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 手紙は駐屯地まで届ける必要はなく、途中でパトリスを心配して捜しに出ていたユーゴと出会い託すことができた。

 ユーゴは何か言いたげだったが、結局は何も言わずにクリスは解放されたが、屋敷に戻ってからは伯父にこってり絞られてしまった。


 いつもより遅くなったことと、一人で出かけたことで心配をかけたのだ。

 だが何があったかは言わず、ただ乗馬に夢中になってしまったのだとだけ伝えた。

 きっと、改めてパトリスからお礼の手紙などが届くことはないはずだ。

 別れ際の会話で、そうしてほしくないことは伝わっているだろうから。

 もしかすると、明日もまた来てくれるかもしれない。


 そこまで考えて、デッドに無理はさせられないだろうと思い、落ち込んだ。

 そんな自分が不思議でならなかったが、伯父の書斎から出た時に、喜々とした表情のミカエルを目にして、その気持ちを押し込めた。


「やあ、ミカエル。嬉しそうだね?」


 暗にクリス自身は怒られた後だというのにという嫌みを込めて挨拶した。

 しかし、ミカエルはそんなことはおかまいなしに、クリスを抱きしめる。


「ちょっ、ミカエル!」

「お前だろ!? お前が兄上に言ってくれたんだろ!?」

「何をだよ!」


 窮屈なミカエルの腕の中から抜け出して、クリスは怒ったふりをして訊いた。

 ミカエルはクリスの背中を押して場所を変えながら答える。


「俺、騎士見習いになれるんだよ。昨日、兄上がそれとなく話題に上げてくれて、副隊長が面倒見のいい騎士を知っているから、王都に戻る時に一緒に来ればいいっておっしゃってくれたんだ!」

「すごいじゃないか! 王国軍の第三部隊副隊長が紹介してくれるなんて! よかったなあ」

「まあ、王都に戻る時ってことだから、この始まるかどうかわからない戦争次第だけどな」

「たぶん戦争なんて起こらないよ。確かにカントス山脈を越えてくるなら、比較的勾配が緩やかな南側のこの地方だけど、それにしたって真正面から攻め込んできて、我がモンテルオ王国軍に勝てると思うほうがおかしいよ」

「そうだよな。エスクーム王はいったい何を考えているんだか。そりゃ、サクリネ王国との戦で、我が国は痛手を負っているのも確かだけど、それにしたってなあ……」


 ミカエルは理解できないとばかりに首を振り、それからにやりと笑った。

 クリスがどうしたのかと思えば、今朝のことを持ち出してくる。


「また一人で遠乗りに出かけたんだって? でも、いつもは兄上にばれないようにちゃんと朝食までには帰ってくるのに、いったいどうしたんだよ」

「……ああ、ちょっと怪我をした……鳥を見つけたんだ。あのまま放置していれば狐などにやられると思って、狩猟小屋で治療してあげたんだよ」

「へえ? ちゃんと飛べたのか?」

「た、たぶんね。その、おぼつかなかったけど、とりあえずは大丈夫だと思う」

「ふーん。まあ、たとえ飛べても餌がとれなきゃ生きていけないし、無事だといいな」

「うん、そうだね……」


 どうにか誤魔化せたことにほっとしながらも、クリスはちょっとした罪悪感に襲われた。

 今までミカエルには何でも話してきたのに、今回のことはどうしても言う気になれない。

 その日は昼を過ぎてもミカエルの将来についての展望を聞きながら、時には茶化しながら過ごした。


 そして翌朝――。

 目覚めたクリスはベッドから起き出すと、窓の外を見た。

 今日も快晴だ。

 いそいそと乗馬服に着替えたクリスは、必ず供を連れるようにとのアミラの忠告を背に部屋を出て厩舎に向かった。

 そこで馬丁頭のフィリッポに頼み込んで、また一人で森へとファラを駆る。


 別に約束しているわけではなかった。

 ただ何となく、胸がどきどきして、この先に待ち受けるものを期待しているのだ。

 ギャロップからカンターに変え、そしてやがてトロットに速度を落とし、森の中を進んであの小川を目指す。


「パトリスさん!」


 昨日と同じ、薄茶色の髪の背の高い男性を目にして、クリスは思わず声を上げていた。

 振り向いたパトリスは驚くこともなく、笑顔のクリスを静かに見返す。

 だが隣にいるファラに向けた目はとても優しかった。

 少々複雑な心境になりながらも、クリスはパトリスの連れた馬を見て顔を曇らせる。


「やはりデッドの怪我はひどいんですか? またしっかり走れるようになるんですよね?」

「ああ、大丈夫だ。今日は念のために休ませたんだが、私がこいつに鞍を乗せていると、怒って鼻を鳴らし、前足で地面を蹴って宥めるのに大変だった」


 いきなり饒舌になったパトリスは、それからクリスに向かって灰色の瞳を真っ直ぐに向けた。


「昨日は本当に助かった。ありがとう、クリス。おかげでデッドも大したことなく、皆にも心配をかけずにすんだ。だが、君はカリエール卿に怒られたりしなかったか?」

「い、いいえ。僕はとってもいい子ですから、少し遠乗りの帰りが遅くなったくらいでは怒られないですよ」


 まさかお礼を言われるどころか、自分のことも心配してくれるとは思わず、クリスは驚きながらも冗談で答えた。

 すると、無表情だったパトリスの口角がかすかに上がる。


「とってもいい子は、一人でこんなところまで来ないものだがな」

「それは……普段はばれないから……今日のことも秘密にしてくれますよね?」

「前言撤回したほうがいい」

「え?」

「いい子は秘密を作らないものだろ?」


 パトリスの口調は真面目なものだったが、灰色の目は楽しそうに輝いている。

 冗談を言われているのだと気付いたクリスはつい調子に乗ってしまった。


「じゃあ、怒られたって言えば、何かお詫びをしてくれますか?」

「……女みたいなことを言うんだな?」

「い、いや! それは――」


 冗談で返したつもりだったのに、すっと冷めた表情になったパトリスを見て、クリスは焦った。

 しかも核心を突かれている。

 そんなクリスに対して、パトリスは静かに続けた。


「まあ、お礼はしたいと思っていたんだ。何か欲しいものでもあるか?」

「そんな……今のは冗談ですし……」


 すっかり気落ちしてしまったクリスは上手く答えることができず、俯いた。

 よく伯父に考えてから言葉を発するようにと注意されるが、ちゃんと聞いておけばよかったと思う。

 気まずい沈黙が流れる中で、ファラがいい加減に水を飲ませろと言うように足踏みをした。

 そこで我に返ったクリスはファラの世話に集中する。


「ずいぶん手際がいいな。馬もよく懐いている」

「馬は大好きなんです。いえ、動物は何でも好きですね。ただ狐と狼は嫌いです。家畜を襲うので。ですので、狩猟をする時は狐しか狙いません。兎を見かけてもわざと外して逃がすので、ミカエルにはよく怒られます」


 褒められたことが嬉しくて、クリスはぺらぺらと答えた。

 その後でしゃべりすぎてしまったと後悔してちらりとパトリスを見ると、その表情はかすかに緩んでいる。


(よかった……)


 先ほどは調子に乗って怒らせてしまったが、どうやら機嫌を直してくれたらしい。

 ほっとしたクリスは自然と微笑んだ。

 その笑顔を見つめながら、パトリスはぼそりと呟いた。


「先ほどはきつい言い方をして、すまなかった。本当に、昨日の礼がしたいんだ。何かないか?」

「あの……ですが……」


 当然のことをしたのだから、気にしないでほしいとクリスは言いかけて、パトリスの真剣な表情を目にして口ごもった。

 パトリスが本当に馬を大切にしているのは見ていればわかる。

 だからこそ、昨日のことでとても恩を感じているのだろう。

 ここで遠慮するよりは何か言ったほうがパトリスも心が晴れるかとクリスは考え、名案を思い付いた。


「では、では……剣の手合わせをお願いできませんか? もちろん真剣ではなくて……これで!」


 クリスの願いを聞いたパトリスの眉が寄せられたので、急いで言い添えて、足元に落ちていた木の枝を拾い上げて見せた。

 するとパトリスの顔に驚きが現れる。


「僕はこれでも剣の鍛錬はちゃんとしているんです。でも最近は、ミカエルとしかできてなくて……。もちろん実力があまりに違うのはわかります。だからハンデをください!」

「ハンデ?」

「僕はこれ、パトリスさんは……これで」


 さらに言い募って、クリスは拾った枝を自分用にと示し、パトリス用にはきょろきょろと足元を見回して、新たに枝を拾った。

 その枝を見て、パトリスはにやりと笑う。


「かなりのハンデだな」

「ダメですか?」

「いいだろう。だが、一つだけ」

「何でしょうか?」

「〝さん〟はいらない。パトリスだけでいい」

「――はい!」


 クリスは満面の笑みで答えると、ポケットからナイフを取り出した。

 そして、拾い上げた枝の邪魔な部分を切り落としていく。

 クリス用の枝の半分しか長さがないパトリス用の枝はすぐに完成した。


「では、どこからでも」

「はい!」


 意気込んで打ちかかったクリスは、あっという間にパトリスにいなされ、足を引っ掛けられて転んでしまった。

 それでも諦めず何度も挑戦したが、クリスはこてんぱんに打ちのめされたのだった。




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