには見えないし……かといって、人にいいことをすれば、それがいつかは必ず報われるよ――とかいった格言的なことを言っているとも思えない。

 

 ……ああ、そうだ。

 命の価値って何……? そうだ、これを言いたいんだ。

 この映画の本当の狙いは、多分そこにある。一般的に……表面から見ただけでは、自己犠牲と、友情、愛情の美しさだとか、奇跡だとか、所謂お涙頂戴と言っているような作品にも見える。

 ……ノゾミも、そう感じて感動していたわけだし。

 けれど、本当のメッセージは、もっと裏側に……まるでわざと隠しているかのように、潜んでいる。

 奇跡の演出が、上手い具合に視聴者の感情を動かしているんだ。

 ……けれど、それは何で?

 何でそのメッセージを隠す必要があるのだろう。……そうだ。わたしが思った通りに、あの主人公がラストシーンで死ねば……命の価値について訴えかけるメッセージは隠れないはずだ。

命を分け与えて、本当によかったのだろうか……。結局、自業自得だったのではないのか。

何で、自分が死ぬまで命を使い切ってしまったのか……。結局、主人公の命って、何だったのか。……あの能力は、何のためにあったのか……?

と、そこまで考えてから、わたしはひらめいた。


……ん? もしかして――これはそういうことなのだろうか。

つまり、作者自体が……その答えを持っていなかったんだ。だから、隠した。映画としてメッセージを伝える時に、作者にも答えが分かりませんではメッセージ性が薄れる。だから。

隠した――消さなかったってことは、答えを持っていないけれど、知りたがっているんだ。

作者は……作品の中で、主人公を通して、探していたんだ。命の価値って、何なのか。

そして、それに気付いた人だけに……考えてほしかった。命の価値について。作者と一緒に。


――大した天才だ。


わたしは、そう思った。

 これが同い年の子なのかと思うと、全く感心してしまう。


 ……まあ、それが真実かどうかは、わたしに確かめる術はないけれども。もしかしたら、ただ単にわたしが深読みしすぎているだけなのかもしれないし。

 光……ヒカリか。

 一体、どんな子なんだろうか……。


 

 ――そして、今日会った女の子。

 今から一年後に死ぬ……そんな様子は全く感じられなかったけれど、砂時計がそう示している限り、間違いなくあの女の子は死ぬのだ。

わたしたちと同い年なのに、あの子はあと一年しか生きられない。

 ……わたしは、今では砂時計を受け入れている。

 人は必ず死ぬ。けれど、人は必ず生きるのだと、そう思っている。

 人は死ぬまで生きつづける。だから、わたしは死ぬまで生き抜くのだと。生きている間は、人間として生き続けるのだ。

 そしてわたし以外の人も、同じように生きている。生きているってことは、まだ死んでないってことだ。

 だから、死ぬまで……砂が落ちきって、その人がこの世界から消えるまで、わたしはその命を見続けていられる。

 死は悲しいけれど、そう感じるってことは、生きているってことだから。生きている人間だってことだから。

 わたしは、そう考えている。

 砂時計を見て、わたしは時に喜び、そして悲しむ。そうすることができるくらい、わたしは強くなったのだ。

 

 だから、わたしはあの女の子が気になっている。

「残り一年……か」

 ぽつりと、そう呟く。

 わたしと同じように、あのラストシーンが気になっていたという女の子……。もしかしたら、あの子も気付いているんだろうか。映画のメッセージに。

「命の……価値――か」

 そして、それをあの子はどう感じ、どう考えるんだろう。

そんなことを思いながら、わたし自身も……命の価値について、考えてみる。

 例えば、あと一年で死んでしまうあの女の子の命と……まだまだこれから先、何十年も生きるノゾミの命。

 ――二つの命は、どちらが価値のある命なのだろう……?

 ……。なるほど、これは――。

 わかりっこない。

 そもそも、命に価値があっていいのだろうか? 命は誰にだって平等……生きている人間だれもが持っている、唯一世界中の生き物に共通するものだ。

 そんな命の価値……。

「――寝よう」

 やめた。わたしの性格上、そういうことを考え出すときりがない。それで、いつも次の日ノゾミに怒られるんだ。

「ミコオぉー! また夜更かししたでしょ! しっかり寝ないとダメでしょー! 顔見れば、すぐにわかるんだからね!」

 ……まったく、本当に鋭いんだから。

 ――ノゾミだったら、命の価値って……どう考えるんだろうな。


 最後にそう思ってから、目を閉じる。

 ――命の価値……。

 価値……か。

……。


次の日。


「ミコトー! また夜更かししたでしょー!」

「……」


 ――さて、気を取り直して……。

その日。

 わたしとノゾミは、学校に着いてから昨日の女の子を探していた。

 

 女の子は制服を着ていたから、服装を含めた外見上の特徴は頭の中に完璧に入っている……私服になると、全くイメージが変わる子もいるからね。

 朝のホームルームが終わると、わたしたちは学年のクラスを……A組から順番に――わたしたちの学校は、J組……合計十クラスまである――探していく。

 ……しかし。


「いないねー……あの子」

 そうやって、休み時間になる度に他のクラスを覗きにいっていたわたしちだったけれど……とうとう、放課後になっても、あの女の子を見つけることはできなかった。

「今日……休みだったのかもしれないね」

 わたしはため息をつきながらそう言うと、

「……昨日あんなに元気だったんだから、風邪ってことは絶対にないはずだよね」

 ノゾミはそういって、ぐてーっと項垂れる。

「それじゃあ……他に何かの理由で休みだったんだよ」

「――明日。明日もう一回探してみよう」

 がばっと起き上がったノゾミは、そういってからまたぐてーっと項垂れる。


「――なんだか、ノゾミやけにあの子に拘ってるよね?」

 わたしが聞くと、ノゾミはちらっと顔をこちらに向けて

「……どこかの誰かさんが、あの子に会いたそうな顔してるからね」

 ――はは、これは敵わない。

「……ありがと、ノゾミ」


 

また明日、探してみよう。

 というわけで、わたしは部活へ……ノゾミは「ちょっと気になることがあるから」と言って、どこかへ向かっていった。


 ちなみに、いつもはノゾミもわたしと一緒に部活についてきて、わたしが部活をやっている間に、それをずっと見ている……ばかりではなく、最近は陸上部のマネージャーのような存在にもなっていた。

 ……自分の部活はいいのかと偶に聞きたくなるけれど、まあカルタ部なら大丈夫だろう……と、わたしはなんとなくそう思っている。


 そんなノゾミがわたしのところへやってきたのは、部活動が終わり、帰る支度をしている時だった。

「ミコト、わかったよ!」

 何やら興奮しているような様子で、ノゾミはわたしの手を取り……すごい勢いで、わたしは引っ張られていった。


 連れてこられたのは、学校の図書室。

「わかったって……何が?」

 わたしが聞くと、ノゾミはにっこりと笑い……

「聞いて驚かないでよ、ミコト……っ! あの子の正体がわかったんだよ!」

「――へ?」

「だから、あの子の正体!」

「……クラスと名前ってこと?」

 一体何を言い出したんだか……そう思っていると。

「違う違う! それ以上のことっ! これ見て」

 と、そういってノゾミは、一冊の本を取り出し、わたしの前に置く。

 その本は――。

「ノゾミ、これって……」


「……ね? びっくりしたでしょ?」


 その本は、昨日の映画の原作となった、小説……。

 それが、どうしてびっくりすることなのか……。ノゾミに聞こうとしたところで、わたしはノゾミの言おうとしていることに気がついた。


「……まさか、そんなこと――」

「いやー、私も気付いたときにビックリしたよ。だって、まさか同じ学校にいるだなんて――」


 作者、ヒカリは――。


 ……小説のカバー裏には、作者の女の子……昨日出会った女の子が、微笑んでいる写真が印刷されていた。

 著者近影と、そう書かれた下に。


「あの子が……作者の光――ヒカリだったの……?」

「どうも、そうだったみたいだね……。この映画が話題になってた時って、天才女子高生がーってフレーズはよくでてきてたけど、実際その子がどんな子なのかって――そういう話題殆どでてなかったもんね」

 ……確かにノゾミの言う通りだ。

 話題になったのは、女子高生であり、光というペンネームであるということだけ……。

 どこの学校で、どんな子なのか……そのことは、殆ど話題にされていなかった……。恐らく、学校側か……光が、本人を話題に出すことを拒否した……?

 つまり、実際この本を手にとって読んでいなければ、作者の光がこの学校に通っていることなんて……絶対に気がつかないのだ。

「ミコト、実はそれだけじゃないよ」

 と、ノゾミは更に……今度は雑誌を取り出して、その中の一ページを開く。

「これって……」

 その雑誌は、所謂文芸雑誌であり、ノゾミが開いたページは、光の特集ページだった。

 その中で、ノゾミは一箇所の場所を指差している。

「――どう?」

 そこは、光の小説が原作となった……昨日の映画作品に対するインタビューだった。

 記者――あの作品のラストシーンについて、何かコメントをお願いします。

 光 ――あのラストですが……実は少し気になっています。あのラストは、私の中ではIFの世界なんですよね。

 記者――それは、どういうことでしょうか?

 光 ――話の中で、そうだったらいいなって。そう思って作ったラストで、本当は……発表していない、別のラストシーンがあるんです。内緒ですけどね(笑)


「……」

 と、インタビューはこんな感じで続いている。

「やっぱり、間違いなさそうでしょ?」

「うん……。ノゾミ――よく気がついたね」

「勘だったんだけどねー」

「……」 


もう、驚きを通り越して感心してしまう。

 普段から色々なことに鋭いノゾミだけど、今回は流石に超能力ではないかと思ってしまった。

 何しろ、この情報を探り当てるヒントは、何も無かったんだから。昨日の女の子を探すためには、原作小説の作者なんて、普通は最初から除外するものだ。

 ノゾミは、それを嗅ぎつけた……。

「ミコト、やっぱりあの子は秘密の匂いがしたね」

「――わたしとっては、ノゾミの嗅覚の方が不思議だよ……」


 ――あの女の子は……光だった。

 ということは……一年後、光は死ぬのだ。


「明日こそ、ヒカリちゃんを見つけようね」

 ノゾミはそう言って張り切っている。それもそうだ。自分が楽しみにしていた映画の、原作者だったんだから。

「……そうだね」

 

 ――会いたい。

 ……そう思う半面で、わたしは少し怖くもあった。

 それは、うっすらとした感覚でしかなかったけれども。


――わたしたちがこうしている間にも、あの子……ヒカリの残りの命は、少しずつなくなろうとしているんだ……。


「ミコト」

 わたしがそんなことを考えていると、ノゾミがわたしの名前を呼び。

「――大丈夫だよ」

「……何が?」

「なんだろうね?」

 ……全く。


 ――ありがと、ノゾミ。


 そして、次の日……。

 わたしたちは、再び出会った。


 放課後……図書館で。


「――あらら、ミコトさんに、ノゾミさん」

 ぽかんとした表情で、ヒカリはわたしたちを出迎えた。

「二日ぶりだね、ヒカリちゃん」

 ノゾミが笑顔でそういうと、ヒカリは目を大きく見開く。

 そして、その後わたしたちに交互に視線を送り……。

「あー……えーっと――そのー……」

 なにやらバツが悪そうな表情で、おろおろとしはじめる。


「いや、わたしたち、怒ってないから……ね?」

「――あ、そうなの? よかった〜……。私が原作者だって黙ってたの、わざとじゃないからね!」

「わかってるよ。私たち、ヒカリちゃんにもう一回会いたいなーって思って、探そうと思ったんだよ」

「――ということで、二日ぶりだね、ヒカリ」


「……うん、二日ぶり。また会えるような気がしてたんだけど……こんなに早く会えるなんて、思ってなかったなー」


 そう言ってカラカラと笑うヒカリ――。


「ヒカリ、一つ聞きたいことがあるんだけど……」

「……ん、なーに?」

「あの……映画のこと」

 わたしが言うと、その瞬間、ヒカリの目つきが変わる。……何というか、プロの目というやつだろうか。

「あの映画……というか、小説だけど、あれって――結局何が目的なの?」

「……目的?」


「そう。目的……メッセージかな。あれは……ラストシーンは、わざとああやって、隠しているんでしょ?」

「……ははぁ――びっくりだ。気付いたんだ……」

――やっぱり、そういうことか。

「へ? なになに? どういうこと?」

 ……ノゾミは一人、ぽかんとした表情をしているけど……とりあえず今は放置しておく。

「それで、あれの本当のラスト……どうなるのか、決まってるの?」

「……ふふっ、残念ながら」

「――やっぱり、そういうことなんだね」


「だーかーらー! 二人して何の話してるのさー」


「あー、ごめんノゾミ。さっきの雑誌に書いてあったでしょ? あの小説……ラストが本当はもうひとつあるって。それの話だよ」

「うんうん、そういうこと。で、本当はラストがもう一個あるっていうのは、嘘だよってこと」


「……ふーん。そういうことかー」


 ――ごめん、ノゾミ。嘘だ。

 本当は、命の価値について……。


 ヒカリは答えがあるのかっていう意味。そして、やっぱり……ヒカリも、その答えは持っていなかった。


「でもね。ミコト……ああ、さん付け面倒だから、呼び捨てにさせてもらうね?」

 と、微笑みながら言って、ヒカリは続ける。

「次の作品で……私は、それを書くつもりだから」

 そういうヒカリの目は、力強く。

 ――わたしは、背筋に何かが走るような感覚を覚えた。

「――え、ヒカリちゃん、もう次の内容決まってるのっ?」

 と、早速それに食いつくノゾミ。

 するとヒカリは、ふっといつもの……プロの表情から、普通の女子高生の顔に戻り……。

「ふふっ、それは内緒」

 ――と、そういって微笑むのだった。


こうして、わたしたちは再び出会ったんだ。

今度は、ミコトとして、ノゾミとして、そして、ヒカリとして……。


 それから……わたしたちは、度々会うようになった。

 ヒカリは学生でありながら、プロの小説家だ。そのために、毎日学校へ来れるわけではなく。

 もし学校に来ていたら、昼休みに図書室で会おう。

 わたしたちはそう決めて、もしヒカリがいなければ、その日はヒカリは学校に来ていないという目印を作った。

 

 そんな、ある日のことだ。

 

「新作、決まったよ!」

 ヒカリがそう言って、わたしたちにだけ「特別だよ」……と、その概要を話してくれたのは。

「へぇー……! 面白そうだねぇ!」

 ヒカリの話を聞いたノゾミは、そういってわくわくとしている様子……。

「でしょー! 今までで最高の作品になると思うんだよねっ!」

ヒカリも、力強い目で、楽しそうに言っている。

 

でも、わたしは違かった。

 わたしがその内容を聞いて、最初に思ったこと……それは。


「――なんで?」


 という疑問だった。

「次の作品で……私は、それを書くつもりだから」そういったヒカリの新作……。それが、なんで……。

 命の価値を描くための、ヒカリの新作……。


「――ミコト? この内容……何かおかしい?」

「……いや、そんなんじゃ……ないけど――」

 何で。なんで……? 


「新作の内容は、人の命が見える女の子が主人公だよ!」


 ……。

 わたしは、これがただの偶然だとは思えなかった。

「その子が、色んな人と触れ合って……そして、人間の命について考えていくストーリーだよ」


 これは、まるで……。


「その子には凄く大切な友達……親友がいるんだけど、その親友が残り一年の命だって知っちゃうのね」


 まるで、今の――。


「で、その一年間で、その子は必死に親友を助けようとするの……でも」

わたしと、同じ……。


「結局、親友の子は……」


 ――死んじゃうの。


その時……ヒカリの命は、残り十一ヶ月だった――。


「私、この話を、一年かけて仕上げようと思うの……。本当に、主人公の子になったつもりで、ね」


 ――だから、わたしには。わたしだけには、それがわかってしまう。

 ……完成しない。

 この話が完成する前に……ヒカリは死んでしまう。



「……ミコト?」

 ――と、ふと気がつくと、ノゾミがわたしの顔を覗き込んでいた。

 ドクンと、わたしの心臓が音を立てる。

「ノゾミ……わたし……?」

「どうしたの? ミコト……。何か、ヒカリちゃんの話聞いてから、ずっと様子がおかしいよ?」

「……んー? 私のストーリー、そんなに変かな?」

 ヒカリはそう言って、首をかしげる。

「……ノゾミ、ちょっと来て。……ヒカリ、悪いけど今日はもう教室に帰るから……」

「――へ? ちょっ……ミコトー?」

「……あ、うん……? えーっと、またねーミコト、ノゾミ」


 背中にヒカリの声を聞きながら、わたしはノゾミの手を取り。

 そのまま、後ろを振り向かずに、ノゾミの手を引っ張りながら、教室までの道のりを歩いていった。


「――どういうこと? ミコト」

 教室に戻る途中……ノゾミは顔中にハテナマークを浮かべて、わたしに聞いてきた。

 そこで、わたしは周囲を見渡し……他に誰も人が居ないことを確認してから、口を開いた。

「ノゾミ……今からわたしが言うこと……嘘だと思ってもいいから、最後まで聞いて」

「……? うん、わかったけど――」

 ……わたしは、一体何を言おうとしているんだ。

 今まで、誰にも言ったことがないのに。

 言おうと思ったこともなかったのに――。

「ノゾミ――わたしは……」

 わたしが、人の命が見える能力を持っているということを。

「わたし、人の命が見えるの」

 言ってしまった……。そう思ったら、自然と言葉が続いた。

「見た瞬間に、その人があと何年、何ヶ月……何日生きるのか、わかる……そういう能力があるの」

「――へ?」

 ノゾミはぽかんとした表情を作る……それは、当たり前だ。突然こんなことを言い出せば、どんな人だってそう反応するだろう。

 ……でも、わたしは続ける。

「あの子は……ヒカリは、残り十一ヶ月で死ぬ」

 例えキチガイだと思われようと、今ここで、言わなければならない。

「……だから、ノゾミ……。わたしは――……わたしは、どうしたらいい……の?」

 ――わたしは、怖いんだ。そうだ、ずっと怖かったんだ。

 わたしは、強くなったはずなのに。ヒカリが死んでしまうことが、ずっと……怖かったんだ。

「――ミコト……」

「何でヒカリは、あんなテーマを選んだの? あんな設定を考えたの!」

「ミコト、ずっと様子おかしかったのって、そういう――」

「あの子に……ヒカリに、わたしは何ができるの? わたしは……わたしは、どうしたらいいの?」

 ……今頃になって、わたしは――。

「……ミコト!」

「教えてノゾミ……! わたしは……わたしは――!」

「ミコト、落ち着いて! ミコト!」


……。

「うぅ――。ぐすっ……ノゾミぃ……あううぅっ……わ……たし――」

 わたしは、自分でも気がつかない内に、泣いていた。

 ……ノゾミをぎゅっと抱きしめて、まるで子供みたいに……。


「うぅ……うわああぁぁぁあああ――あぅうっ……」

 と、その時だった。

 わたしが抱きしめていた、ノゾミが……大声で泣き始めたのは。

「……ぐすっ……ノゾミ――?」

「うああぁっ……わあああぁ――」

「……ノゾミ――くるし……い」


 いつの間にか……わたしはノゾミに、痛いくらい強く――抱きしめられていた。

……。

「よし……もう泣いた!」

 そして……それからノゾミは五分程度泣き続けて……泣き終わった瞬間、そういった。

「ミコト、行くよ」

 そして、ノゾミはわたしの手を掴んで。

「わたしは、ミコトを信じるよ……」

 ゆっくり、ゆっくりと、歩きはじめる。

「ミコトがそういうことで嘘は絶対に言わないこと――私が誰よりも知ってるから」

 物凄い……強い目をして。

「だから……本当に――ヒカリちゃんは、十一ヶ月後に死んじゃうんだ」

 ――ノゾミ。

「だから、行こう。ミコト」


 ――わたしは、本当に……。


「――奇跡を起こしに、行くよ!」


 ――ノゾミが……そう言ってくれる、ノゾミが……!


「――うん……っ!」


 ――大好きだよ。

 ……その少女は、命が見える能力を持っていた。

 その能力は少女の意思に関係なく、強制的に人の死を――少女へと見せた。

 少女と出会った人は、その瞬間にどんな人でも……死ぬ瞬間がいつになるのか、決まってしまう。

 まるで、呪いのような能力……。

 ……けれど、少女はその能力が、好きだった。


 ……わたしは、命が見える能力を持っていた。

その能力はわたしの意思に関係なく、強制的に人の死を――わたしへと見せた。

 わたしと出会った人は、その瞬間にどんな人でも……死ぬ瞬間がいつになるのか、決まってしまう。

 まるで、呪いのような能力……。

 ……わたしは、その能力が、大嫌いだった。


「この子の……主人公の名前、命って書いてミコト……ミコトと同じ名前に決めたよ」

ヒカリは、そう言ってカラカラと笑った。

「……で、ミコトの親友の名前は――」

「……ノゾミしかいないでしょ」

「えー? 私が死んじゃう役なのー?」

「……ノゾミって名前にすると、絶対死ななそうなキャラになっちゃうかなー?」

「……そうかもね」

「あー、二人とも酷いー!」


 さらさら、さらさらと。

 進んだ時間の分だけ、落ちていく砂時計。それは誰にでも平等。どんな人にも、平等に時間が流れていくように。

ただ……砂の量が、違うだけで。

 同じスピード、同じ大きさ。

 つまり、命って……平等なんだ。

 誰だって、同じ器。同じ砂が入って、人は生きている。


 だから、命に価値なんてない――というより、価値なんてつけられない。


「あははっ、これじゃお笑い小説になっちゃうでしょー!」

「……やっぱり、親友の名前がノゾミなのがいけなかったかな……」

「わたしも、それは否定しない……よ」

「むー……」

「あー……難しいなぁー」

「いっそのこと、コメディにしたら?」

「……真面目に検討するよ――」

「こらこら! それじゃ私のせいみたいじゃないっ! 最後まで書き上げなさーい!」

「――冗談だよ」

「冗談冗談」

「……」


『ぷっ――あははははっ!』


 そう、命は平等……本来は、そうあるべきだ。

 けれど、実際は違う。

 間違いなく、命には価値がある。

例えば、明日死ぬ命と、これから先……何十年生きる命。

「貴方は、一回だけ命を救うことができます。……さて、貴方はどちらの命を救いますか?」

こう聞かれたとき、人はどちらの命を救うのか。

救ったところで、どうせ明日死ぬのだから……と、未来がある命を救うのか。それとも、その最後の一日のために、もう一つの……未来がある命を殺すのか。

その判断をする時に、命には価値が生まれる。

一日と、何十年の価値を……比べる。

比べて、価値があると判断した命を、生かすのだ。


少女は、初めて自分の能力に恐怖を感じた。……親友の命が、あと一年しかない――そのことを知った時に。

助けたい。親友に、死んでほしくない。

少女は、親友を助けたいと強く願うが……どうすればいいのか、わからない。

親友が何で死んでしまうのか……少女の能力ではわからない。わからない……けれど、時間は少女を待ってはくれない。

どんな時でも、流れていく。そうして流れていく時間の中で、人間は生まれたり……死んだりする。

そういう、人が死ぬってことは……時間の流れの中では、なんでもないこと。

無限にある時間の中での、ほんの一瞬の出来事。

だから……人間の時間を目で知ることができる……命が見える能力が、少女は好きだった。

命の流れって――時間の流れって、なんて美しいのだと……少女はずっと、そう思っていた。


「――なんか、この子ちょっと怖いかなぁ」

「……名前がミコトだからじゃないの」

「――こら、ノゾミ……誰が怖いって?」

「あはは、誰が怖いと思うー?」

「……もう、ノゾミは本当に――」

「あ、今のやりとりもらいっ。小ネタでちょっと使わせてもらうよー」

「ええっ?」

「ネタって……何のこと?」

「こういう些細な日常会話の中に、案外小説で使えるネタが転がってるんだよ」

「おー、さすがヒカリちゃん! プロだねっ!」

「本当に……ヒカリは小説書いてる時だけは別人のように頭切れるんだから」


 ――時間は流れて、流れて、そして……それでも流れ続ける。


 そんな中で、人が生まれたり……死んだり……。

 わたしは、自分の能力が大嫌いで……そして、怖かった。

 死ぬってことが、何よりも怖かった。

だから感情を捨てて、自分を捨てて……。

けれど、それって……価値のある生き方なんだろうか。


 恐らく、わたしの脳がそんな声を上げていた。

 そして、わたしはノゾミと出会った。


 当時のノゾミは、今とはまるで別人で……。

 自分は誰にも必要とされていない。……だから、自分の命はいらない――そう思いながらも、誰かに必要としてほしいと……願いながら、汚く、醜く……生きようとしていた。

 そんなノゾミが、生きることにそこまで必死だったノゾミが、その時のわたしには許せなかった……。

 何で、そんなにも生きようとするのか。自分が生きること、死ぬことは、自分で決めればいいのに……。

 けれど、そんなノゾミが、わたしの感情を蘇らせてくれた。

 死ぬことに立ち向かうための強さを、ノゾミがくれた。

 死にたくないと思うことが、何よりも強い心なのだと、教えてくれた。

 わたしの友達……親友になってくれた。



そうして、わたしはヒカリに出会った。

 

ヒカリは、わたしとノゾミの前に突然現れた。

 図書館で映画を見た、その帰りの電車の中で、わたしたちは出会った。わたしと同じように、映画のラストシーンを気にしていると言ったヒカリ。そして、出会った瞬間から、ヒカリの命が残り一年だと知ってしまったわたし。


「そういえばヒカリ、一つ聞きたいことがあるんだけど」

「ん、なーにミコト?」

 わたしたちは高校二年生になり、その春も終わりに近付いた……六月のある日。

 学校の昼休みに、わたしはヒカリと二人で、図書室のベランダに出て話をしていた。

 ノゾミは、昼に部活のミーティングがあるらしく、お弁当を食べ終わった瞬間にものすごい勢いでどこかへ走っていった。

 未だに一回も、ノゾミが部活へ行っている姿を見たことはないんだけれど……。

「ヒカリは、何で命の価値なんて考えてるの……?」

 わたしは、ずっと知りたかった。

 何でヒカリが、命の価値を考えているのか。

「あー……」

 わたしの質問に、ヒカリは少し答えを躊躇うような様子で、頬に手をあてる。

「別に答えたくないなら言わないでもいいんだけど……」

「あー、いやいや、言いたくないわけじゃーないんだけどー」

 と、慌てた様子で両手をパタパタとさせるヒカリ。

 ……どういうことなんだろうか。

「どういうこと?」

 素直に聞いてみると、ヒカリは一回軽く息を吐き、目を瞑る。

「実はね……私」

 と、そこで一回言葉を区切ると、片目を開けてわたしの顔を覗いてくる。

「……っ!」

 もしや――と、一瞬わたしは思った。

 いや、そんなことはありえない……はずだ。

 一度思ってしまったことを、わたしは即座に否定したが……しかし、ヒカリはわたしの予想通りの言葉を、その口から言ってきた。


「私、人の命が見えるの」


 ……聞き間違いでも何でもなく、ヒカリは確かにそう言った。

「……あ――うっ……」

 わたしは、咄嗟に返す言葉を失い、ただ唖然とすることしかできなかった。するとヒカリは、閉じていたもう片方の目を開き、その後で小さく微笑んだ。

「――ビックリした?」

 淡々とした口調で言うヒカリ。

 

 ドクンと、心臓が音を立てる。

「う――そ……」

 言葉が見つからない。ヒカリに対して、何て言えばいいのかわからない。だから、わたしが出せた言葉は、ただの小さい、否定だけだった。


「ちょっと、ミコト……どうしたの?」

 そんなわたしの顔を、ヒカリは不思議そうな顔をして覗き込んでくる。

 そうかと思うと、ヒカリは深いため息をついて、続けて口を開く。

「あー、ミコト、ここツッコミが欲しいところねー……」


「……へ?」

 その言葉に、わたしは思わず変な声をだしてしまう。

「ほら、私前に言ったでしょー。新作書ききるまでは、主人公の子になったつもりでいるってー」

 そう言って、ヒカリはカラカラと笑う。

「つまり――命が見えるってのは……」

「あはは、嘘だよ嘘っ!」

「――っ! ヒカリーっ!」

「おっと、ごめんごめんー。怒らないでよー」

 怒りながら……その反面、わたしは何故か安心していた。ヒカリは、命を見ることはできない。普通の人間だった――。わたしみたいに、命が見えることで苦しみを感じて生きてきてはいない。多分そのことが、わたしを安心させたんだろう。

 

「でもね、ミコト」

 と、ヒカリは急に真面目な表情――小説を書く時の、プロの表情を見せた。

「……何?」

「――そういう……命が見えるとか、他に特別な事情とかがないと、命の価値を考えるのって、おかしいかな?」

 ヒカリの言葉に、わたしは思わず息を呑んだ。

「私は命なんて見えないし、前の映画の主人公みたいに、自分の命を誰かにあげたりもできない」

 そうだ。ヒカリは――少なくとも、今わたしの目の前にいるヒカリは、ノゾミや他の人たちと全く変わらない、普通に生きている人間だ。その命の砂時計が、もう残り半年の命を示していたとしても……ヒカリは、そのことを知らない。

「でも、私は――ううん、皆……ミコトだって、ノゾミだって、皆命があるから生きてるんだよ」

 命があるから生きている。言葉で言うと当たり前なことだ。

「その命のこと、不思議だなって。命って何なんだろうって思うことって、別に何の特別な事情がなくても、普通のことでしょ?」

「――ああ……」

 そうだね、ヒカリ。

 特別な事情も、わたしみたいな能力もいらないんだ。

 生きてるから。命を持ってるから。

 命について考えるためには、これだけの理由があればいいんだ。

「あはは、どうミコト? ちょっと今の私かっこよかった?」

「……最後にそれを言わなければ……ね」


 ――ヒカリ。

 わたしは、あと半年だけだなんて……絶対に嫌だから――ね。


「ミコト、ノゾミ。二人に質問があります!」


 一ヵ月後。初夏の季節、七月のある日。

 その日、わたしとノゾミは、ヒカリの家にやってきていた。

 朝、突然ヒカリからかかってきた電話に出ると……

「お願い! 今すぐ家にきて!」

 と、それだけ言って、一瞬で電話を切ってきたのだ。


「質問って何?」

「――それよりも、先に何でわたしたちを呼んだのか教えて欲しいんだけど……」


「だーから、それが質問なんだって〜」

 わたしが不満を込めた視線を送っても、それを軽くスルーして、ヒカリはカラカラと笑う。

「――はぁ。じゃあ、早くその質問をしてみなさいよ」

「ささ、何でも聞いてくれたまへ、ヒカリちゃ〜ん」


「あはは、それじゃあ率直に聞くけど、二人とも自分が残り一年しか生きられないとしたら、どうする?」


――瞬間、わたしとノゾミは目を合わせた。

その後、二人そろってヒカリの顔をじっと見つめる。


「ん? 二人ともどうしたの?」

 ヒカリは、何でこんなにさり気なく――大切なことを聞いてくるのだろう。

「突然どうしたの? そんな質問……」

 ノゾミが聞くと、ヒカリは何やら照れくさそうに笑う。

「いやー、恥ずかしながら、小説に詰まっちゃってねー。それで、ちょっと二人の意見を参考にしようと思って」

 小説の参考……か。

 ――残り一年しか生きられないとしたら。

 そうわたしたちに聞いてきたヒカリの砂時計は、もう半年分の砂も入っていないというのに……。

 

それでも、砂は止まってくれない。ずっと流れていく。流れていって、ヒカリの命を奪っていってしまう。

 ぎゅっと、手を握り締める。痛いくらいに、強く。

――ぎゅっ。

と、そのわたしの手を、優しく包み込む手。

……ノゾミの手。

 大丈夫だよ、と。何も言わないでも、そう言ってくれている、暖かい手。

 全く、わたしは本当に、ノゾミに甘えてばかりじゃないか。わたしはこんなに弱かったのか――と、最近本当によく思う。


「その質問に答える前に、わたしからも先にヒカリに答えて欲しい質問があるんだけど」

「ん……? 何かな」

 ヒカリが小説のためにこの質問をしたのならば、まず根本的におかしいところが一つある。

「残り一年しか生きられないのを、当の本人は知らないはずじゃないの? だから、わたしたちがその質問に答える意味ってあるの?」

 わたしが言うと、ヒカリはにこりと微笑み、そして軽く首を横に振る。

「違うよ、ミコト。この質問は、すごく大切なことなの。だって――」

 と、そこでまたヒカリは、あの表情を作る。

「もしも本人がそのことを知った時……それで本人の残された時間がどう変わるか……。そうすることが、結果的に本人にとっていいことだったら――。主人公は、そのことを親友の子に教えてあげる方がいいでしょ?」

 ……。

「あー、ヒカリちゃん頭いい」

 ヒカリの答えに、ノゾミは感心するように手をポンッと叩く。

 ……でも、わたしは。

「ヒカリ、わたしは――」

 ――それは違うと思う――と、わたしが言おうとした、それと同時だった。

「――ヒカリちゃん、すごく頭がいい意見だと思うけど、それって違うよ」

 わたしの言葉を遮って……けれども、わたしが言おうとしたことと、全く同じことを……ノゾミが言ったのは。

「……あら?」

 まさかノゾミから否定されるとは思っていなかったんだろう。ヒカリはぽかんとした表情を作る。

「教えた方がいいのか、悪いのかじゃないんだよ。……そんな単純な問題じゃ、ないんだ……よ」

 ノゾミ……。

「ちょっと、ノゾミ?」

 突然様子が変わったノゾミを見て、ヒカリは慌てた様子でノゾミの顔を覗き込む。

 その時、わたしはノゾミの肩が小さく震えていることに気が付いた。

「絶対に言えないよ! 言えるわけがないんだよっ!」

 ノゾミ……!

「だって、その子は――」

 ノゾミは、ヒカリの肩を掴んで……。


「大好きな親友に……死なれたくないからだよ! 生きていて欲しいからだよ!」


 ノゾミは……泣いていた。

「ちょっとノゾミ、一体どうし――」

「だ……から……ぜったいに――いえ、ない、の……」


 わたしの分まで……ノゾミは一人で泣いてくれた……。

 わたしが言いたかったことを、全部変わりに言ってくれた……。

 わたしに――奇跡を起こそうと、言ってくれた。


「あー……そっか。そうだよね――」

 ヒカリは、目を丸くしながら――ぽつりと呟いた。


「ノゾミ」

 その日の帰り道。

 わたしの横で、何事もなかったかのような表情で歩いているノゾミに、わたしは声をかけた。

「ん……なあに、ミコト」

「手、繋いでいい?」

「……うん」


――ぎゅっ。


「ねえ、ノゾミ」

「なあに、ミコト」

「……ちょっと、痛い」

「――あはは、これくらいが丁度いいんでしょ」


 ああ、もう。

 悔しいけど、何もかもノゾミにはお見通しなんだな。


「――ありがと」

「……うん」



 ――けれど、確実にその時は近付いてくる。

 

「ねえ、お願いだから……」

 わたしは、部屋で一人……砂時計を眺めていた。

 さらさらと流れ落ちていく砂の一粒一粒は、わたしの声なんて全く聞きもしないで。

「止まってよ……」

 さらさら――さらさら――。



――夏。

初夏の七月を過ぎて、八月、九月。

どうしようもない暑さに、うるさいセミの声。

そして……。


 そこで初めて姿を現した……ヒカリを連れ去ろうとする……悪魔。


夏の暑さが少しずつ和らいできた、九月の終わり頃……その暑さをさらっていくように……。

ヒカリは、その二週間前から、学校に来なかった。

「ただの風邪だよ、風邪。季節の変わり目は昔から弱くてねー」

 お見舞いに行ったわたしとノゾミに、ヒカリは笑顔でそういっていた。……それなのに。

――急性骨髄性白血病。


 ヒカリは、突然入院することになった。


「あはは、久しぶりー。二人とも元気だった?」


 それから一週間後。面会の許可が降りたと同時に、わたしとノゾミはヒカリに会いに行った。

「元気そうじゃない、ヒカリ」

「ほんと、びっくりするくらい元気だね」

「いやー、照れるな」

 病気だなんて、全く感じさせないように、楽しそうに笑うヒカリ。


「入院してても、やっぱり小説は書いてるんだ」

 ノゾミは、そう言ってヒカリのベッドに置いてあるノートを手に取る。

「うん、疲れない程度なら書いていいよって、許可ももらったんだ」

「全く……せめて完治するまで待ってればいいのに……」

「甘いよミコト。小説ってのは、その時その瞬間が大事なの。同じ発想、閃きってのは、もう二度とでてきてくれないんだから。……だから、その瞬間に、いつでも書けるように、ね?」

 その時、その瞬間が大事――か。

「んー、深いねー」

「……こらノゾミ、素直に感心しないの」

「ミコトも感心してくれていいんだよ?」

「……はぁ、全く。小説も大事だけど、一番大事なのはヒカリの体でしょう」

「んー、私としては、一番目が小説でー、体は二番目かなー……って……」

「ヒーカーリー!」

「……ごめんなさい」


『ぷっ……あははははっ!』





――そして、十月。


「ねえミコト、ノゾミ」

その日、ヒカリの様子がおかしかった。

話しかけても曖昧な返事しかせずに、いつもなら常に手元に置いてあるノートも、テーブルの上に無造作に置かれていた。

 更に、わたしとノゾミは、毎日可能な限り……面会時間ギリギリまで、ヒカリと話をしていた。

 ……それなのに。

「――明日からさ、もう面会こないでもいいよ」

 ヒカリは、何の感情も込めていないような声で、淡々とそう言ってきたのだ。

「ちょっとヒカリ、それどういうこと……?」

 わたしが聞いても、ヒカリはわたしの目をみようともしない。……そればかりか。

「じゃあ、さよなら」

 ヒカリはそう言って、パタンとベッドに横になり……わたしに背を向けて、その上から布団をかぶってしまった。

「ちょっと、ヒカリ!」

「……いいから出てってよぉ!」

 ――ヒカリ?

「……ヒカリちゃん、泣いてるの……?」

 ノゾミがぽつりと言った。

 そして、ノゾミが言う通り……ヒカリは、泣いていた。

「――うっ……ぐすっ……あうぅっ――」

「ヒカリ……」

「ヒカリちゃん……」

「――ぐすっ……出てって……お願いだから……」

 ヒカリは泣きながら――ただ、ずっとその言葉を繰り返すだけだった……。

 ……そう、ずっとだ。

 

「――なんで。……なんでっ!」


 ――なぜなら、わたしとノゾミが、そこから一歩も動かなかったからだ。


「……このまま出ていけるわけがないでしょ」

「ヒカリちゃんがちゃんと話してくれるまで、ずっとここにいるからね」

 ヒカリに何かがあって、それをヒカリは隠している。だからヒカリは、突然こんなことを言い出したんだ。だからこそ、わたしたちは引き下がれない。

 何でそんなことを言うのか。何で泣いているのか。ヒカリが言ってくれるまで、ここを動けない。

 こんな状態のヒカリを、一人にしたまま帰れない。

「……ばか」

 と、ヒカリは消え去りそうな声で呟いた。

「ばかばかばかっ! ばーか!」

 そうかと思うと、いきなり怒鳴るように、そう捲し立てる。

「本当に……ばか」

 瞳から、大量の涙を流しながら。


「ミコト、ノゾミ――。私、死んじゃうのかな……?」


 大泣きした後で、ヒカリは弱々しくそう言った。

 

「ヒカリ――何を言って……!」

「別に、嘘はつかないでいいよ。……ねえ、二人とも。何か聞いてないの? 私の命のこと――とか」

――あと二ヶ月。

その砂時計は、確かにわたしの目に見えている……。

でも……それでも。

「ヒカリが頑張れば、治る病気だって。そう言ってたよ?」

「今は、その病気って治せる病気なんだって、先生言ってたよっ!」

わたしとノゾミは、ヒカリは死なないと。

――そう思っている。

だから、この残り二ヶ月っていうのは……そうだ。何でもない。

奇跡を、起こすのだ。

わたしが一人だったら、決して思うことがなかったこと……。ノゾミと一緒だからこそ、思って――そして、信じることができること。

ヒカリの病気は、絶対に治るって。


「何よりも、わたしが治るって思ってるから」

「当然、私もねっ! ヒカリちゃんは強い子なんだから!」


「あはは、二人とも……やっぱり、大好き――だぁ……」


涙声で、弱々しく……それでも。

ヒカリは、その日初めて、わたしたちに笑顔を見せてくれた。

――ヒカリは、本当は怖かったんだ。

どうしようもないくらいに怖くて、それでも……わたしたちのことを想って。

ヒカリが何とか出した答えは、せめてわたしたちだけでも、悲しまないように。辛い思いをさせないように……。

一人で――一人っきりで、病気と闘うことだった。

だからヒカリは、わたしたちを追い出そうとしたのだ。自分では体よりも大切だと言った、小説すら手をつけないで。一生懸命考えた答えだったのだ。


「今日ね、髪の毛がバッサリ抜けたの」

 ヒカリは、そう言って笑った。

「それは、抗癌剤の副作用なんでしょ……?」

「そうなんだけど……多分、すぐに髪の毛全部なくなっちゃうと思うんだ」

「ヒカリちゃん……」


 ヒカリはベッドに横になり、そこからわたしたちを見上げる。

「髪の毛なくなっちゃったら、二人に見られるの恥ずかしいな」

 そう言って頬を薄紅色に染めたヒカリは、随分と幼い表情をしていた。

「ヒカリちゃん! ヒカリちゃんの髪がなくなっちゃったら、私たちも髪の毛全部切るよ! そしたら、皆そろって恥ずかしいって……一緒に笑おうよ」

 ノゾミがそういうと、ヒカリはカラカラと笑い……

「却下っ! 二人がツルツル頭で面会にきたら、私笑い死んじゃうよっ!」

「――なっ! 失礼なー! 皆そろって仲良くツルツルになろうよ!」

「ノゾミ、何か趣旨はずれて……」

「えーい、女の意地なんだよー!」

「あはははっ、意味わかんないっ!」


一人では、立ち向かえないことも。

怖くてどうしようもないことも……。

二人でなら、立ち向かえる。怖くなくなる……。


三人なら、乗り越えられる。――楽しくなる。




――十一月。


「あと、何ヶ月……?」

「――一ヶ月」

「……なんか、あっという間だったね」

「――本当にね」


 少女は泣いていた。もう、どうしようもないくらいに、泣いて、泣いていた。

 少女の親友に残された命は、もう残り一ヶ月しかない……。

 一ヶ月で、死んでしまう。消えてしまうのだ。

 そう思った時――いよいよ、少女に涙があふれた。

 少女は、他の誰にも見られない場所で――大声を上げ……一人きりで、大切な親友の死を嘆いた。


「ヒカリ、最近調子はどう……?」

「……うん、多分、順調じゃないかな。そろそろラストシーンに向かって盛り上がってくるところだよー」

「――多分って……。もう! しっかりしてよねー。ミコトと私、もう一年も前からずっと、完成待ってるんだから」

「――あはは、そっか……もうそろそろ、一年になるんだね――」

「……それ以前に、調子っていうのはヒカリの体のことで、小説のことじゃないっ!」

「あははっ。……とにかく、早く病気を治して! しっかり退院してから、小説もしっかり仕上げること……!」

「ふふふっ――了解―。楽しみにしてるんだぞー……わたしの退院をー……ゴホッ!」

「ああーっ、もう、しっかりしなさい。ヒカリ」

「へへへ、ごめんごめん、ミコト」


 

――そんな時、ふと気がつくと、少女の横には、親友が座っていた。

「ねえ」

 大泣きしている少女の横で、親友はにこにこと笑っていた。

「私、まだ生きてるじゃん」

 ……その声に、少女は絶句した。

 何で、知っている。

 この子は、何で自分が死ぬと、知っているんだ……。

「あはは、私をあまりナメないでよね。……あんたの考えてることなんて、全部知ってるんだから」

 そして、それを知った上で……どうしてこの子は、笑えるんだ。

「私さ、死なないから」

 ……でも、少女が見る死は、絶対――。

「……絶対に、死なないよ」

 それは、全く信憑性も無い言葉。

 なんと言おうと、親友は死んでしまうというのに……。

 それなのに。


――今日が、最後の一日。

その日、わたしたちはヒカリの両親と一緒に、面会へ来ていた。

最後の一日だというのに……時間の流れは早かった。信じられないくらいに、どんどん時間は流れていった。そしてヒカリの砂時計も……もう、いつ落ちきってしまっても、おかしくない量まできてしまった。



――さらさら、さらさら。


「ねえ……ミコト、ノゾミ」

 ヒカリは、弱々しい声で、わたしたちの名前を呼ぶ。

「――どうしたの? ヒカリ」

「なあに? ヒカリちゃん」

「ホント、ありがとう……ね。私、二人に出会えて……本当に、よかったと……思ってるから」

 まるで激しい眠気をこらえているような、そんな様子で……ヒカリは、そのまま言葉を続ける。

「ねえ、約束……しようよ。いっぱいいっぱい……やくそく、しよう」

 ――ぎゅっと。

 わたしとノゾミは、ヒカリの手を握り、頷く。

 するとヒカリは微かに笑顔を見せて、ゆっくりと口を開く。

「冬休みは……一緒に、クリスマスパーティー、しよう」

 ぽつり、ぽつりと。ヒカリは消えてしまいそうな言葉を捜して、見つけ出して、一つずつ口にしていく。

「大晦日……は、三人でいっしょに、ずっと遊ぶの……。それで、徹夜で――初詣に、いくんだ」

 ――さらさら……。

「ミコトは……きっとすごい、振袖が似合うんだ……。それ、で、ノゾミは――動きにくいとか、文句、いいながら……」

――さら、さら。

「そうだ。春休みに、なったら……。三人で、旅行に行く……の。いっぱい、いっぱい思い出をつくって……」

 ――さら。

「たく……さん、たのし……い……こと、さんにん――で……」

 ――。


「……ヒカリ?」

「……ヒカリちゃん?」


 ――砂が、落ちきった。


「ヒカリ! ヒカリィー!」

「ヒカリちゃん! ヒカリちゃん――っ!」


「うぅ……。ぐすっ――」

「うあぁぁぁー……ひっく……ぐすっ……」


 それは、本当に静かに。最後の最後まで……同じ速度で。

 嫌みみたいに正確に、その砂を落としきっていった。


 ――ヒカリ、心肺停止。

その後、すぐにヒカリは集中治療室へと運ばれた。

 ヒカリの両親は、共に治療室の前まで付き添っていき……一方のわたしたちは、ヒカリの病室に残った。

 ……。

 ……ヒカリが、最後まで生きてきた病室。

 

「ノゾミ、ヒカリは――」

 ……幸せだったと思う……? そう言おうとしたわたしの声を、ノゾミが遮った。 

「あはは、やっぱりミコトはすごいねー」

「……え?」

「だって……本当に、一年前にミコトが言った通りの流れになってるでしょ?」

「……」

「で、このままそれが当たれば……ヒカリちゃんは、もう助からないで、死んじゃうんだね」

「――うん」

「でも……」

「――?」

「死なないよ、ヒカリちゃんは」

「……」

「絶対に、死なないよ」

 絶対――。

ああ、何て信憑性のない言葉なんだろう。

そんなことを言っても、確かにもう……ヒカリの砂は落ちきってしまったというのに。

――それでも。


『そうだね』


 その言葉は、なんて強い言葉なんだろう。

 この言葉に、わたしはどれだけ助けられてきたんだろう。

 ――そうだ、死なない。

 死なないんだ。

生きている……生きるんだ。

わたしの……こんなに弱いわたしが持っている、ただの砂時計を見る能力と……大好きな――世界で一番大切な親友の言葉とでは、どちらが強い?

 どちらを信じる。

――そんなこと、言うまでもないじゃないか!

だから、少女は――ミコトは……

 わたしは、信じるんだ!


 『ノゾミの言葉を!』

 ……。


「うぐっ……えぅ……ぐすっ」

「うああぁぁ――あうぅ……えぐっ……」


「あー、もうっ。そんなに泣かないの」


……命は、生きることを望み……そして。


「退院、おめでとう――ヒカリ」


 そして……光る――。


「うううー……ミコトずるいぞー! 何で一人だけ泣かないんだよー!」

「うぅぅ……そうだそうだ! 私、物凄く怖かったんだからぁ!」


「――あははっ。まあまあ……いいじゃないの」


 本当に、怖くなかったんだから。

 だって、わたしには見えていたんだ。

――奇跡が起こる、その瞬間が。


集中治療室から戻ってきた、ヒカリの砂時計が……。落ちきったはずの砂が、まるで噴水のように……。


大逆流していく、その瞬間が。



「で、結局ラスト――それでいいの?」

「うん、いいの」

「……これじゃ、最初に言ってたのと全然違うじゃない」


「仕方ないでしょー。主人公と親友の名前が悪いんだからっ」


「……」

「……」


「あはははははっ! ……って、なにをじーっと睨んで……」


『名前のせいにするなー!』


「――っとと! 逃げろや逃げろっ!」


「あ、こら待てヒカリちゃん! ……ゆけ、ミコトー! ヒカリちゃんを捕まえなさいっ!」

「……ノゾミ、あんたも一緒に追いかけるんだよ!」

「えー! 私足遅いもんー!」


「それを言ったら、私なんて退院したばっかりだよー!」

……。


 ヒカリの小説は、完成した。

 結局……最初の予定。親友が死んでしまうという内容を、大幅に覆して。

「ところでヒカリ?」

「ん、なーにミコト」

「結局、命の価値ってわかったの?」

 わたしが聞くと、ヒカリは指でブイサインを作って。

「うん、わかったよ」

 迷いの一切ない瞳で……元気よくそう言った。


「命の価値ねー……」

 と、わたしの横で歩いているノゾミは、あまり興味がなさそうな様子で呟く。

「そういう難しい話は、私はよくわかんないよー」

「まあ、ノゾミには少し難しいかな」

「……そう言われると、何かカチーンとくるなー」

「まあまあ。――で、ミコトはどうなの?」


「あー……わたしは……」


――命の価値。


わたしにとって、命の価値って――


「それは――」


時間は流れる。

 流れて、流れて――そんな中で、誰かが生まれたり、死んだりする。


――そして、そんな時間の中で……。


 わたしたちは、これからも……精一杯生きていく。


 ――生きていく。

 

 生きていく……!


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