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<後編>

「まるでハチが飛びこんでくるのを、知っていたみたいね」


 彼女はぽつりと、そんなことを言った。

 まあね、三十回以上も今日を繰り返してきたから。きみとは登校の時に何度もぶつかって、蹴られたり、逆にぼくがタックルして倒したこともあったっけ。きみはあの時、ひざをすりむいたよね、悪かったね。どうせ、覚えていないだろうけど。


「え? どういうこと? 私にタックルって」


 しまった、自嘲的な考えを心の中で呟いたつもりが、つい実際に声に出ていたみたいだ。変なヤツだと思われただろうか。

 しかしぼくは、作業的に繰り返すこの毎日に(毎日といっても同じ日なんだけれど)、疲れを感じていたのかもしれない。どうせ何かのきっかけでリセットしてしまうなら、今している、この会話も「なかったこと」になるのだ。王様の耳はロバの耳、じゃないけど、誰かに言いたくなっても、仕方ないじゃないか。


「ぼくは主人公で、物語の登場人物なんだ。そしてきみも……すべては―――」


「神様」ってやつの、手のひらの上なんだ。


 そんな風に、ぼくは彼女にすべてを話していた。

 朝起きたら、机の上に「神様」のメモがあって、その禁止事項を破ると、朝に戻って、自分の部屋のベッドで起きる時点からのやり直しになることを。


 彼女は最初、「何かコイツの中の変なスイッチを押してしまった、ヤバイ話が始まったぞ」と苦い顔だったが、ぼくの話を聞くうちに、推理パートの名探偵のような、真剣で神妙な顔つきになっていた。

 ぼくは愚痴まじりで、胸の内のすべてを話し終えた。ああスッキリした。


 さて、神様? このやり方に対して、ジャッジはどっちだ? 登場人物が「私もあなたも、登場人物ですよ」とサブキャラに教えるのは、アリだろうか? ナシだろうか?


 ……しばらく待ってみた。


 ベッドに戻ることはなかった。


 確かに、これは、「テンプレ展開」とは呼べないからな。

 ただ、真面目な顔をしている彼女の沈黙を、ぼくは少し不思議に感じた。

「あの? もしもし? 黙っていられると、この空気、逆にツライんだけど。妄想癖とか、中二病とか、バカじゃないの、って笑ってくれた方がまだマシというか」

「笑うことなんてできない。たぶん、わたしも、あなたと同じ」

「……同じ?」

 学校の廊下で、向かい合うぼくたち。

 彼女の目が笑っていない。冗談ではなさそうだ。


「この世界に違和感を感じている、異なる世界の住人……」


 彼女が右手をゆっくりと上げ、手を広げた。その手の中に、青白く輝く光の粒が集まり、ひとつの形となった。

 それは、棒状のものだった。まるで指揮者が手にする指揮棒みたいだったが、ひと周り太い。ごてごてと装飾品もついている。星や翼、ハートを模したマークで飾られていて、プラスチックみたいなピンク色の光沢。玩具みたいに安っぽい。


 彼女がなにやら「ラ行」や「パ行」がやたらと多い、恥ずかしい呪文を唱えながら、手にした棒を一振りすると、可愛らしい弾む効果音と共に、制服姿が一変する。


 フリルやリボンで、ごてごてとデコレーションされたコスチュームの「魔法少女」へと変貌したのだ。

 綺麗な栗色のロングヘアは、いつの間にかボリュームが増したピンクのロールへと変わっていて……。

「これが、わたしの本当の姿」

 うわあ! 魔法少女だよ! おそらく、異世界からこっちの世界に修行のためにやってきた、とかそんなヤツだよきっと!

 ウィッグじゃなくて地毛でピンクのロングヘアって、実際に見ると目にキツイな!


「神様」は絶対見逃さないだろうな、コレ! また逆戻りだ!

 そしてぼくはまたベッドの中に! 制服に着替える前のジャージ姿に! 時計を見ると早起きとも言える時刻で! 何度やり直すんだ!  

 ん……あれ?


 ぼくはまだ、学校の廊下にいた。

 目の前には、アニメから抜け出してきたみたいな、ピンク髪の魔法少女が、相変わらず、ぼくを見つめている。

 なぜだ? なぜ戻らない?


 ぼくはてっきり、ベッドで目を覚ましたら、例のあのメモに「異世界からやってきたけど素性を隠している魔法少女ヒロインとかありがち」とか「ヒロインがピンク髪ってベタすぎじゃね?」とか、そんな腹立たしい文章が追加されるものだとばかり……。


 ストレートすぎる中二病展開って、逆に盲点なのだろうか? 


 そんなはずはない、「テンプレ展開」の究極みたいなものじゃないか。なぜ「神様」はリセットしないんだ? 


「何もしてこないみたいね、神様」

 ぼくの表情を見て察したのだろう、先ほど話した内容から、彼女は既にどういうものなのか理解したようだった。

「正体を知られないために……というか、変身する瞬間を誰かに見られないために、わたしは時間を停止して固有結界を張る能力を持っているの。今も、そう」

「時間を……停止……? まさか、神様は、その設定があるから」

「時間停止中は手出しができない、とか?」

 察しの良い彼女は薄く微笑んで、ぼくの言葉を先取りする。

「きみが固有結界……時間を停止させている間は、ぼくはリセットされずに済むってことか!」

 なるほど、テンプレな悪友や委員長の存在もそうだが、《作中の設定》に従うのなら、神様もその範疇でしか手を出せない……これは発見だ!

「だけど、五分が限界なの」

「え? 時間を停めているんだから、五分とか、時間の概念って関係ないんじゃないの? 好きなだけ停めていられる、とかじゃないのか?」

 その間に、神様への打開策をゆっくり考えようと思ったのに。

「残念ながら、この結界を発生させるにも魔法力を消耗するから……結界の発生から五分間経過すると、自動的に解除されてしまうの」

「結界の中で、四分五十九秒経ったら再度結界を張り直す、とかできないの? それを繰り返して無限に延長しまくるような手は」

「だめ。結界魔法は大きな魔法だから、途中で張り直すとか、できない。……あと三分」

 魔法少女は腕時計を見ながら(腕時計は動くんだー、ふーん)残り時間を告げた。

 ぼくが、《作中の設定》とか言い始めたら、急に後付け設定が増えた感じもするな……まあいいか、反撃のチャンスが見えてきた。

「変なことを聞くけどさ、魔法って他にも色々使える?」

「ええ、まあ……」


 ぼくは可能性に賭けて、こんなことを聞いてみた。


 「神様」を殺す魔法ってある?


 彼女は、「それは、世界を滅ぼす魔法……」と驚いた顔をした。ということは、「ある」ということだ。

「古文書を調べれば、分かるかも」と呟いた彼女を見て、ぼくは確信した。


 ぼくが小説の「主人公」なら。

 彼女は間違いなく、この小説の「ヒロイン」だ。



 自分の部屋のベッドで目覚めた。

 カーテンの隙間からは、薄暗い室内に朝日が差し込んでいる。

 見慣れた天井。どこか安心できる、嗅ぎ慣れた、自分のベッドと、枕の臭い。

 寝巻代わりのジャージ姿。ぼくはこれから、戦闘服にも等しい制服に着替える。

 時計は見なくても分かってる、きっとまだ早い時刻なんだ。 


 五分間が経過し、魔法で作られた、時間を停止させる結界の制限が訪れ、隙を見逃さない神様によってリセットされた。

 自分の部屋の「いつもの」ベッドから目覚めたというのに、「また同じ一日が始まったか、もうウンザリだよ」という気の重さは皆無だった。

 大きな変化を起こせるかもしれない。

 今、ワクワクを抑えられない、ぼくがいる。

 机の上のメモ、一応見てやるか。やっぱり、


「異世界からやってきたけど素性を隠している魔法少女ヒロインとかありがち」


「ヒロインがピンク髪ってベタすぎじゃね?」


 ぼくの予想通りの文章がふたつ追加されていた。

 はははっ、これは、ぼくが神様の思考パターンを逆に予測できるようになってきた証拠なのかなぁ?


「ある用事」を済ませてから、余裕をかまして登校。

 ルーティンワークではあるが、身に降りかかる「主人公が遭遇しがちなテンプレトラブル」を軽快にかわしていく。

 何度も経験済みだから軽快にかわしていける。もうすぐこれらともお別れだと思うと、不思議なもので、あれほどイヤだったのになんだか名残惜しい気すらしてくる。


 登校途中、「突撃少女」こと「転校生」こと「魔法少女」と遭遇するポイントで、ぼくは物影に身をひそめる。

 ぼくとぶつからず、すんなりと進んでいく彼女の後をそっとつけて、少しずつ距離を詰めていく。

 妙な気配を感じたのだろう、振り返る彼女。

 ぼくが予想以上に近すぎたせいか、「うわっ近っ。なんですか、ってゆーか誰ですか」とのけぞった。

 悲しいかな、あの昼休みに交わした会話もリセットされているんだな、と再確認。わかってたけど。わかっていたがゆえに、ぼくには準備してきた手段がある。

「これ読んで」

 ぼくは登校前に準備しておいた手紙を差し出す。

「え、これって……。あの、わたしたち、初対面、ですよね?」

 手紙の中身を、色恋沙汰と勘違いしているのか、ちょっと頬を染めた彼女は、周囲の視線を気にしながら、手紙とぼくの顔を見比べる。

「読めば分かる。学校に着くまでに読むこと。学校に着いたら、きみはぼくのクラスに転校してくるだろうけれど、あくまで他人だ。今朝、手紙をくれた人だよね、とか話しかけないでほしい」

「はあ……?」

「ぼくは、きみの正体を知っている者だ」

「えっ?」


 ぼくは決め台詞を残すと、彼女の答えを待たずに、置き去りにして走り出した。

 振り返ったら、きっと、今のセリフの真の意味を考えて、複雑な表情の彼女がぽつんと取り残されていることだろう。初対面の人間から突然こんなこと言われても、面食らうのは分かるけど。


「待ていコラ!」

 速えな、彼女、走って追いついてきた。こんなにアクティブな子だったのか。ぼくは全速力で逃げ出した。

 手加減なく走っているはずなのに、彼女は手紙を持ったまま、ぼくの横に並んできた。

「正体って何よ……言ってみなさいよ……はあ、はあ」

「だから、今はワケあって言えないんだって! とにかくその手紙を読んで! はあ、はあ!」

「ぜえ、はあ、なにかのワナじゃないでしょうね」

「ワナ……じゃないって、はあ、はあ、はあ、どこまで並走してくる気だよ! 話ならあとでする! その手紙に時間と場所を指定してある! そこで詳しく話そう!」

「絶対よ! あと、あたしは負けるのがキライなの! うおおおお!」

 彼女は雄叫びを上げ、長い髪を振り乱し、ぼくを追い抜いて行った。みるみるうちに姿が小さくなっていく。

 追いかけていた人間を追い抜くなよ。


 その日の昼休み。

 ぼくは、前回と同じように、開いていた廊下の窓を閉めた。窓ガラスの向こうで、かつんとハチがぶつかってくるが、室内に入ってくることはできない。

「なるほど。前のあたしは、まるでハチが飛びこんでくるのを、知っていたみたいね、とか言ったのね」

 近くにはいつの間にか彼女が立っていた。


 手の中に魔法のステッキを出現させ、例の呪文を唱えると、変身した。

 フリフリの《魔法少女》衣装ではない。 

 ボディラインがぴっちりと出るようなマリンスーツのようなフォルムに、各部にごてごてと装置がついた、SFっぽいデザイン。さらさらとなびく長い髪の色も、ピンク色ではなかった。CDの読み取り面を思わせる、光を反射して虹色に光るシルバー、という奇抜なものだ。

「どんな格好にも変身できるけれど、なんでこういうのを……」

 着てる本人は恥ずかしいものらしい。お尻や胸元が気になるのか、自分で確認している。

「今はもう、時間を停止させる固有結界、発動しているんだよね?」

「ええ。あと四分四十秒。三十九、三十八……」

「カウントダウンしなくていいから。時間が勿体ない。アレは持ってきてくれた?」

「ええ、古文書。言われたとおり、《神殺し》の究極魔法が書いてある……」


 彼女に送った手紙の中身は、ざっとこんな感じ。

 きみが異世界から来た、魔法少女だと知っているぞ、なぜならぼくは「今日」を何度もやり直している特別な能力があり、前回きみの正体を見たからだ。ピンクのロール髪、リボンやフリルで飾られた衣装、星や翼やハートがちりばめられた魔法のステッキ。このステッキに関してはわざわざはイラスト入りで説明して……という感じのアピール。


 その後も、この世界は「小説の世界」であり、ぼくもきみも「登場人物」であること、「神様」から監視されていて、特定の状況下でループする、などの《設定》説明。


 続いて、「神様」を倒さないとこのループからは抜け出せない、きみが使える時間停止の固有結界が必要だ、そこで今日の昼休み、西棟の廊下で話をしよう、というお誘い。

 ハチが窓から飛び込んでくる、あの廊下だ。


 ただし、「ピンク髪」、「魔法少女」という設定は、「神様」が既に禁止しているので、伏せることにして、別ジャンルのSFっぽい姿に変身してほしい。たとえば髪の色は虹色に輝く銀色で、スーツはこんな風に……と、ここでもイラスト入りで己の願望を余すところなく説明。


 《神殺し》の魔法があるかと聞いたら、きみは「古文書を調べればわかるかも」と言ったので、その古文書も持ってきてほしい、と付け加えた。


 どうやら彼女は、ぼくの手紙に書かれていたことを信じてくれたようだった。実際に見た者でないと知り得ない情報をちりばめたのが、功を奏したらしい。

「で? どうして《神殺し》の魔法が必要なのか、まだ聞いてなかったけど」

「どうして? どうしてって、ぼくは何十回もこの世界を、今日という一日を、ループし続けているんだよ? 終わらせるために決まってる」

「終わらせてどうするの?」

「どうするって……明日へ進むんだよ! フツーに生きてれば、同じような一日を積み重ねる場合はあるかもしれないけれど、自分以外に誰も、一緒の時間を蓄積してくれないってのは、結構精神的にキツイんだよ」


 するりと、そんな言葉が自分の口から出た。これまではっきりと言葉にはしなかったけれど、これがぼくの本当の、心の奥の本音なのかもしれない。


「あなたの事情は分かった。それで、あたしが、あなたに協力するメリットは?」

「メリットなしじゃ、協力してくれないのか?」

「誰だってそういうもんでしょ。ループしているのを認識しているのはあなただけで、言ってみれば、あなたがこの先何百回、何千回と繰り返しても、こちらは気付かないし。ってゆーか、気付けないんだし。逆に、このままにしといても、あたしに何か問題あるの?ってことよ。だから、あたしが手を貸して、こっちに何かプラス要素があるのか、って確認しときたいの。……あと三分三十秒。ちなみに、《神殺し》の呪文詠唱には約一分かかるから、実質的にはあと二分半未満ね。どうする? あなたの側に加担することで、あたしの利益とか、得とか、あるわけ?」


 主人公の危機には、メインヒロインは無条件で協力してくれるものだとばかり思っていたけれど、こいつ、がめついな……。


「なんてったって世界崩壊の呪文だもんね……あんたにとっては、小説の世界だっけ? そうかもしれないけど、ここにいるあたしにとっては、リアルそのものなんだから。この世の終わりを自ら招く、ってことになるのかもしれない。言っとくけど、あたし、自殺願望とか無いから。あんただけが一方的に得して幸せな、その状況になんの意味があるのか、なんの価値があるのか、そういうコトを言いたいワケよ、あたしは。さて、残り二分を切りましたけど」

「うわー! なんでもします! 成功の暁にはなんでも言うこと聞きますから!」

「ん? 今、なんでも、って言ったよね」

「言いました言いました! ホントーになんでも聞きます! あと何秒?」

「一分四十五秒」

「ひぃー! あ、あの、土下座すればいいですか?」

「ヒクツすぎる……あんた、それで自称・主人公なの?」

「どうすりゃ言うこと聞くんじゃー!」

「逆ギレした! 襟首掴まないで、まったく、人に物を頼む態度じゃないよね、それ」

「ごめんなさいごめんなさい! テンパリまくってて! あの、あと何秒ですか?」

「一分三十秒切りました」

「じゃあ、質問するけど……きみの、望みって何?」

「……望み?」

「ぼくみたいに、よくわからないヤツの手紙に呼び出されて、話を信じて、こうして《神殺し》の呪文が書かれた古文書も持ってきてくれた。それって、頼みを聞いてやる方向に考えが動いている、とぼくは思うんだけど。何かを変えたくて、来てくれたんじゃないのか?」

「まあ……そうね。変えたい、ってのは、あるかもね」


 さっきまでのツンツンした態度が、弛みだした。

 ここだ、ここがチャンスだ。ギリギリまで攻めてやる。


 ヒロインがしんみりと自分の過去を語る、長ゼリフのシーンに突入しようとも、そこに突破口があるはずだ! 

 しかし、間に合わなければすべてがやり直しになる。あと残り何秒だろうか、それだけが気にかかる。

 焦りと緊張で、口の中が乾いてきた。


「あたしは、向こう側の世界……魔法というのが当たり前にある世界から、こっちの世界に来た。それは、人間の世界で修行とか、悪い魔王がこっちの世界を狙ってるから救いに来た、とかそんな重い使命があったんじゃなくて、んー……ただの、逃避? 世界の境界線を超えちゃうレベルの、家出みたいなもので」

「家出?」

「そう、家出。変化のない日常。同じようなことの繰り返し。それが今だけじゃなくて、この先もずっと続くかもしれない。それに退屈して、絶望して、全部イヤになったのね、きっと」

「……それはぼくも、似てるかも」

「うん。あんたの気持ち、少し分かる。だから、こっちの世界に来てみたの。最初は楽しかった。なにもかも知らないことだらけ。魔法文明で考えられない、科学の生活。新しいこと、未知のものばかり。それが本当に、本当に楽しかったの。でも、最初だけ」


 彼女はそこで、天を仰いで、ため息をついた。


「退屈していた場所とは、違う位置に立っている。目に見える視界は、世界は、別モノ。確かにそうなんだけど。でもね、元の世界から、変わった世界でも、そこに住むあたしが慣れてしまえば、飽きてしまえば、結局、元の世界と同じように、濁ったような、くすんだような、そんな薄い膜に覆われて、生きることになるのかなって、諦め始めたところ。さらに新しいことを探そうとはしてみたんだけど」

「それで、転校生として、こっちの世界の高校にでも通ってみるか、って考えたのか」

「うん、そうしたら、なにかまた、違ってくるかも、って。あんたに手紙を渡された時は、正直、ときめいたのよ。ほらキタキタ、始まりだ、って」

 じゃあ、協力してくれよ……と言いたいのを、ぐっと堪える。

 焦る気持ちを態度に出さないように注意しながら、彼女の腕時計をチラッと盗み見る。

 残り三十秒!

 実質的には一分三十秒だが、《神殺し》の呪文詠唱に必要な一分かかるって言ってたし、それを引いて、三十秒……いや、今はもう既に、二十八、二十七……。

「ひとつ、約束する」

 ぼくは、言葉を慎重に選びながら、口にする。ここで彼女の機嫌を損ねたら、もうアウトだ。

「約束って?」

「《神殺し》の魔法を使って、この世界がどうなるかは、ぼくにだって分からない。ただし、これは、退屈な日常に飽き飽きしていたきみなら、共感してくれるはずだ。新しいことを始めて、日常のなにかが変わるかも、と期待する高揚感。それを今からやろうよ、ってことだ。きみにとってのメリットは、もう、支払っているんじゃないのか?」

「高揚感がそうだというなら……まあ、そうね。それぐらいの価値は、あるかな」

 あっさりと認めてくれた。

「で、さっきの、約束ってなによ?」

「ぼくがこの世界の主人公だ。そして傍らに立つ、きみをメインヒロインに認定する!」

「あはは、なにそれ、メインヒロイン認定? それはそれは、ありがとーございまーす」

「感謝の気持ちが全然こもってない」

「あんたさっき、言ったよね? あたしが、今日を終わらせてどうするのか、って質問したら、明日へ進むって。フツーに生きてれば、同じような一日を積み重ねる場合はあるかもしれないけれど、自分以外に誰も、一緒の時間を蓄積してくれないってのは、結構精神的にキツイんだよ……だっけ?」


 勢いだけで言った青臭いセリフを他人の口から復唱されると、かなり気恥かしいものがあるな……。


「あれ、結構効いたわ。あたしもこっちの世界に来て、どこかそういう気持ち、あったから……。自分以外の誰かが、一緒の時間を蓄積してくれないのが精神的にキツイなら、隣にメインヒロインがいてあげる」

「え?」

「とにかく! さっさと始めましょう、呪文詠唱。仮にこの《神殺し》の魔法を使って、この世界が崩壊しようが、あたしは元の世界に逃げれば無事でいられる話なんだし。別次元だもの」

「今までのいい話が台無しだ!」

「その時はあなたを、私の元いた世界に連れてってあげる。で、あたしが主人公ポジションってことで、よろしくっ」


 白い歯を見せて微笑む彼女。ぐう、可愛い。悔しいけど可愛い。

 言い方を変えれば、世界崩壊の首謀者と、可愛い実行犯。なかなか愉快な主人公とヒロインじゃないか。


「じゃ、始めるよ」彼女は古文書を開き、ゆっくりと呪文の詠唱を始める。

 古文書のページに記された図形が、光を放ち、宙に浮かび、踊るように彼女の回りで舞い始めた。光は強くなり、彼女を包み、広がって、ぼくの視界も真っ白に染めていく。古文書から、おそらく科学では測りきれないエネルギーが放出され、熱風となって吹き出す。

 詠唱には約一分かかると言っていた。残り時間は一分以上あっただろうか。

 もしも足りなければ、時間停止の固有結界が途切れて、ぼくはまたリセットされてしまうのだ。

 光の洪水の中で、彼女の声だけが聞こえる。

 目を開けても閉じても変わらない、優しい白い世界の中で、ぼくは手を合わせて祈った。

 祈るって、誰に? 

「神様」じゃない、ヒロインにだ。



 彼女の声が消えた。

 瞼の向こうの、眩しい気配が消えている。

 いつもどおりの、眼を閉じた暗闇の世界。

 背中と後頭部に柔らかな感覚……ぼくは、横になって寝ているのか。


 ぼくは、ゆっくりと目を開けた。

 見慣れた天井。ぼくの部屋のベッド。ジャージ。時計の時刻はまだ早い。

 薄暗い室内に、カーテンの隙間から朝日が漏れる。

 まさか……まさか……時間が足りなかったのか? 

 呪文を読み始めたあの時、もう残り時間は一分もなかったのか?

 また、「やり直し」なのか?

 おそるおそる、机の上を見る。そこにはメモがあった。

 こんな文章が追加されていた。


「ヒロインとのラブコメっぽい会話とかもありきたりだよね。ボーイ・ミーツ・ガールとか、過去作品で誰もがやってることでしょ? 魅力的なヒロイン、禁止」


「う、う、う、うわあああっ!」

 ぼくは叫んだ。

 きっと、《神殺し》の呪文詠唱の時間が足りたか足りなかったか、効いたか効かなかったか、そんなことは関係なかったのだ。


 時間を停止させる固有結界という《設定》の都合上、それが終わるまでは待ってやる。

 ただし、それが終わったら、何があろうと、やりたいようにやる。

 ネコがネズミをいたぶって、傷つけて、ひと思いに殺さずに、のたうちまわりながら逃げる様子をニヤニヤと眺めているような、そんな意地の悪さに心底腹が立った。希望を与えてから絶望に突き落とす、その悪趣味に吐き気がした。


「なーにが新展開を望む、だ! やってることは可能性のしらみつぶしだ! 打開策なんて、逃げ場なんて、最初から用意されてないじゃないか!」 


 ぼくはベッドの上から枕を掴むと、叫びながら、怒り任せに部屋中の物に当たり散らした。

 机の上から教科書や文房具が飛び、本棚からは本が舞って、床へと散らかる。

 あっという間に部屋がカオスになっていく。


「テンプレ展開の全否定はやめてくれ、神様! 過去作品で誰もがやってること? 魅力的なヒロイン禁止? ぼくにどうしろと? つまらない、味気ない作品が見たいのか!」


 ぼくの頭には、「隣にメインヒロインがいてあげる」と恥ずかしげに言った、彼女の可愛らしい顔が浮かんでいた。次に会う時は、また、ゼロからだ! 初対面からだ! 

 むしろ、彼女が魅力的なヒロインになったから……「魅力的なヒロイン、禁止」に引っかかったのか? 彼女の魅力が招いたのがこの結末だなんて、あんまりすぎる。


「ありきたりなものをすべて排除していけば、新しいものが見つかる? 斬新なものだけが残る? それは違うだろ! 残らない! 残らないんだ! 残るとしたら、それは、誰かが思いついたけど誰もが手をつけなかった、クソつまらないカラッカラの絞りカス、残りカスだ! 前衛的すぎて、シュールすぎて、見向きもされない作品もあるかもしれない! 見たことがないものなら、それでいいのか? いいわけないだろ! 先人たちが試行錯誤を繰り返し、これまでの失敗例から成功例を導き出した、楽しめる要素、面白い展開、エンターテイメントの歴史の結晶……それを踏まえることの、何が悪いっていうんだ!」


 ぼくは、部屋の天井に向かって怒鳴った。「神様」に届けとばかりに声を張り上げて。


「ありきたりとかテンプレとか、悪いイメージの言葉を使うのはやめてくれ! ツボを押さえた王道、そう、『王道』なんだ! こうだったら面白いのに、こんな話が見たいのに、そんな要求の、そんな欲求の、ド真ん中ストライクで答える手法! ぼくはそれを否定しない! したくない!」


 目の奥から熱いものがこみあげてくる。


「ぼくだってラノベくらい普通に読むから知ってるさ。確かに……人の心を動かす物語のパターンは使い尽くされて、どれを見ても手垢のついたものに見えるかもしれない! これさえ入れておけばウケるんだろ、そんな安っぽい浅い考えで、とりあえず過去作品を踏襲してみました、なんて輩もいたかもしれない!」


 泣いちゃだめだと自分に言い聞かせ、ぐっとこらえる。


「けれど、新たな物語は、今、この瞬間だって、生み出され続けている。自分ならではのオリジナルのエッセンスを盛り込みながら、方向性を探りながら、過去作品と比較され、こんなの前にも見たことあるなあと悪意に晒されて批評されながら……」


 ぼくは、これまでに出したことがないほどの、大きな声を上げた。


「それでも人は、物語を作るのを、やめないんだっ! なぜか分かるか、神様っ!」


 テンションが上がったぼくは、握りしめた手に力がこもり、枕を力一杯床に投げつけた。

 机の上に乗っていた「神様」のメモは、床に散乱した教科書たちに埋もれていたが、その衝撃で舞い上がった

 ぼくの目の高さまでふわりと浮いたそのメモは―――


「あれ……」


 メモには、さっき見た

「ヒロインとのラブコメっぽい会話とかもありきたりだよね。ボーイ・ミーツ・ガールとか、過去作品で誰もがやってることでしょ? 魅力的なヒロイン、禁止」

 の文章があったのだが、文字が消えていく。

 一文字ずつ紙から離れ、光の粒になって、砂のようにさらさらと崩れて文字が空中に溶けていくその光景は、「ヒロイン」の古文書の呪文の詠唱シーンを想起させた。

 ぼくの目の前で、長い長い禁止事項がすべて消滅し、メモは白紙になった。


 そして、文字が消えたそのメモに、一文字ずつ、ゆっくりと浮かび上がり、文章が追加されていく。


「でも、よく頑張ってくれた。懸命に模索する、その過程を見せてもらった。きみの行動は、評価に値する」


 更に、文字は続いていく。


「テンプレ展開を避ける道も自分なりに見つけたことだろう。もう、解放してやろう。今日一日は普通に過ごし、明日に進むがいい」


 え?

 神様からの「明日に進むがいい」宣言?


 ぼくはもう、解放されるのか?

「しかし、神様を尊敬する気持ちを忘れないように。いつでも見ているぞ」との文章を最後に記し、文字の動きが止まった。


 すべて、終わった。

 大きなため息をひとつつくと、ぼくはベッドに倒れ込む。


 遠足や運動会を終えた一日の終わりのような、疲労感がどっとやってきた。

 今日は「神様から評価してもらった記念日」と勝手に決めて、学校を休んでしまおう。

 ぼくは目を閉じ、二度寝を決め込んだ。もう疲れた。本当に疲れたんだ。


 考えてみれば、朝起きて、朝食を食べて、学校に行くという、当たり前の生活サイクルをベースにしているから、これまで「テンプレ展開」にぶち当たって、苦しんでいたのかもしれない。

 一日中、部屋に引きこもってベッドでゴロゴロしている主人公ってのも、斬新じゃない?

 なんて、「斬新」という言葉に縛られ、「新展開」を心配する必要も、もうないわけだけれど……。


「早くご飯食べなさい、遅刻するよー」と階下から母親が呼ぶ声がする。

 仮病で休む主人公が、ベッドから動かずにモノローグだけで終始する物語。

 いいんじゃないの。目新しいよね。主人公のぼくとしても、すごくラクだし。

 これくらいいいでしょ、「神様」? ぼく、さんざん苦労したんだから。


 ぼくがベッドから出ずにいると、階段を昇ってくる足音が聞こえた。一段、また一段、近づいてくる。


 きっと母親だ。うざい。起きない理由を訊かれたら、なんて言おうか。腹痛? 頭痛? どっちでもいいか。医者に行けとか言われないかな。

 ぼくは小説の主人公で、あなたは主人公の母親なんだよ、なんて正直に話したら、アタマの医者に診せられるかも。

 頭まで布団をかぶる。厚手の布を通して、部屋のドアを開ける音が聞こえた。


「うわ、部屋、きったない。もう、こーらー、なんで起きないのよ」


 この声は、母親ではない。女性ではあるが、もっと若い。この声は……。


「べ、別に、あんたが心配なワケじゃないんだからね。おばさんに頼まれたから、起こしに来てあげただけ。遅刻なんてされたら、あたしの監督責任になっちゃうじゃない? いっつも寝坊して。まったくもう……」


 あ、なんかイヤな予感がする……おい、その先のセリフは言うんじゃない!


「せっかく、あたしという幼馴染が起こしに来てあげたんだから、早く起きなさいよね!」


 朝、幼馴染が起こしにくるなんて「ド定番」なパターンやりやがって!

 ああ、待って下さい、「神様」!

 機嫌を損ねないで! これは違うんです! 戻さないで! 戻さないでー!


 ぼくは幼馴染の口を押さえるために飛び起きたつもりだったが、そこには幼馴染はいなかった。



 錯乱したぼくが散らかしたはずの部屋も、元通りに片付いている。

 カーテンを開けていない部屋はまだ薄暗く、早起きとも言える時刻で、ぼくはジャージ姿で……。


 思わず机の上を見てしまうのだった。



【了】


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