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「ミカエル! 今晩、第三部隊の上層部の方たちがお見えになるって、本当!?」

「……ああ。だからお前は部屋から出るなよ」

「どうしてだよ?」


 先ほどアミラからその情報を仕入れたクリスは、ミカエルを見つけて呼び止めた。

 すると、ミカエルは嫌そうに振り向いて肯定し、さらに信じられないことを口にした。

 思わずクリスが詰め寄ると、ミカエルは大きくため息を吐く。


「お前を引き合わせるわけにはいかないだろう? なんて紹介するんだ? 昨日、街で副隊長にお前をクリスと紹介しているんだ。それを今さらクラリスで紹介するのか? 無理だろ」

「どうして? 別にクリスでも――」

「兄さんが許すはずがないだろう? 伯爵家の継嗣じゃなくなった今、兄さんはお前にゆっくりと将来について考えてほしいと思っているんだ。今、軍の上層部に――身分ある方に正式にクリスとして紹介してしまったら、お前は一生クリスとして生きなければならなくなる」

「別にそれでもいいんだけどな」

「馬鹿を言うなよ。もしお前が女性として生きたいと、いや、社交界にデビューしたくなったらどうする?」

「そんなことはあり得ないよ。でもまあ、そんなに心配するなら、双子の妹だってことにすればいいんじゃないかな?」


 クリスは軍の上層部に――もう一度、あの時庇ってくれた軍人に会いたかったのだ。

 あの時、副隊長は薄茶色の髪の軍人を『隊長』と呼んでいた。

 そのことに後で気がついて、ひょっとして彼はフェリクス国王の弟君であるパトリス殿下ではないかと考えたのだ。


 フェリクス国王と二人の王弟殿下であるリュシアンとパトリスはこのモンテルオ王国の英雄である。

 二年前、世界的に起こった大災害に各国が苦慮している状況下で、先王が急逝したモンテルオ王国は混乱に陥った。

 それに乗じて西の隣国サクリネ王国が突如として侵攻を開始したのだ。

 しかし、すぐさま即位したフェリクス国王とその弟たちであるリュシアン殿下とパトリス殿下率いる王国軍はサクリネ王国軍を撃破したのだった。


 半年前に和平交渉を始めたばかりの戦争ではあったが、もうすでにサクリネ軍との交戦の模様は少々の物語性を帯びて、吟遊詩人たちに語られ始めている。

 特に末の王子であるパトリス殿下は武勇の誉れ高い。

 クリスはその話を聞きながら、パトリス殿下に憧れたものだった。――少年として。


 剣の腕もさることながら、クリスは馬の扱いがとても上手く、もし自分がその場にいれば、きっと役に立ってみせたのにと想像しては、退屈な日々を過ごしていた。

 だからこそ、昨日の出来事は悔しくもあり、憧れがさらに増してもいる。

 自分もミカエルもあの無頼者――傭兵に対応することができなかったのに、あの軍人――おそらくパトリス殿下だろうが、彼は気配も感じさせずに現れると、クリスたちを救ってくれたのだから。


「――とっさのことに、家名を俺の母方の姓で紹介してしまったんだ。それに例え違っても、お前の将来のことを考えたら、クラリスはまだ人前に出るわけにはいかない。ボナフェ伯爵の令嬢だとは名乗れないし、何より……お前、淑女として振る舞うことができるのか?」


 ミカエルの声が耳に入って、クリスははっとした。

 あの時のことを回想して夢を見ている場合ではない。

 本当なら、直接殿下にお会いしてきちんとお礼を言いたかったが、結局は諦めることにした。

 ただでさえ、カリエール家の人々には、特にミカエルには迷惑をかけているのだ。


「失礼ね、ミカエル。これでも私、最近はスカートをはくこともあってよ?」


 わざとらしく女性言葉で怒ってみせると、ミカエルはほっとしたように笑った。

 クリスが諦めたと気付いたのだ。

 だが、クリスの真剣な表情を見て、その笑みを引っ込めた。


「……クリス?」

「ねえ、ミカエル。この際だからはっきり言うよ。僕はもう大丈夫だから、ミカエルは自分のことを一番に考えてほしいんだ」

「……何を言ってるんだ?」

「ミカエルこそ、自分の将来を考えるべきなんだよ。僕のせいで少し遅くなってしまったけれど、それでもまだ十七歳だ。ミカエルならすぐにみんなに追いつくはずだから、大丈夫だよね」

「だから、何を言ってるんだ、お前は」


 クリスの言葉に、ミカエルは眉を寄せた。

 ミカエルの夢をずっと前から知っていたクリスは、にっこり笑って続ける。

 本当は自分もその夢を抱いていたけれど、無駄なことは十二歳になる前に知ってしまった。


「ミカエルは、騎士になりたいんだよね? だから、今晩皆様方がいらっしゃったら、お願いしてみてはどうかな? きっとミカエルなら、すぐに騎士見習いとして従士にしてくださる騎士がいるよ。ひょっとしたら、軍上層部の誰かかも」

「なっ、ば、馬鹿なことを言うなよ。怒るぞ?」

「そう言って、ミカエルが怒ったことなんてないよねえ?」

「あるさ!」


 怒ったふりをして拳を振り上げたミカエルがクリスを追ってくる。

 クリスは声を出して笑い、二人のいつもの追いかけごっこを経て、クリスは自分の部屋に逃げ込んだ。

 そのままドアに背をつけ、ミカエルが入れないようにして笑いながらも、色々と考えを巡らせた。


 この先のことを本当に考えなければいけない。

 いつまでもミカエルを縛るわけにはいかないのだ。

 だから、きっとミカエルからは言いださないであろうことを、あとで家長の伯父にお願いしに行こうと決意する。


 これから戦争が始まるかもしれないことは心配ではあるが、七男であるミカエルの将来を考えれば騎士になるのが一番だろう。

 自分は一生一人で暮らさなければならないが、財産の心配はない。

 昨日、少なくはない金額を父である伯爵から譲り受けたのだ。――クリスが死んだら、テメオに贈与するという条件付きで。

 クリスは自嘲するように唇を歪めた。

 寂しくはない。従兄弟たちがたくさんいるのだから。

 いつかテメオが大きくなって無事に家督を継げば、伯爵家に遊びにも行こう。

 そう考えながら、クリスはその晩、一人部屋で食事をとり、眠りについた。


 翌朝。

 いつものような早い時間に目が覚めたクリスは、アミラに手伝ってもらって乗馬服に着替えた。

 日課の乗馬に出かけるのだ。

 まだ小作人たちが畑に出る前に馬を駆り、カリエールの領地を見て回るのは、クリスの楽しみだった。


(今日は、ビバリーの森に行こう!)


 ビバリーの森はカントス山脈の麓に広がり、狩猟にはもってこいの場所だが、今の時期は見回りを強化したほうがいい。

 カントス山脈を挟んで隣するエスクーム王国が、最近兵を集めているとの情報があり、伯父たちはかなり警戒していた。


 王国軍がやって来たことで、クリスにもその懸念が間違っていなかったのだと確信できた。

 近いうちに、また戦争がはじまるのかもしれない。

 しかも、今度はこの南東の地で。

 きっと大領主である父は苛々しているだろう。


(父上はもうお年なのに、誰も支える者がいない……)


 家令も使用人たちもしっかりしているが、やはり後継者であるテメオが幼いのは痛い。

 そこまで考えて、クリスは悲しげに微笑んだ。

 十五歳になった自分が本当に男だったら、少しは助けになっただろう。

 一昨日の手紙には、不甲斐ない息子への――息子だと信じている自分への苛立ちが窺えた。


 愛馬であるファラを森へとギャロップで走らせ、クリスは考えることをやめた。

 周囲には誰もいないので、気を使う必要もない。

 本来なら一人で来るべきではないのだが、今日はどうしても一人になりたくて馬丁に無理を言ったのだ。


 ミカエルは昨日ベッドに入るのが遅かったらしく、今もまだ眠っているだろう。

 森に入ったクリスはトロットでファラを走らせ、やがて馬から下りて一緒に歩いた。

 この先に簡素な狩猟小屋があるのだが、その手前に小川があり、いつもそこでファラを休ませるのだ。

 ファラの手綱を引いて小川へと下りていったクリスは、そこでようやく、先客がいることに気付いた。


 こんな早朝にミカエル以外にこの場所に誰かがいることに警戒して、クリスは腰の剣に手をかける。

 そして慎重に、できるだけ威厳をもって声を上げた。


「誰だ? ここは私有地だ。許可なき者は入れない。即刻立ち去れば、罪には問わない。よって、今すぐ立ち去れ」


 できるだけ低い声で言ったつもりだったが、どうしても声が上擦ってしまう。

 やはり少年の声にしか聞こえなかったのだろう。

 相手は男らしい低い声で小さく笑った。

 悔しいが供を連れていない自分が悪い。

 相手がどれほどの剣の腕かはわからないのでいつでも逃げられるように身構えたが、いつもは警戒心の強いファラがなぜか興味津々で男へと近づこうとした。


「ファラ?」

「賢い馬だな。自分と主人に危険はないと、ちゃんとわかっているようだ」


 そう言って木陰から顔を見せた男は、あの時の薄茶色の髪の軍人――隊長だった。




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