<前編>
初めての投稿になります。
前編部分です。後編もすぐに上げる予定です。
よろしくお願いします。
「私は神様だ。きみは物語の主人公、小説の登場人物である。ありきたりなテンプレ展開はもう飽きた。新展開を望む」
朝起きたら、机の上にそんなメモが置かれていた。
ぼくみたいな一介の男子高校生の部屋に自由に入って、寝ている間にイタズラができるのは同居している家族くらいだろうけど、ぼくに兄弟はいないし、両親はこんなイタズラを仕掛けるタイプではない。
神様からの伝言? ぼくが主人公? しかも、小説の?
ぼくが「登場人物」で、このカラダが文字列で構成されているとでも?
いやいや、それはない。
そんな馬鹿げた思考を巡らせていたら、階下から「早く朝ご飯食べなさーい、遅刻するよー」と母親の呼ぶ声が聞こえた。
時計を見る。冷や汗。
そうだ、こんなことで時間を潰している場合ではない。本当に遅刻してしまう。
気持ちを切り替え、慌てて制服に着替える。
階段を駆け下りて、洗面所で顔を洗い、家族と挨拶を交わして、食卓につく。
一応、「ぼくの部屋の机に変なメモ、置いたりしてないよね?」と父と母に確認してみたが、ふたりとも「なに言ってるの?」という顔だった。
まあ、こっちだって「親が犯人かも」と本気で疑っていたわけじゃない。ただの確認だ。
朝のテレビ番組では、占いコーナーが始まっていた。まずい、そろそろ出ないと本当に学校に遅れる。
ぼくはコップの牛乳を喉に流し込み、カリカリに焼いたトーストを頬張ると、手櫛で後頭部の寝癖を直しながら、
「ごめん、遅刻しそうだから、もう出る!」
サラダやハムエッグには手をつけずにダッシュで家を出た。歯も磨いてない。
かなりギリギリだ……隣の家の玄関先に立っていた、幼馴染の心配そうな顔が視界の端にちらりと見えたが、そんなのは無視だ。
声を掛けたら、どうせ「また夜更かししてたんでしょ、いつも寝坊して」とか文句を言われて「あたしも一緒に走ってあげるから」とか並走してくるに決まっている。
そういうのを誰かに見られたら恥ずかしいんだから、待たずに先に行けって、ぼくは何度も言っているのに、幼馴染には聞き入れてもらえないのだ。
律儀に、ぼくが登校する時間に合わせて、一緒に家を出てくるのだ。
とにかく! ここまで遅れた原因は、あのメモのせいだ。何が神様だ。
ぼくは気合いを入れて走り始める。
「遅刻だ、遅刻!」
―――そこで目が覚めた。
見慣れた天井が、視界に飛び込んでくる。
ぼくはまだベッドの中にいて、寝るときのジャージ姿だ。まだ、制服に着替えていない。
時計を見る。登校には早い。むしろ、いつもより早起きだ。
口にくわえていたはずのトーストも消えている。
さっきのは夢だったのか。
遅れそうになって、大慌てで登校するなんて、ずいぶんリアルな夢だったような気もするが……でも、夢なら、メモの存在にも説明がつく。
夢の中なら、不条理だろうが意味不明だろうが、何でもアリだし。
そう、あれは夢だったに違いない。
しかし……、イヤな予感が胸をよぎる。
ぐるりと首を回し、机に目を向けると、メモがあった。
嘘だろ?
まだ夢の続きなのか?
「私は神様だ。きみは物語の主人公、小説の登場人物である。ありきたりなテンプレ展開はもう飽きた。新展開を望む」
手に取ってみると、メモの内容は夢で見た内容とまったく一緒だ。
ん? いや、違うな。
もう一行、文言が増えている。
「主人公の遅刻で始まる物語など、ありきたりで使い古されたものである」
と追加されていた。
は? どういうこと?
「主人公の遅刻」ってのは、もしかして、ぼくがトーストをくわえて、このままだと遅刻だ、と焦っていた、さっきのアレを指しているのだろうか?
というか、遅刻の件は夢じゃなかったのか?
これじゃあ……ぼくが本当に「小説の主人公」みたいじゃないか。
このぼくが?
主人公?
いけない、こんなことを考えて時間を取られていたら、また遅刻しそうになってバタバタと焦る流れになってしまう。
でもまあ、ぼくが本当に主人公なら、できればハーレムもので、ちょっとエッチなラッキースケベ展開とかも期待したくなるけどね。
メモの文章を見ながら、そんな願望を妄想して自分で苦笑しつつ、ぼくは、気分転換にカーテンを開けて、朝の光を室内に取り入れた。
密接して建っている隣の家には、ぼくと同い年で、同じ高校に通う、幼馴染の女の子が住んでいる。
彼女の部屋は、ぼくの部屋の窓と向かい合っており、ジャンケンの手が見えるくらい近い。
小さい頃は、ハシゴを窓から窓に渡して橋代わりにして、お互いの部屋を往来したこともあった。
落ちると危ないからやめなさい、なんて親に注意されたものだけれど。
この時間にぼくがカーテンを開けることなんて、滅多になかったからだろう。
すっかり油断していた彼女は、自分の部屋のカーテン全開で、制服に着替えていた。
カーテンを開けたばかりのぼくは、下着姿の彼女と、ばっちり目があった。
……白か。
一瞬、お互いに硬直して絶句したあと、真っ赤になった彼女は勢いよくカーテンを閉めた。
―――そこで目が覚めた。
気付けば、ぼくはまだベッドの中。ジャージ姿。
さっき開けたはずの部屋のカーテンは閉まっていて、室内は薄暗い。
時計を見る。登校にはまだ早い。早起きといえるレベルの時刻。
あれ? また夢を見ていたのか?
瞼を閉じれば、下着姿で白い肌を大胆に晒した、幼馴染の肢体が頭にはっきりと浮かんでくる。
ブラを押し上げる胸元の豊満な曲線。膝上まで上げていた制服のスカート。贅肉のない薄いウエスト。中心には可愛いおへそ。ちょっと太めの長い脚。あと鎖骨。ぼくは鎖骨や首筋フェチなところがある。それはどうでもいいか。
そんな刺激的な光景を思い出していると、ムラムラ、違う、モヤモヤして、なんとも落ち着かない気分になる。
変だな……実際に目で見たような、リアルな記憶がある。これが夢なもんか。彼女が顔を真っ赤にして、こっちを睨みつけてシャッとカーテンを閉めた瞬間の様子、はっきりと覚えているんだけど。
イヤな予感がして、机の上を確認。
やっぱり、「神様」のメモは、あった。さらに文言が増えている。
「主人公の遅刻で始まる物語など~」という、あの文章の後ろに、また改行して、
「カーテンを開けたら女の子の着替えシーンと遭遇するような展開も、ありきたりなものである」
これはどういうことだ。
ぼくが体験したことがそのまま、このメモに反映されている。
確かに、言われてみれば、寝坊した主人公が「遅刻する~」とパンを口にくわえて学校へ急ぐような物語の冒頭など、もう使い古されすぎて、ひと回りしたベタなギャグみたいな感はあるし、女の子の着替えている場面に出くわすなど、少年マンガではお馴染みすぎる、ステレオタイプなサービスシーンではあるけれど。
このメモの主が本当に「神様」で、ぼくが「小説の主人公」だと仮定すると、神様が設定した「ありきたりなテンプレ展開」のカテゴリを外れる行動こそが「新展開」で……「主人公」であるぼくが意識的に行動し、そういう「新展開」に転がすのを望んでいる、ということなのだろうか。
このぼくに?
うーん、と首をひねっても、答えなんか出てくるはずもない。
でも、イベントとかで絶対に遅刻できない日って、精神的な緊張作用かもしれないけれど、「ギリギリで起きる夢」を何度も繰り返して見ちゃうことってあるし。
自身の精神状態が作り出した、現実みたいな夢。そういうやつかもしれない。
ぼくは、軽く考えることにして、机の上のメモを丸めてゴミ箱に入れると、制服に着替えて朝の支度を整え、ちゃんと朝食を済ませて、余裕で玄関を出た。
いつもだったら、隣の家の玄関先に、幼馴染の女の子が立っているのだけれど、着替えを見られた気恥ずかしさからか、今日は見当たらなかった。
きっと、ぼくとは時間をずらして登校するのだろう。
ぼくだって気まずい。間近に居られたら、目撃した下着姿が脳裏に鮮明に蘇って、悶々としてしまいそうだ。
春の日差しが心地よい、朝の通学路。ぼくと同じ制服たちが、揃って歩いていく。
家が学校に近いので、電車もバスも自転車も使わず、ぼくは毎日徒歩で登校している。
何も起こらない。皆は普通に歩いている。ぼくも普通に歩いている。
至って平和な日常の光景そのものだ。
あのメモの主が誰なのか、何の意味があってあんなイタズラをしたのかは分からないけれど、やっぱり「奇妙な夢」だったのだと、そう考えることにした。
問題のメモと一緒に、悩みもゴミ箱に放り投げて、きれいさっぱり捨てたのだ。
気が楽になって、鼻歌でも歌っていると、急に誰かがぶつかってきた。
丁字路の横道の死角から、向こうが勢いよく飛び出してきたのだ。反動で、ぼくも、相手も、地面にしりもちをついて転倒してしまった。
「いてて……」
顔を上げると、ぶつかった相手は、ぼくと同い年くらいの女の子だった。同じ制服だったけれど、見覚えのない顔。学年が違うのかもしれないし、同じ学年でもぼくが知らないだけなのかもしれない。
「ちょっとアンタ、どこ見てんのよ! ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
女の子は攻撃的な口調で文句をぶつけてきたが、ぼくはそれよりも彼女の下半身が気になった。しりもちをついた時に、大胆にもM字開脚状態になっており、スカートが捲れ上がってピンク色の可愛らしい下着があらわになっていたのだ。ぼくの視線の先に気付くと、彼女は恥ずかしそうにスカートを押さえ、立ち上がった。
「な、な、何見てんのよ、やらしー! このスケベ! ヘンタイ!」
女の子の綺麗な脚が、見事にぼくの顔面にヒットした。
―――鼻血を覚悟したぼくだったが、気づくとベッドにいた。
ケガをして病院に運ばれたとかじゃなさそうだ、鼻を押さえたが、痛みはない。
ここは、自分の部屋のベッドだ。
カーテンを開けていないので、まだ薄暗い部屋。
そして、まだ制服に着替えていないジャージのまま、時計を見るとまだ早起きとも言える時刻……。
また夢か! また「神様」なのか! ぼくは飛び起きて、机の上を睨む。
やっぱり、あった。ぼくが丸めてゴミ箱に放り投げた、あのメモが。シワも折れ目も一切なく、まっさらな状態で。
文章は、「神様」からの見慣れたメッセージ、遅刻と、カーテンを開けたら着替え、という二つの追加要素に、さらに三つ目が加わっていた。
「女の子とぶつかって転んだ拍子にパンツを見るような展開も禁止」
二回目までなら、きっと夢だ、気のせいだ、で済んだかもしれないが、さすがに三回を越えると事情が変わってくる。信じざるを得ない。
つまり、メモの主こと「神様」は、「テンプレ展開」にぶつかると、時間を巻き戻して、その日の朝、ベッドの中でぼくが目を覚ますところからリスタートさせている、ということだろうか?
これは「夢」ではなく、ぼくにとって「現実の時間」をループさせている?
ありきたりなテンプレ展開はもう飽きたから、ぼくに「新展開」を見つけさせるために、「やり直し」をさせている?
自分の願う目が出るまで、サイコロを振り続ける。そういうことなのだろうか。
そう結論づけると、この奇妙な現象にも、一応、筋は通る。自分が「小説の主人公」だという突拍子もない設定は、いささか信じがたいけれど。
とにかく、「どこかで見たような、ありきたりな展開」を回避していかないと、今日という一日を永遠にループすることになるみたいだ。
えーと、まず、遅刻はしない、カーテンを開けて幼馴染の着替えを見たりしない、女の子とぶつかってパンツを見たりしない。経験から導き出したこの三つだけでも、踏まえて行動するとしよう。
朝の気分転換にカーテンを開けたりなんて絶対にせず、遅刻せずスピーディーに支度を済ませて家を出発する。よし、ここまでは順調。
死角から飛び出してくる女の子にもぶつからないように……場所もタイミングも分かっているのだから、避けるぐらいは簡単にできる。だけど、ぼくの記憶によると、同じ制服を着ていた彼女は、結構可愛い子だったような気がするのだ。
ぶつかって倒れて、お互いに最悪の出会い方さえしなければ。もっと普通に知り合っていれば、いい友達になれたりして。あるいは、トモダチを越えて、カノジョとか……なんて甘い期待をしつつ、ぼくは彼女の飛び出してくる丁字路で足を停めて、立ち止まってスタンバイした。
どん、と横から女の子が突っ込んでくる。
反動で転びそうになる彼女を、手を伸ばして支えてあげた。
「ちょっとアンタ、どこ見てんのよ! ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
前回、聞いていたセリフと一字一句変わらない内容に思わず笑えてくるが、今回はこちらに落ち度はなく、完全に向こうの不注意だ。改めて容姿を見ると、やっぱり、栗色のロングヘアが印象的な、可愛らしい美少女だった。
「でも、転ばなかっただけ、良かったでしょ? そっちがぶつかってきたんだし」
ぼくが言うと、彼女は、むすっとして不満そうに黙りこんでしまった。自分に非があるのを認めざるを得ないのだろう。そこですかさず、「良い出会い方」に変えるため、名前を聞くことにした。
「ケガがなくて何よりだね。ところでキミ、あまり見ない顔だけど名前は」
「ふん! 今後は気を付けることね! じゃ、あたし急ぐから!」
ぼくの言葉を遮ってそれだけ言うと、彼女は走って行ってしまった。機嫌は悪かったようだけど、ヘンタイ呼ばわりされて顔面に蹴りをくらうよりはマシか。
ぼくは空を見上げる。
どうだい、「神様」。彼女が転ばなければ、パンツが見えることもない! 少し残念だけどね!
こうして無事に登校したぼくは、自分の教室へ。
「おっす」
クラスメイトの悪友が、挨拶もそこそこにガッツリと肩を組んできた。機密情報だと言わんばかりに、周囲を確認すると、小声で話し始めた。
「お前、知ってるか?」
「なんだよ」
「今日、うちのクラスに転校生が来るらしいぜ。しかも、とびっきりの美少女」
へえー、とぼくは合鎚を打った。
―――ベッドの中で。
カーテンを開けていない部屋は薄暗く。ぼくはまだジャージ姿で。時計はまだ朝早い時刻を差していて……。
また戻ってる! おかしいじゃないか「神様」っ!
今回は「テンプレ展開」らしい何かと、遭遇した記憶がないんだけど!
もう当たり前の動作のように、ベッドから起きて机の上のメモを確認する。
次の文章が追加されていた。
「女の子の情報にやたらと詳しい悪友の存在とかもありきたりな設定、だよね?」
知るかよ!
キャラクター配置までケチをつけられたら、どうしようもないじゃないか! あと、口調がやたらとフランクなのも腹が立つ! 「だよね?」じゃねーよ!
どうしてぼくがこんな理不尽な目に遭わなくてはいけないんだ……ええい、深く考えていると遅刻フラグを立ててしまう。
手早く朝の支度を済ませ、家を出た。
また、丁字路から飛び出してぶつかってくる彼女と出会うシーンも、やり直すことになるのか。今度は、突撃してくる彼女をうまく抱きとめて、少女マンガ的な出会い方を格好良く演出して、機嫌を損ねないような「良い出会い方」に変換できれば……いやいや、「少女マンガ的」な出会い方はマズイか。
「神様」に「テンプレ展開」カテゴリだと判断されたら、またベッドの中まで逆戻りだ。
悪友が言っていた「転校生がくるらしいぜ、とびっきりの美少女」というセリフも気になるところだ。
実はそれ、伏線なのかも。
丁字路で出会い頭にぶつかってくる彼女、便宜上「突撃少女」とでも名付けようか、「突撃少女」こそ、噂の転校生に違いない。
同じ制服を着ていたけれど、学校では見かけたことがないのも、それの裏付けになる。
きっと、朝のホームルームでぼくと顔を合わせた「突撃少女」は、開口一番、
「あーっ! あの時の!」
とか言うのだ。
ベタベタな展開、しかしありえないとは言えない。
ぼくが「小説の主人公」であるならば、ぼくを包むこの環境は「小説の世界」なのだから。
それを回避するにはどうすればいいか。あ、その前に、転校生の情報を教えてくる悪友の設定をどうすりゃいいんだ。
などと、歩きながら考えているうちに、どんっ、と横から人にぶつかられた。
しまった、いつの間にか「突撃少女」とのエンカウント地点、丁字路に来ていた!
ぼくにぶつかった彼女が、反動で転ぶ瞬間が、スローモーションで目に飛び込んでくる。
このままだと彼女は転倒してしりもちをつき、M字開脚状態になってピンク色のパンツを見せ、ぼくはまたベッドにループ……。
させるかっ!
ぼくは自分が転びそうになりながらも、体勢を立て直し、低い姿勢から足を踏ん張って猛ダッシュ。
彼女に渾身のタックルをかました。
転んでしりもちをつきそうな姿勢から、さらに吹っ飛ばされた「突撃少女」は空中で一回転したあげく、うつぶせ状態でアスファルトに豪快に倒れた。
「いた……いたた……ちょっとアンタ、初対面の相手に、なんで渾身のタックル決めてくんのよ! ちゃんと前見て歩きなさいよ!」
奇跡的にも、彼女は膝を少しすりむいただけで、他はどこもケガしていなかった。そして、ぼくがパンツを見る事態も回避できた。残念だけど。
「良かった。無事で」
やりすぎたのでもっとひどいケガしてるかと思った。
「無事じゃないでしょ! 足すりむいたし! サイテー! 今後は二度とタックルすんな! 時間があれば説教してやりたいけど……あたし急ぐから、じゃあね!」
怒りの形相でこちらを睨みつけたあと、「突撃少女」は走って去っていた。足を引きずる感じじゃないし、ひざ、大丈夫そうだな。ちなみにぼくは無傷である。
しかし、これは「フラグ」を立ててしまった気がする……。
学校に到着し、教室に入ると、悪友が「おっす」と肩を組んできた。
「わーわーわー聞こえない! 転校生の情報とかいらない! そしてお前とは絶交! 友達でもなんでもないから! 赤の他人ですから! 誰ですかあなたは! 近寄らないでください! ほっといてください!」
両手で耳を塞いで大声を上げながら、ぼくは悪友の腕から逃げた。
悪友は「なんだコイツ……」と可哀相なヒトを見る目でぼくを見てきたが、これ以上関わらない方がいいと判断したのか、何も言って来なくなった。
彼には申し訳ないが、これでループは免れた。女の子の情報にやたらと詳しい悪友がクラスにいようが、主人公のぼくに関わってこなければ、ただのモブキャラでしかない。
担任の男性教師が教室に入ってきて、朝のホームルームが始まる。
「今日はみんなに、新しくクラスメイトになる仲間を紹介する。入ってこい」
そう呼ばれて入ってきたのは、予想通り、あの「突撃少女」だった。
ひざに絆創膏を貼った彼女は、愛想の良い営業スマイルを浮かべ、来たばかりの転校生らしい社交辞令を始めた。ぶつかった一件がなければ、あるいは「神様」の監視さえなければ、なんて可愛い子が同じクラスに転校してきたんだろうと自分の幸運に感謝するところだったのに。
「えーと、みなさん、はじめまして。こういう挨拶は得意ではないのですけど、早くクラスに馴染んで、いい友達ができれば、と思っています。あ、自己紹介がまだでしたね。私は……」
そこまで言って、クラス全員の顔を見渡すと、ぼくと目が合った。
「あーっ! あの時の! タックル野郎!」
―――自分の部屋のベッドの中で、ぼくは「分かってたし。こうなると思ってたし」と負け惜しみ気味に呟いた。
こう来るんじゃないかって。予想はついてたし。
気付けばぼくは自室のベッドの中でジャージ姿、時計を見れば早起きとも言える時刻。部屋はカーテンで薄暗くて。はいはい。
ルーティンワークとして机の上のメモを見ると、追加されていたのは次の文。
「転校生とは既に会っていて、再会した二人で、あ、あの時の!的なヤツ、禁止」
ほーら、やっぱりね!
「神様」の言い方が最初の頃と比べるとどんどんフランクになっていて、的なヤツ、って何だよ、いうツッコミをしたくもなるけれど、そこは抑えて、今回の反省を次に生かそう。
そうじゃないと、ぼくにとって永遠に「明日」が来ない。
カーテンは開けない、遅刻はしないのは当然として、転校生と「既に会っている」フラグを避けるため、ぼくはいつもと違う登校ルートで学校に向かうことにした。美少女との出会いがなくなるのは惜しいが、仕方ない。「突撃少女」が出てくる丁字路さえ近寄らなければ、朝のホームルームより前に会うこともないだろう。
念には念を入れて、学校に着いたあとも、まっすぐ自分の教室に向かわず、わざと校舎内を遠回りして、普段は通らない廊下を抜けていくことにした。
これでホームルームぎりぎりに教室に飛び込めば万全だ。悪友が転校生の情報を教えにくるヒマさえ与えない。
だが、遠回りしたその廊下で、クラスメイトの「ある女の子」と遭遇した。
担任の男性教師から、授業で使う資料を資料室から出しておいてくれ、とかそんな用事を頼まれたのかもしれないが、彼女は冊子を山にして両手に抱え、重そうに歩いている。
「もう、どこ行ってたの。先生に言われたんだけど、ちょっとこれ、手伝ってくれる?」
そう言えば、本日、ぼくは日直であり、彼女とペアだった。
そして、彼女は、眼鏡に三つ編み、あだ名は「委員長」という、テンプレなクラス委員なのだった。
―――はい、またベッドの中に逆戻りですよっと!
悪友もそうだったけど、キャラ設定はしょうがないじゃん!
薄暗い室内でまだ制服に着替えていないジャージ姿のぼくは、机の上のメモを見ると、
「メガネで三つ編みな委員長の女の子とかベタだよね、却下!」
と追加されているメモをびりびり破った。
「転校生」フラグを回避して、まさか学校の廊下で「委員長」とエンカウントするとは……それを「神様」が「テンプレ展開」カテゴリに含めるとは、誰が予想できようか?
ぼくは悪くないよね?
リスタートの回数が三十回を超えたあたりから、ぼくはもう数えるのをやめて、これは「作業」だと思うことにした。変に感情を挟むと、悔しいだけだ。
朝起きて、時計を見るまでもなく早起きと言える時間帯だと分かっているけれど、習慣で時刻を確認して、ジャージ姿のぼくはベッドから身を起こし、机の上のメモを熟読して、「やってはいけないこと」を頭に叩き込む。
最初のシンプルな文字数と比べ、ずいぶんと「禁止項目」が増えたものだ。
「委員長」を避けて教室に行こうとして、幼馴染の女の子と階段でぶつかり、二人で抱きあうように転がり落ちて、肉体と人格が入れ替わり、女の子のカラダになってしまったりもした。
肉体の入れ替えが起こらなくても、倒れたイキオイで押し倒す格好になり、偶然胸を揉んでしまったり。あるいは転がってもつれた先で、偶然にも女子更衣室に飛び込んでしまったり。
登校ルートを変えた先でトラックに轢かれ、ファンタジーな異世界に転生した時はかなり驚いたものだが、これすらも「テンプレ展開」になっているようだ。異世界にもいろいろあって、剣や魔法やドラゴンが登場する王道系や、歴史上の偉人や戦国武将がなぜか全員美少女になっている擬人化系……ぼくは様々な異世界に転生しまくった。
だが、リスタートの壁は越えられない。
トラック以外の車にも轢かれてみたが(慣れというのはおそろしい)、今度は「あなたの魂があの世に行く前に、契約してくれる?」と、大きな鎌を持った自称・死神の女の子が出現し、また強制リスタート。
死の向こう側にすら、美少女キャラとの出会いがある。自殺もままならない。
「神様」は色々と勉強をしてやがるようで、ゲーム・漫画・アニメ・映画などの「テンプレパターン」を網羅しているらしく、ぼくは行動にどんどん制限をつけられていくばかりだった。
ゲームでいえば「死にゲー」とでもいうのか、あまりにも難易度が高いアクションゲームで、死ぬのを何十回、何百回と繰り返して身をもって攻略法を覚える、というのがあるが、あれに匹敵する気がする。
これが正解、あっちは不正解、と前もって教えてくれず、様々なパターンを自分で実際に試してみて、「これはダメ」な選択肢をぷちぷちと潰していく感じなのだ。
さて、三十何回目かの「同じ朝の登校」で、「突撃少女」との遭遇を避けながら学校に到着、「委員長」の仕事の手伝いからは逃げ、「女子の情報に詳しい悪友」には絶交宣言、もはや流れ作業感覚でこなし、「昼休みに購買部前で焼きそばパン争奪戦」もせず、「今日は天気がいいから屋上でメシにしようか」的展開も見せないまま、ぼくは男子トイレの個室に籠り、昼食も摂らずに、昼休みをじっと耐えていた。
「授業をサボッて帰る」と「同じようにサボッている不良たちに町中で絡まれる」フラグが発生し、「なぜか日本刀を持ったサムライ気質の女の子に助けられる」ことがあったので、とりあえずは下校時間までは学校で頑張るしかない。下校時間を過ぎて家に帰っても、何かの「テンプレ展開」が待ち構えているかもしれないと思うと、気が重いが。
昼休み終了のチャイムが鳴り、ぼくは男子トイレから出て教室へと向かった。
向かう途中の廊下で、「突撃少女」こと「転校生」とすれ違った。
あ、このパターン、十五回目あたりで経験したやつだ。開いていた窓の隙間からハチが入ってきて、慌てふためき逃げ惑う「転校生」がつまづいて転んで、ぼくを押し倒す態勢になり、重かったのはこちらだったにも関わらず「こ、このヘンタイ! いつの間にわたしの下に潜り込んだのよっ!」と屁理屈言われてリスタートしたんだっけ。ラッキースケベは基本的にアウトなんだよなあ。悔しいけど。
一連の流れは掴んでいる。ぼくは、完全に閉まっていない廊下の窓を見つけて、ぴったりと閉める。窓ガラスの向こうに、ハチがぶつかってくるのが見えた。
ただ、違っていたのは、「転校生」の反応だった。
これから「襲い来るであろう」ハチに対して、あまりにも迷わずスムーズに対処したのが逆に不自然に映ったのか、彼女はぼくに不思議そうな視線を遠慮なしにぶつけてきた。
「まるでハチが飛びこんでくるのを、知っていたみたいね」
【続く】