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三十と一夜の短篇

スカートをめくる者は己のパンツをさらす覚悟を決めろ(三十と一夜の短篇第49回)

「ノリオー、お前まだスカートめくりとかしてるんじゃねえだろうな?」


 朝メシをかきこむ俺の横に座りながら、兄貴が言う。


「えっ、げほっ! げほっ」


 俺はむしゃむしゃしていたご飯がのどに飛び込んで、思わずむせた。

 咳をしながら涙目で兄貴を見ると、茶碗片手に冷ややかな目を俺に向けている。かわいい弟が自分のせいで咳き込んでるっていうのに、なんてひどいやつだ。


「お前なぁ、もう小四だろ? そんな子どもっぽいことやめろよな」


「あ、兄貴、学校に見に来たのか? おれがそんなことしてたって、証拠はどこにあんだよ!」


 ようやく吸えた息であわてて聞いてみれば、兄貴は呆れたような半目になった。


「高校生が小学校になにしに行くんだよ。去年さんざんやって怒られてたろ。学校から電話までかかってきて」


 おかずとご飯をまとめて口に放り込んで、兄貴が続ける。


「だから、まさか学年上がってもやってんじゃねえだろうな、って思っただけだよ。でもまさか、ほんとにまだやってたとはな……」


「そ、そんなわけねえだろ! 去年は無差別攻撃してたから、学級会で女子たちが騒ぎ出しただけで……」


 もごもごと言ってみるけど、兄貴からの視線が冷たい。

 朝メシがのどにつまりそうだ。


「お前なあ……いい加減にしとかねえと、いまにパンツに泣くぞ」


「はあ?」


 冷たい視線から逃れるためによそを向いていた俺は、兄貴のことばに思わずぽかんとなった。

 

 パンツに泣く?

 兄貴はいま、パンツに泣くって言ったのか?

 こいつ、頭大丈夫か?

 そう思って見てたのに気がついたのか、兄貴は俺をバカにするように笑った。


「あれ。お前、知らねえの? 半津はんつ小七不思議のひとつ」


 得意げな顔がむかつく。

 どうせ俺をからかって遊ぶつもりなんだろ。

 兄貴はいつもそうだ。今日は引っかからないからな。


「あ、ほんとに知らねえんだ」


 バカなことを言う兄貴を無視して朝飯をかきこんでいたら、ぽつりとつぶやく声。

 え、なんだよそれ。


 思わず茶碗から顔を離して横を見たときには、兄貴はもう立ち上がっていた。


「ごっそさまー」


 俺の視線に気づかないのか、兄貴はさっさとからになった皿を流しに運ぶ。


「えっ、なあ! 兄貴! なんだって言うんだよ、教えろよ。なあ、なあってば! にいちゃん!」


 声を大きくして呼ぶけど、兄貴は振り向きもしないで洗面台に向かってしまう。

 

「なんだよ、もう……」


 兄貴のケチ。むくれておかずを箸でつついていたら、遠くから兄貴の声がした。


「はやく食って支度しねえと、遅刻するぞー」


「わ、やば! もうこんな時間!」


 時計を見て、俺はあわててご飯をくちに押し込んだ。朝の皿洗いは俺の仕事だけど、帰ってからやるしかない。


「兄ちゃん待ってー!」


 ばたばた走りながら髪をとかして歯磨きをして、ありったけ詰め込んだランドセルを背負う。

 自転車の鍵を片手に玄関で待ってる兄貴を追いかけた。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽


「ふぃー、セーフセーフ」


「おはようノリちゃん、間に合ったね」


 ランドセルをどさっと机に置いたら、前の席のヤスフミが振り返って言う。

 俺が「まあな」と返事するとヤスフミは首をかしげた。


「ノリちゃん、ズボンずり落ちてるよ。パンツ見えそう」


「お! 気がついたか!」


 さすがヤスフミ。俺の親友だ。

 寝癖がないかいじっていた前髪を離して、俺は机に腰かけた。俺の全身がヤスフミによく見えるようにするためだ。


「兄貴の雑誌に載ってたんだ。腰履きっていうんだって。かっこいいだろ!」


 足を組んでみせたのに、ヤスフミは「うーん」と微妙な顔。


「かっこいいというか……なんか、ズボンが落ちそうで心配になるなあ」


「あー、ヤスフミにはまだ早かったか。でもな、これがおとなの男のファッションなんだぜ!」


 きらりと輝く笑顔といっしょに、雑誌に載っていたモデルの男を真似したポーズを決める。

 腰のポケットに指先を引っ掛けて背中をそらしながら、ちらちらと視線を送るのは、ヤスフミじゃない。


 ヤスフミのとなりの席に座るサオリちゃんだ!


 俺を見てくれよ、という熱い想いを視線に込めてポーズを取ったままじっと見つめてみる。

 けれど、サオリちゃんはすこしも気づくことなく群がる女子とおしゃべりに夢中だ。


「ねえねえ、今日から新しい先生来るって知ってる?」


「あ、あれでしょ。新任の先生。ここの卒業生だって話」


「男の先生かなあ、女の先生かなあ」


 群がる女子のひとりがなにか言うと、サオリちゃんはけらけら笑いだした。となりで聞いていた別の女子といっしょになって、楽しそうに笑っている。


 俺のほうを向くようすはすこしもない。


 だから、俺は一歩踏み出した。

 笑うサオリちゃんの横顔を見ながら距離を詰めて、彼女が振り向く前にそのスカートをめくった!


「きゃあ⁉︎」


 悲鳴といっしょに、サオリちゃんが振り向いた。

 びっくりして丸くなった目と視線がぶつかる。サオリちゃんが俺を見てる。

 

 兄貴、俺まだスカートめくりしてるけどさ。誰のでもやるわけじゃないんだ。もうそんな子どもじゃないんだ。

 俺がスカートをめくるのはただひとり、サオリちゃんだけ。


 サオリちゃん、俺を見てなにか気づかないかな。

 髪の毛を兄貴のワックスでセットしてきたんだよ。

 

 期待を込めてサオリちゃんの反応を待っていたのに、返事をしたのはとなりにいた別の女子。


「あんた、サイッテー!」


 俺をにらみつけるそいつの背中にかばわれて、サオリちゃんは涙目になっている。

 そこからはもう、女子たちによるやかましい大合唱。


 そしてやってきた担任の先生への告げ口で俺は、昼休みをひとりで静かに過ごすことになってしまった。


▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽▽


 窓の外、グラウンドで遊ぶみんなの声が遠くに聞こえる。

 厚いカーテンを開ければまぶしいくらいの陽が部屋を照らすのだろうけれど、そうしたらますますみんなの声が聞こえてしまうから、俺はあえてカーテンを開けずにいた。


「まったく、なんだってこんなとこの掃除しなきゃいけないんだ」


 女子から口ぐちに騒がれた先生は、俺に資料室のそうじを言いつけたんだ。


 三階建ての校舎のいちばん上にある資料室は、紙の束とかが詰め込まれた物置き。

 同じ階にあるほかの教室は音楽室とかパソコンルームとか理科室とか、鍵のかかった教室ばっかりだから、休み時間にあがってくるやつなんていない。


 だから、ここはすごく静かだ。

 静かにひとりで、サオリちゃんの気持ちを考えてみろ、って先生は言った。

 そうじはついでだって。


「そんなこと言われたって、わっかんねえよなあ……」


 ひとりきりなのをいい事に、俺はぶつぶつ声に出す。

 廊下につながる扉は開けたままだけど、どうせこの階には誰もいないんだから構わないだろ。


「サオリちゃんの気持ちなんて、俺が知りたいくらいなんだから。気持ち、気持ち」


 つぶやきながらぞうきんを片手に棚を拭く。


「スカートめくられる気持ちなんて、わかんねえなあ……俺、めくられたことないもんなあ」


 そう言いながら窓枠を拭きに向かったとき。

 かたん、と後ろで物音がした。


「お? ヤスフミか?」


 扉を振り向いて見たけれど、期待した友だちの姿はない。

 こっそり様子見に来てくれたのかと思ったのに、気のせいだったみたいだ。


「なんだ。つまんねえの。パンツー、パンツを見られたらー。どんな気持ちになるのかなあ」


 テキトーな節をつけて言いながら、また窓枠を拭く。

 俺も一度、スカートをはいてみればいいんだろうか。

 サオリちゃん貸してくれるかな。


 そんなことを考えていた、そのとき。

 ひゅ、と風が吹いた。

 く、とかすかに引っ張られる感覚があって、すとんと何かが落ちる。

 同時に感じたのは下半身の開放感。


「え?」


 何だろう。

 足元に向けた視線の先には、むき出しの足。

 そして、丸見えになった俺のパンツ。いつもなら隠されているはずの場所がばっちり見えてしまっている。守ってくれるはずのズボンは、はるか足元だ。


「わっ、や、いやあー!」


 驚きと恥ずかしさが爆発して、思わず叫び声をあげてしまった。

 そのとき、後ろでぱたぱたと足音がして俺は気がついた。


 そうだ。俺のズボンを引きずり下ろした犯人がいる!

 思った瞬間、振り向いた。けれどそこには誰もいない。

 いや、開きっぱなしの扉にヤスフミが駆け込んできた。


「ど、どうしたの?」


 息を切らせたヤスフミが言いながら、目を丸くする。


「え? ほんとに、どうしたの? パンツ、丸出しだよ」


「誰かにやられたんだ!」


 俺は慌ててズボンを引っ張り上げて、ゆるめにしめていたベルトを思い切りきつくする。これでもうやられないぞ。


「ヤスフミ、誰かとすれ違わなかったか?」


「ううん、誰も会ってないけど」


 不思議そうに首をかしげるヤスフミが、うそを言っている様子はない。


「だったらどこかに隠れてるんだな! 誰かが、俺のズボンを下ろしたんだ」


 ぜったい見つけてやる。

 そう気合を入れて歩き回ったけれど、この階にある他の部屋はどれも鍵がかかっていた。

 階段はヤスフミが登ってきたところだけ。もうひとつ非常階段はあるけど、この階で授業があるとき以外は鍵がかかってる。

 屋上につながる階段もあるけど、そこだってやっぱり鍵がかかってる。


「やっぱり、たまたま落ちたんじゃない? ノリちゃん、ズボンぎりぎりまで下げてたじゃない。なんだっけ、腰履きとか言ってさ」


 いっしょに見回りをしたヤスフミがそう言うけれど、そんなわけはない。


「そんなことない! だって俺、聞いたんだ。ズボンが落ちたあとに誰かが走ってく音。そのあとすぐにヤスフミが来たんだから……」


 言いながら、俺は今朝の兄貴のことばを思い出していた。

 七不思議。パンツに泣く、とかなんとか……。

 

 俺のズボンはたしかに、誰かに引っ張り落とされた。

 けどこの階にいたのは俺ひとり。

 それってつまり……ぞわっと背中が泡立った。


「や、ヤスフミ戻ろう!」


「え? うん。そうそう。ぼく、もう帰っておいでって呼びにきたんだよ」


 首をかしげながらも歩き出したヤスフミの後を追って、階段を降りる。

 降りながら、俺は決意していた。


「……俺、サオリちゃんにあやまる。スカートめくってごめん、って」


「どうしたの、急に」


「うん……なんか、パンツが丸見えになるのって嫌なんだなって、思ってさ」


 言いながら、さっきズボンが落とされたときのことを思い出していた。

 あのなんとも言えない、心細いような不安な気持ち。

 スカートをめくるたびサオリちゃんもあんな気持ちになっていたのだとしたら、すごく、なんか、悪いことしたな、って。


「そっか」


 ヤスフミは笑わず、茶化さずうなずいてくれた。

 だから、俺もサオリちゃんにあやまろうって気持ちがかたまった。


「よっしゃ、急いでサオリちゃんとこ行ってあやまるぞー!」


「あ、ちょっと待ってよ! 階段飛び降りたら危ないって、ねえ、ちょっとノリちゃん!」


 俺たちがバタバタと駆けおりたあと。

 かちゃり、と理科準備室の鍵が開いたのを俺たちは知らない。

 そこから出てきた人影はふたたび鍵を閉め、さっそうと階段をおりてくる。


「さぁて、パンツを披露したい子はいませんかねえ?」


 そう呟いた人影は新任教師にしてこの学校の卒業生であった。

 在校時にスカートめくりをする数多の男たちのズボンを引きずり下ろし泣かせてきた、恐怖の女として語り継がれているそのひとだということを、そのときの俺たちはまだ知らなかった。

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― 新着の感想 ―
[良い点] なんということだ。 [一言] オチが全くの予想外でした!
[良い点] くだらねえことやって大笑いするのは小学生の特権ですよね。 いましたよ。ズボン下ろしをしまくった女子。 たいていは男子からなにかちょっかいを出し、その報復でしたが、代理で報復して追いかけまわ…
[一言] ノリオくんのお兄さんは、小学生の頃に七不思議で脅されながら叱られたりしたのでしょうか。それとも痛い目を見た世代の話を間近で聞く機会があったのかしらん。 スカートめくりに腰パン、なんとも懐か…
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