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一章

一章



死ぬ。

 ――死んでしまう。

 どうすればいい。どうすればいい……!

 あと何日? 何時間、何秒!

 何ができる。わたしに何ができる。

 わたしに――何が……。


「……」

 目を開けると、わたしの目にはいつもの見慣れた天井が映る。あの時……昔家族四人で暮らしていた家の天井ではない。

 ここは、わたしが今暮らしている家の、わたしの部屋。

「夢……」

 ぽつりと呟くと、口の中に何かしょっぱい味を感じた。わたしは右手を口元へもっていき、それがわたしの目から溢れてきているモノだと理解した。

「涙?」

 わたしは、泣いていた。

 そのまま暫く、わたしはぼうっとしながら、右手についた自分の涙を見つめた。

 そうしながら、わたしはふと思った。

「何で……わたしに、まだ涙がでるの……?」

 ――あの時、もう一生分の涙なんて、使いきってしまったと思っていたのに。


 ――両親の砂時計が、落ちきろうとしている。

 正確に言えば、砂時計が落ちきったことによって、両親が死んでしまう。

 わたしがそのことに気がついたのは、本当に遅すぎた。

 十一歳の頃、やっと砂時計の意味を理解した、それと同時だったのだ。

 予兆は全くなかった。わたしの両親は共に健康だったし、砂時計が間違っているとしか思えない程、両親は死とかけ離れている存在だった。

 そんな両親が、死ぬ。しかも、二人同時に。

 あと何日? 何時間、何秒! 両親は生きていられるのだろう。

 何ができる。わたしに何ができる……。

 わたしが、死を変えることができるのか?

 そんな考えを一瞬で追い払って、わたしは行動に移った。

 ……できる、できないではない。何とかしなくては、両親が死ぬのだ。それだけは、絶対にさせない……!

「ミコト、お願いだから邪魔しないで。会社に遅刻しちゃう……」

「何なんだ、ミコト。突然玄関を締め切って……! どきなさい!」

 外に出したら……わたしの目の届かない場所にいったら、両親は確実に死んでしまう。わたしはそんな予感を感じ、両親を家から一歩も出すまいとした。

「だめ! 今外に出たら絶対にだめ!」

 玄関の前に立ったわたしは、叫ぶようにそういって、両親を足止めした。

 しかし、十一歳の女の子の力程度では、簡単に突破されてしまう。

「いい加減にしなさい! ミコト、そこをどきなさい!」 

 お父さんがそういってわたしに近づき、手を掴もうとしてくる。

「いやー! 絶対にどかない! 外にでちゃだめ!」

 だからこそ、自分の力がないことを知っているからこそ、わたしは武器を持っていた。

 それは、小さなカッターナイフ。

「ミコト……何を!」

 わたしは、そのカッターナイフを構えて……。

「ミコト! やめなさい……!」

 その刃を、自分の首筋へと持っていった。

 カッターナイフ程度で脅したところで、大人相手には通用しないことなど、わたしは十分に理解していた。

 それに、万が一にでも両親に刃物は向けられない。……それはそうだ。何がきっかけとなって、わたしが両親を殺すことになるかわからないからだ。

 だからこそ、わたしはわたしの命をもって、両親を足止めした。

「やだ……。絶対に……どかないんだから――」

 死なせない。絶対に死なせるもんか。

「ミコト……」

「本当に……どうしちゃったの……?」

 悲しそうな顔をしてわたしを見つめる両親。お母さんは、瞳に大粒の涙を浮かべていた。

 わたしは、しかし刃を首から離さない。例えどんな顔をされようと、どんなに怒鳴られようと。どんなにキチガイだと思われようと。

「わたしがどいたら、お父さんもお母さんも死んじゃうから!」

 そうだ。絶対に死なせない。わたしの能力。

命が見える能力は、きっと人の死をくいとめるためのものなんだ!

 わたしは完全にそう信じ込んで、自分が両親を救うことに必死になっていた。

「なっ……何を言ってるの、ミコト?」

「……」

 大きく見開いた目でわたしを見つめるお父さん、お母さん。

「だめ」

 わたしは、ぽつりと呟く。

「死んじゃ、だめ」

 ぽろぽろ、ぽろぽろ。

「絶対に、わたしが……」

涙、涙。

「死なせない……」 

 ……。

「……わかったよ、ミコト」

 そして、わたしは守りきったんだ。

「怖い夢でも見たの? ミコト」

「今日は、お父さんもお母さんもずっと、ミコトのそばにいるよ――」

 そうだ。二人を外に出さなかった。わたしは、命を守ったのだ。

 安堵。何も根拠のない安堵。

 けれど、わたしはその感情に浸ってしまった。

 そしてこの感情は、その日の夜……テレビで報道されたニュースを見て、核心へと変わってしまう。

 ――交通事故。

 大型トラックの横転による、付近何台もの車、何人もの人を巻き込んだ、大きな事故が起こった。

 場所はちょうど、両親がいつも通勤中に通過する大型交差点。そして時刻は、まさしく両親がいつもそこを通過するであろう時刻。――午前八時半。

 今日、わたしが止めなければ。お父さんとお母さんは、死んでいた。二人同時に――砂時計の通りに……!

「まさか……本当に、こんなことが……?」

 そのニュースを見ながら、顔を青ざめる両親。

「なんて偶然……」

 ……偶然なんかじゃない。そうだ。これがわたしの力。命を救うための力……!

「お父さん、お母さん」

 わたしは、そっと、お父さんとお母さんの手に触れる。

 その熱、湿気。鼓動。――ああ、生きているんだと。そう実感する。死を乗り越えた。絶望が、一気に覆る。しかし、それは希望ではなく。

 ――ただただ、たったひとつの安堵。恐ろしい程の、安堵。

 死ぬはずだった。だからこそ、ここまで安堵する。

 そして、錯覚する。

 ――もうこれで、死ぬことはないと。

危機に対面した時、人間はその危機を乗り越えんとするために、全力を尽くす。尽くして尽くして、何とか危機から生還する。緊張の糸が解ける。全力を使い尽くしてしまう。

人間は、その瞬間に一番弱くなる。

 気付かない。悲しいほどに思考が停止する。

 砂時計は、わたしがしたことなど全く関係なく。一秒一秒ごとに、確実に流れ落ちていっていること。

 元々、今日中に落ちきってしまう量ではなかったこと。

 ……今日両親が生き残ったのは、奇跡でも何でもなく。

 はじめから、わたしの目に見えていた、必然だったことに。

 そして、砂は落ち続ける。

 わたしが一番弱くなってしまったその瞬間を狙ったかのように、しかし依然同じスピードで、ゆっくりゆっくりと。

 ――最期の時へ向かって。


 違和感に気付くのが、遅かった。

 思考が麻痺し、一種の錯乱状態になってしまっていた。

 本来なら、それは一秒でも早く気付きたかったことで、また気付かないといけないことだった。

 単純に、わたしが両親の死を救ったのならば、両親の砂時計は、残量を増やしていなければならなかった。

 何故、増えない。変わらない。

 わたしの頭の中に再びそんな思考が現れたのは、死を防いだと思った次の日……その朝だった。

 ここでも、わたしが両親を救ったという、その幻想が大きくわたしの邪魔をする。本当のことを気付かせない。

 おかしいのは、勘違いしているのはわたしなのだと気付けない。

 ――間違っているのは、砂時計の方……!

 そう、思わされてしまう。わたしの行動は、すべて砂時計の死が確実であるという前提があってこそ、起こりえたというのに。その前提を放棄してしまう。

 そして、わたしは最期に……安堵してしまう。

 あっけなく……本当にあっけなく、わたしは二つの大切な命を、見殺しにした。


 その日、前日と同じような……まるで再現でもしたかのような、交通事故が起こった。

 大型トラックの横転。前方の乗用車、人を巻き込んでの大事故。

 ――そして、今日。

 その現場には、わたしの両親がいて……。

 トラックと直撃した、その一瞬の間に。


 ……死んだ。


 わたしは、自分にできる全てのことをやった。それでも、だめだった。

砂時計の死には、絶対に逆らえない。死は、変えられない。


 ――わたしには、命を救えない……。 


絶望。言葉にならない絶望が、わたしを襲っていた。


十一歳という年齢がだめだった。わたしは、あまりにも未熟すぎたのだ……。と、言い訳することはできる。しかし、だから何だ。

 わたしの両親は、死んだ。死んだら、もう生き返らない。

 そして、砂時計は……未熟なわたしを知り尽くして、両親の寿命をあの日にしたのだろう。

 つまり、わたしが未熟である、なしに関わらず、砂時計の死は確実なのだ。

 人を救うための能力。命を守るための能力。死をくいとめるための能力……。

 ああ、なんて都合のいい解釈。こんなこと、よく考えてみればすぐにわかることなのに。

 ――わたしの能力は、死を見るための能力。死を予測する能力ではない。

 絶望。絶望。限りない絶望。

 こんな能力、何の役にも立たないじゃないか。

 何のために、わたしは死を知らされる。何でわたしだけ、死が見えてしまう。

 ……何で、わたしは命を救えない。


 人は、生きていればいつかは死ぬ。

 自分の両親、親戚、友達……皆いつかは死ぬ。必ず死ぬ。

 そして自分自身も、必ず死ぬ。

 生まれた瞬間から、その人が死ぬことは確定する。

 知識としては、小学生でも知っていることだ。


 しかし、人は死を知らない。……というより、盲目。その直前まで、人は死から目を背けつづける。

 頭で死を理解した人が、その瞬間から「ああ、自分は死ぬんだなあ……」と、毎日そう思いながら生きてはいかない。

 自分や他の誰かが死ぬ瞬間、前後、またはその予兆を感じとった時、はじめて人は死を自覚する。

 そうして死を自覚しても、またすぐに忘れていく。

 それが普通。

 死が見えない普通の人は、そうやって生きている。そう、わたしは思っている。

 

勿論十一歳のわたしがそこまで考えていたわけではない。ただ、わたしは自分の能力に絶望し、そして呪った。

 何で、わたしだけが……。

 もし能力も何もなければ。死を知っていなければ。

 ……確かに、突然の両親の死――これはわたしにとって衝撃的、且つ絶望的なことだ。しかし、それでもまだここまで深い絶望はなかったはずだ。

 死を知っている方が、事前に心構えもできて、心の傷は少ない。そんな理屈もあるだろう。確かにそれは間違いではないと思う。あくまで理屈の上では。

 しかし実際は、そんな理屈はない。決してない。なぜなら、通常人は人の死を知り得ないからだ。

 不治の病によって余命を宣告される。そうすることによって死を知り得ることは確かにある。ただし、その死は種類が違う。予兆を感じ、そして覚悟し……その上で知り得た死。科学的な根拠があり、原因がある。そういう死。

結果的には死ぬということ自体何の変わりもないけれど、決定的にここが違う。わたしが知る、見る死とは。

 わたしが見る死は、言ってみれば交通事故のようなもの。

いつ、どのように起こるか分からない死。覚悟するには、あまりにも無根拠。むしろ、その逆。覚悟ができない。追い詰められる。死という事実だけが、わたしを極限まで追い詰めていく。

 簡単に言ってしまえば、車に轢かれるとわかっていないで轢かれるよりも、轢かれると分かってしまって轢かれる、その方がより強い恐怖を感じることと同じ。

 それが、どうしようもなく理不尽。こんな能力がなければ。砂時計なんて……なければ。


 ――人が、死ななければ。


 ああ、人は死ぬ。

 何で人は死ぬのだろう。何で……。


「ミコトちゃん、本当にかわいそうに……」


 わたしは、かわいそうなんかじゃない。わたしは……。

 不幸だ。

 そして不幸でいることを、不幸に生まれてきたことを、認めなくてはいけない。

 絶望の中で、わたしはそのことを理解し……。しかし、せめて両親の最期……この瞬間だけは――と。

 

 わたしは――最後の力を使って、枯れるまで。……もう二度と、流さないように。

 静かに、静かに、激しく泣いた。


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