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男装令嬢の不本意な結婚  作者: もり
番外編:パトリス
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 パトリスは悩んでいた。

 クラリスの夜会のエスコートを申し出たのは正しかったのだろうか、と。

 離縁した自分たちが一緒にいれば、またクラリスを好奇の目にさらしてしまうのではないだろうか。

 傷つくのは自分だけだと思っていたが、心ない者たちによってクラリスは傷けられてしまうのではないか、と。

 今さらその可能性に気付いたパトリスの悩みも、階段上に現れたクラリスを目にした瞬間吹き飛んだ。

 今夜、自分が傍にいなければクラリスは他の男に取られてしまう。

 そう確信するほどにクラリスは美しかった。


(……クラリスのことは私が守ればいい。誰にも悪く言わせたりなどしない)


 パトリスは改めて決意すると、ゆっくり階段を下りてくるクラリスをじっと見つめた。

 クラリスも頬を染めながら碧色の瞳を真っ直ぐパトリスへと向けてくる。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いや、大丈夫だ」


 ようやくパトリスの許へとやって来たクラリスにかける言葉が見つからない。

 こういう場合、リュシアンは女性に何と声をかけていただろうかと必死に考えるが、どうしても思い出せない。

 素っ気ない返事しかできないパトリスにもクラリスは気にした様子もなく穏やかな笑みを浮かべた。

 途端にパトリスの肩から力が抜ける。

 それでも、招待客を迎えるカリエール夫妻を残し、先に会場へと場所を移してからも会話が弾むことはなかった。


「……パトリス、ひょっとして緊張していらっしゃる?」

「いや、――いや、そうだな。おそらく、緊張している。やはり、このような場に出るのは苦手だ」


 パトリスはふっと顔を逸らし、ぼそっと呟くように答えた。

 情けないがやはり華やかな場所は息苦しくなる。


「パトリス……友人としてエスコートを申し出てくださったのはありがたいのですが、無理をなさる必要はないのです。どうかお部屋でゆっくりと過ごしてください。あのお部屋なら騒がしい音も聞こえないはずですから」

「……無理はしていない。緊張しているだけだ」


 正直に答えすぎたせいでクラリスに気を遣わせてしまった。

 どうにか言い繕ってみたが、クラリスは曖昧に微笑んだだけで、上手く誤魔化せなかったらしい。

 そこでパトリスはじっとクラリスを見つめ、思いつくままに言葉にした。


「あなたはとても……綺麗だ」


 じっと見つめるパトリスを、顔を赤くしながらも見つめ返してくれていたクラリスの顔がさらに赤く染まる。

 その姿はさらに魅力を増して、パトリスは焦ってしまった。


「あなたはこんなにも魅力的で……きっと今夜も注目を集めてしまうだろう。だから……まさか自分がこんなに嫉妬深いとは……知らなかったんだ」


 そう告げるだけが精一杯で、パトリスは顔を逸らした。

 すると、かすかに元気をなくしてクラリスが答える。


「パトリスは、優しいですね」

「……そうではない」

「ですが――」


 どうしてこうも上手く伝えられないのか、パトリスは自分が情けなくなっていた。

 クラリスは何か言いかけたものの、最初の招待客が会場に入ってきたために口を噤んだ。

 それからはあっという間に会場はいっぱいになり、クラリスはパトリスを紹介することに忙しくて会話の続きがなされることはなかった。


 やはり招待客は離縁したクラリスとパトリスが一緒にいることが気になるらしい。

 たまにそれとなく探りを入れられることもあったが、パトリスよりも先にクラリスが応じ、二人が今でも素晴らしい友人同士であることを伝えてくれた。

 これでは守るつもりが守られている。


 そんな悩みも、楽団の演奏が始まりクラリスと踊っている間は忘れることができた。

 ダンスが楽しいと感じたのは初めてで、パトリスの顔に笑みが浮かぶ。

 それでもダンスが終われば、またパトリスは現状を打破するために悩んだ。

 世の中の男は――リュシアンは別にしても、好きな女性にどうやって気持ちを伝えるのだろう。

 会場の隅に立って考えながらも、パトリスはクラリスにダンスを申し込みに来る男たちを背後から牽制していた。

 だが、次から次へと訪れる人が途切れることはない。


「パトリス、あの――」

「クラリス、久しぶりだな」

「ミカエル!」


 クラリスが困ったように微笑んで声をかけてきた時、誰か男の声が割り込んだ。

 瞬間、クラリスの顔がぱっと輝く。

 その表情を見たパトリスは愕然として相手の男を確かめ、次いでほっと息を吐いた。

 パトリスが今まで見たこともないほどに無防備で嬉しそうな表情をクラリスにさせたのは、カリエール卿の弟――クラリスの叔父だったからだ。


「ミカエル、どうしたの? まさか、騎士を罷免されたの?」

「失礼なことを言うなよ、クラリス。たまたま休暇をもらったから帰ってきたら、兄上の祝賀会が催されていて急きょ参加したんだよ」

「そうだったの……。あ、あの、パトリス、こちらは私の叔父でミカエル・カリエールです。三年前にこのお屋敷で一度お会いしているはずですが……」


 久しぶりの再会に喜ぶクラリスを見るのはパトリスも嬉しかったが、ミカエルはそうは思っていないらしい。

 クラリスに紹介されても、ミカエルはパトリスに対して警戒心をあらわにしたまま。


「ああ、覚えている。確かユーゴが騎士見習いとして王都へ連れて戻ったんだったな。今は正騎士としてリュシアン兄上の隊に所属していたと思うが?」

「はい。おっしゃる通りです。今回、長期休暇をいただいたので久しぶりに我が家に戻ってまいりました。ですが、閣下はなぜこちらに?」

「ミカエル、失礼よ」

「いや、かまわない」


 ミカエルの態度は当然だった。

 もしパトリスがミカエルの立場でも同じ態度を取っただろう。


「陛下は閣下に、クラリスとの離縁を命じられたはずです。それなのにクラリスをこのように振り回さないでいただきたい」

「ミカエル!」


 三人のやり取りは小声ではあったが、不穏な空気を感じたのか周囲の視線が集まってくる。

 それでも引こうとしないミカエルがパトリスは羨ましかった。

 パトリスにとって友情はとても大切だが、それ以上に堂々とクラリスを守れる立場がほしいのだ。

 やはり気持ちを偽ることはできないと気付いた時、パトリスの心は不思議と落ち着いた。

 そして顔色を悪くしたクラリスの手を軽く握ってから離し、ミカエルをまっすぐに見返す。


「確かに、私は陛下のご命令に従い、クラリスと離縁した。だが陛下は、クラリスに近づいてはならないとはおっしゃらなかった。また求愛してはならないとも」

「は?」

「……え?」


 パトリスの言葉にミカエルだけでなく、クラリスもぽかんと口を開けた。

 周囲からは息を呑む声も聞こえる。

 ざわめきが広がる中、パトリスはミカエルから視線を外すとその場から離れた。

 そのまま会場の壁際に置かれていた花瓶から一本の花を引き抜くと、クラリスの許へ戻る。

 その行動に、踊っていた人たちまでもが動きを止めてパトリスを目で追った。


「いったい何を……」


 ミカエルがクラリスの隣で訝しげに呟く。

 だがパトリスの世界には、目を丸くするクラリスだけが存在していた。

 パトリスには何の花かはわからなかったが、クラリスが剣代わりにするのにちょうどいい大きさの枝だと思ったのだ。

 それは二人だからわかるやり取り。


 そしてパトリスは小川のほとりでの再現のように、枝をクラリスへ差し出した。

 違うのは、華やかな夜会の場で、クラリスもパトリスも正装していること。

 さらにはたくさんの観衆がいることだったが、パトリスはただクラリスだけを見つめていた。


「クラリス、以前の私は酷い夫だった。だから今度は友人としてやり直したいと思った。それ以上を望む資格が私にはなかったからだ。だが先日、あの賭けで私は小さな希望を手に入れた。それからは、どうすれば友人以上の関係を築けるかと必死だった」

「パトリス……」

「お願いだ、クラリス。どうかこの枝を受け取ってほしい。そして、私ともう一度結婚してくれないか?」

「……はい」


 パトリスの率直な求婚の言葉に、クラリスは一瞬ためらったが、頷いて小枝を受け取った。

 正直、当たって砕けるつもりだったパトリスは、夢でも見ている気がした。

 そのため、パトリスは夢から覚めないようにクラリスだけを見つめ、その両手をぎゅと握りしめる。

 劇的な瞬間を目撃した周囲の者たちが興奮する中、いつの間にか演奏を止めていた楽団が祝福の曲を奏で始めても、二人は見つめ合ったまま。


「クラリス、二人だけの世界に浸るのはけっこうだが、そろそろみんなからの祝福を受けてくれないか?」

「え? あっ!」

「閣下。今度こそ、よろしくお願いいたします」

「ああ」


 ミカエルの呆れたような声にクラリスは我に返り、真っ赤になって慌てて周囲の人たちに向き直った。

 パトリスは邪魔が入ったことを残念に思いながら片手は離したが、もう一方の手はしっかりとクラリスの手を握ったままミカエルの言葉に重々しく答えた。


 人々は次々と祝福に訪れ、応えてパトリスは無言で頷き、クラリスはお礼の言葉を返していく。

 しかし、すぐに駆けつけてきた伯爵未亡人やカリエール卿夫妻が盛大に祝福してくれるとともに、上手く周囲の人々に対応してくれ、二人は隙を見て抜け出すことができた。


「……パトリス、本当に私と結婚してもいいんですか?」

「それはこちらの質問だ、クラリス。私はあなたに、もう二度とあのようなつらい思いをさせないと約束する。だから、再び私の妻となったら、離縁するつもりはない。それでもいいのか?」

「もちろんです。私も夫に、もう二度とあのような態度はさせませんから。それでもいいんですか?」


 昔のような勇ましいクラリスの返答に、パトリスは声を出して笑った。

 初めて聞いたパトリスの笑い声に、クラリスが目を丸くする。

 そんなクラリスが愛おしくて、パトリスが再びじっと見つめると、クラリスは真っ赤になってすっかり黙り込んでしまったのだった。




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