七章『彼女たちは語り合う(3)』
それは、彼が旅立ってすぐのことだった。
朝、さくらは目覚めると何かが胸に引っかかっているような、なんだか釈然としない気分にとらわれていた。
そして、その気持ちは机の上に置かれた手紙を見て、確信に変わる。いや、それは手紙といえるような代物ではなかった。
ただ、一言。
――みなみを頼む。
とだけ、書かれていた。
正直、予感はあった。みかげが町を出ていったことは知っていたし、それが彼に何らかの影響を与えたことは確かだった。
今でも鮮明に覚えていることがある。
それが、ひなたの差し出してくれた手と、彼の笑顔だった。
“ひとりぼっち”という病から自分を救ってくれた人。
思えば、多分あのときから、さくらは――。
気づけば、自然と足が動き出していた。手紙を握り締め、走り出す。まだ間に合う。絶対に間に合う。
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彼女が彼を見つけたのは、町の入口(出口ともいえた)だった。あと少し遅ければ、間に合わなかったかもしれない。
さくらは額に浮かんだ汗を拭いながら、
「待って!」
と、ひなたの後ろ姿に叫び声を投げかけた。ひなたはその声に反応して後ろを振り返る。さくらは彼の顔を見て察した。自分では多分、彼を止めることはできないだろう、と。
「何か用?」
想像以上に冷たい声が、さくらに投げかけられた。しかし、彼女はこのままひなたと別れるわけにはいかなかった。別れるつもりもなかった。
ひなたは無言のまま、彼女の言葉を待っている。さくらは意を決して口を開いた。
「なんで……?」
口を開くと同時に涙が零れそうになり、さくらはそれを必死に堪えた。
「なんで、黙って行っちゃうの!?」
ひなたは、気まずそうにさくらから視線をそらした。そして、何かを考えるようにじっと一点を見つめた。そんな態度にじれったくなったのか、さくらが叫ぶ。
「答えなさいよ!!」
ひなたは、ゆっくりとさくらの顔に視線を戻した。先ほどまでの思いつめた表情は消え、幾分か柔らかさを取り戻していた。
「あなたと会えば、決心が鈍る」
さくらにとって、その答えは予想外のものだった。しかも、嬉しいものだった。
「僕はあなたと一緒にいたい。でも……」
堪えきれずに、さくらの頬を涙が伝う。ひなたの顔は苦渋に満ちていた。
「でも、僕は行かないといけない」
彼は覚悟を決めたのだ。さくらもみなみも、さらに故郷をも捨てて、彼を追うことを……。
「…………って」
とても小さな声だったために、ひなたは最初それが聞き取れなかった。
「あたしも一緒に連れてって!!」
2回目はしっかりと聞こえた。耳から脳にそのまま届いたのではないかというくらいに、ひなたの頭にじかにその声は沁みこんだ。
もう涙は止まらなかった。止める気もなかった。さくらはそのままひなたの元に駆け寄り、彼の胸に飛び込んだ。
ひなたは困惑気味に彼女をそっと抱きしめる。
「またあたしを、ひとりぼっちにしないで……」
それは、さくらの切実な願いであり、ひなたには彼女の気持ちがよく分かった。
「あなたはひとりぼっちじゃないですよ」
だから、ひなたはできうる限りの優しい声でそう言った。その顔は、すっかり普段のひなたの顔に戻っていた。
「みなみもいるし、仲間もいる」
「でも!」
さくらはひなたを抱きしめる腕の力を弱めない。
「でも……あなたはいない」
ひなたはさくらを抱きしめたまま彼女の目を見つめて、にこりと笑った。
「全てが終わったら、あなたを迎えに戻ってきます」
その屈託のない笑顔は彼の心からの笑顔だった。
「本当?」
上目遣いに、さくらが訊ねる。
「僕はできない約束はしません」
ひなたはそう言うと、もう一度さくらを強く抱きしめた。
「だから約束します。全てが終わったら僕はあなたを迎えに帰ってきます。必ず」
そうして、さくらから身体を離すと彼女の頭を軽くなでで、後ろを向いた。ゆっくりと歩を進めるひなた。
「ひなた!」
その背中をさくらが呼び止める。しかし、彼の足は止まらない。
「行ってらっしゃい!!」
ひなたは右手を挙げて応える。
さくらは、だんだんと小さくなっていく彼の背中が完全に見えなくなるまで見送った。彼女たちは決して長い付き合いではないが、浅い付き合いでもない。
つまり、彼女は気づいてしまったのだ。彼がしてくれた約束とは正反対の、彼の意志に。
最初、彼が振り返ったときのあの表情が、それを如実に物語っていた。
フブキやみかげを追うということはそういうことだ。
きっと、ひなたは自分が死ぬ(正確には殺される)可能性を考慮に入れて、自分やみなみを置いていくことに決めたのだろう。
一度、ひとりぼっちを経験した者の目の前で、自分が死ぬわけにはいかない。
自分の死で、またひとりぼっちにしてしまってはいけない。
だから、君らとはここで別れる。
ここにいれば、ひとりぼっちじゃないから。
さくらは彼にそう言われた気がして、これ以上彼に縋れなくなったのだ。彼の約束を“信じる”しかなくなったのだ。
彼女はつぶやく。この約束が決して破られないように。ひなたが自分を二度と“ひとりぼっち”にするはずなどない、と信じて――。
「絶対に帰ってきてね……」
と。




