零章『例えば仮に、ここを“はじまり”とした場合』
――とある町。名前はもう忘れた。もはや覚えている者など居もしない。
夜、半分くらい欠けた月が闇を照らす。散りばめられた星々が微弱ながら月の光に付き従う。人工的な明かりはない。ただあまりにも儚い自然の光だけが2つの影を映し出していた。
そんな小さな森の中で竹刀が何かにぶつかる音が響いた。それと同時に乱れた息遣いが聞こえた。
「ぐぁ!!」
うめき声がして人が倒れる音がした。続いて、幼い子どもの声。
「今日は僕の勝ちだね」
どうやら先ほどの2つの影は小さい男の子たちのようだ。笑いながら自慢げに言う男の子の方は細身の体で優しそうな顔つきをしている。竹刀を片手にした男の子の蒼い髪は目を引くほど綺麗でどこか女性的に見え、それもあいまって一見女の子に見えなくもない。
「うるせぇよ!!」
倒れていた男の子が起き上がる。こちらは年齢の割りに鍛えられた体をしていた。髪の毛は紅く短髪で、一言で言えば、わんぱくな少年、といった感じである。手には物騒にも拳銃が握られている。
「お腹もすいたし、そろそろ帰ろうか?」
勝ったほうの男の子がにこっと満足げに笑う。
「はいはい」
負けたほうは素っ気なく答えると、体についた土を払った。
少年たちが家路に着こうと町の方に目を遣る。ここは町からやや離れた場所にある森。木々が邪魔をして全体を見渡すことはできないが、その隙間からちょっとだけ見えた自分たちの町は、なんだかいつもと違って不気味に見えた。
「……ねぇ、カゲ」
カゲと呼ばれた少年、負けたほうの少年は、こくりと頷く。
「なんか嫌な予感がするな。急ぐぞ、ひなた!!」
そう言って一足先に町に向かって駆け出していくカゲ。その後に、ひなたと呼ばれた少年が続く。自分たちの見慣れた町の様子がおかしかった。
まるで闇が町を飲み込むかのような、そんな不吉な予感が2人を襲ったのだった。
「なんだ、これ……」
町に戻ってきた2人の少年は絶句した。それもそのはず、町の大半が大破し、人影もまばらだった。いや、正確に言えば“生きている人間”がまばらだった。あちこちに死体がころがり、泣き叫ぶ人の声が遠くで聞こえた。
「……」
一言で言うならば、悪夢だった。少年たちは呆然とした眼差しでその光景を見続ける。
しばらくして、頭が現状を理解したのか、まずはひなたのほうが口を開いた。
「…………なんだよ、これ」
手が震える。それが竹刀に伝わり、ガタガタと小刻みにゆれた。無意識のうちに彼の足は自宅へと向かっていた。家族は? いったい、どうなった? そんな思いを胸に抱いて。
「おい、ひなたっ!」
ひなたの隣にいたカゲが叫び、彼が立ち止まらないのを悟ると自分も自宅へと歩を進めた。ある程度、予想はあった。この悲惨な状況で運よく我が家だけ生き残る必然性など何もなかった。
かくして、全ては予想通りであった。
ひなたは顔色を失い、おぼつかない足取りで町中を歩いていた。家は、なかった。家族も、いなかった。死体も、見た。何も、考えられなかった。ひなたはふらふらと、かつて町だった場所を歩く。
不意に、誰かにぶつかった。
「大丈夫かよ、お前」
ひなたがぶつかった相手はカゲだった。
「……カ、ゲ?」
「ああ」
ひなたはきつく唇をかみ締めた。血の味がしたが、それでも止められない。ぶつけようのない感情が彼を取り巻いていく。
「とにかく、落ち着け。俺も混乱してる」
「カゲの――」
問いかけて、やめた。カゲの顔を見れば一目瞭然であった。彼もひなたと同じ思いを味わったのだろう。
お互いに、あえて説明することはなかった。2人は無言のまま町を出ようと決意し、翻したところで見覚えのある男を発見して絶句した。
「!」
そのときのことを、彼らは決して忘れない。その男は無表情のまま2人を凝視していた。記憶の中にある彼とは似ても似つかぬ顔つきに2人の中で何かが弾けた。
「手前っ!!」
まずカゲが飛び出した。その手には強く拳銃が握り締められている。すぐさま、ひなたがカゲに続いて飛び出す。標的は目の前の1人の男。
カゲが拳銃を発砲し、ひなたが竹刀を振るう。完璧に捕らえたと両者は思った。
――が、
「!?」
まさに、男に竹刀を振り下ろそうとしたときだった。ひなたの足が何かにとられる。それが銃弾を簡単にかわして瞬時に接近してきた男の手であると確認するのに1秒かかったか否か。だが、それだけで充分だった。
「うぐっ!!」
今までに味わったことのない、鋭く、そして重い痛みがひなたの体を貫いた。息が詰まる。普段からそこそこ鍛えていたひなたでさえ、死んだと感じるほど強烈な一打だった。そのまま数メートルほど吹き飛ばされ、地面に思い切り体を打ち付ける。
「ひなた!!」
吹き飛ばされたひなたの方にカゲが視線を向ける。それもわずか1秒足らずの余所見というところ。だが、その間に男はカゲの背後に回りこんでいた。
「がっ!!」
気づいたときにはカゲの体も宙を舞っていた。もはや、どこが痛いのか分からないくらい全身がしびれるほど痛かった。
そして、そのまま彼の意識は途絶えた。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「……い……ゲ」
誰かの声がカゲの耳に届く。
「おい、……ゲ!」
それが、いつも聞いていた声だったと気づくに、軽く数分を要した。
「おい、カゲ!!」
しばらく自分のことを呼び続けたのであろうひなたの声にはっと目を覚ますカゲ。どうやら自分たちは生きているようだった。しかし、体はとてつもなく痛い。少しでもどこかを動かそうとすると、容赦のない痛みが走った。
「……ひ、なた?」
カゲは、ようやくそれだけ喋った。ひなたは、彼が反応を示したことにほっとしたように少し笑う。その瞳はやや潤んでいた。それほどまに心配してくれたのであろう。
「み、ん、なは?」
カゲは無理やり唇を動かして、そう訊ねた。その問いにひなたが悲しそうな顔をして静かに首を横に振る。
どうしようもない悔しさが内からこみ上げてきた。悔しさ……? いや、それだけでは彼らの心境を語るには不十分だった。
悔しさ。
憎しみ。
恐怖。
苛立ち。
悲しさ。
そんな負の感情が彼らを丸々支配していた。自分たちの町がなくなった。町の人がみんな死んだ。友だちも、家族も……。そんな状況に陥って負の感情を抱かないほうがおかしいくらいだ。
「俺は、強くなる」
唐突にカゲが言った。瞳には涙がたまっていた。物心つくころからずっと一緒に居たにもかかわらず、ひなたは彼が泣く姿を初めて見た。そして、だからこそその言葉が本気であることを悟り、彼もまた力強く頷いた。
「僕も……強くなりたい」
そのときから2人は揃って道を踏み外したのだろう。
「俺は、絶対に仇を討ってやる」
そのときからカゲは、ひなたとは若干異なった煮えたぎる思いを抱いていたのだろう。
そして、それが因果となったのだろうか。初めは同じように道を外れた2人だったが、小さな亀裂が次第に大きな溝となり、いつしかそれぞれ別方向へ転がり始めることになる。
ただ、今はまだ先のことなど誰も分からない。
――ここから彼らの物語が始まった。




