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「え? 母様、今何とおっしゃいました?」
「ですから、明日からしばらく部屋を出てはいけません」
「……しばらくって、どれくらいですか?」
「そうですね……ひと月くらいかしら?」
「そんな!」
可愛い弟――テメオが生まれてふた月。
母に呼び出され、部屋へと訪ねたクリスは、母からの言葉に悲痛な声を上げた。
外で遊ぶのが大好きなクリスにとって、ひと月も部屋から出るなとの言い付けは拷問に等しい。
しかし、いつもは優しい母の顔つきは厳しいまま。
「クリス、いいえ――クラリス、あなたは女の子なのよ。女の子は部屋でおとなしく刺繍をしたり、本を読んだりしながら、淑女としての嗜みを学んでいくのよ」
「母様、そんな無茶をおっしゃらないでください。僕は今まで男らしくあるようにと育てられたのです。それをいきなり淑女になれなど……テメオが生まれたから、もう僕は用なしなのですか?」
「まさか! そんなわけないでしょう!? ああ、クラリス。私があなたをどれだけ愛しているか……」
立ち上がったジルダは、立ったままだったクリスを抱きしめた。
そのまま悲しげに訴える。
「でも今のままでは上手くいかなくなるのはわかっているでしょう? この先、あなたはどんどん女の子らしくなるわ。そうすれば、いつか露見してしまう。ただ露見するだけならいいけれど、もしあなたが男性として爵位を継ぎ、露見したのだとしたら、陛下を謀った罪で罰せられるわ。もし女性として爵位を継ぐことになれば……あなたのお姉さま方だって黙っていないのはわかるでしょう?」
「それでは、母様は私にどうしろとおっしゃるのです?」
「あなたには……病気だと、そうあなたのお父様には思ってもらうつもりよ。そして療養のために私の実家へ、カリエールへ行ってほしいの。あちらは全てあなたの事情は承知してくれているし……二年ほどあちらで過ごしてくれれば、お父さまもきっとあなたに跡を継がせるのを諦めてくださると思うの。そうすれば、もうあなたは自由になれるわ」
「自由? ひらひらしたドレスを着て、外に出るには付き添いを連れなければいけなくなることが自由ですか?」
「違うわ! そんなことを望んでいるわけじゃないの。あなたもお父様のことはわかるでしょう? あなたが病気で跡を継げないとわかったら、きっとあなたから興味を失ってしまわれるわ。そうすれば、好きなことをして生きればいいの」
そこまで言って、ジルダは疲れたように大きく息を吐いてソファに座り直した。
すっかり冷めてしまったお茶で喉を潤すと、無理に笑顔を作ってクリスに向ける。
「先ほど言ったことは忘れてちょうだい。あなたに結婚を強要したりもしないわ。ただ、いつまでも男性の姿でいるわけにはいかないでしょう? でも女性だって馬に乗るし、私だって以前はお兄様たちに負けないくらいの乗馬の腕だったのよ? 木にだって登ったし、近場なら付き添いなしで出かけたりもしたわ。カリエールならそれができるもの」
「母様……」
「ごめんなさい。あなたにこんなことを強制してしまって……。本当なら、あなたが生まれた時、勇気を出して父様に正直に話すべきだったのにね。いくらなんでも我が子を殺したりなんてしないはずなのに……馬鹿だったわ」
すっかりうなだれてしまった母の前に膝をついて、クリスはその手を握った。
大好きな母をこんなふうに困らせるつもりはなかったのだ。
そもそも自分が女に生まれてきたばかりに、母にはいらぬ苦労をさせてしまった。
「母様、僕は母様に感謝しております。僕が生まれた時、母様が嘘をついてまで守ってくださらなかったら、僕は生きていられなかったかもしれない。父様を見ていれば、そうせざるを得なかったとわかります。ですからどうか、ご自分を責めないでください。僕は母様のおっしゃる通り、カリエールへ参ります。立派な淑女になるとは約束できませんが、それでも精一杯おとなしくできるよう時間をかけて学んでいきたいと思います」
「クラリス……」
「愛しています、母様」
「私もよ。私も、あなたを――クラリスを愛しているわ」
ジルダはソファから下りてクリスを抱きしめると、何度も何度もその顔にキスをした。
それはクリスがくすぐったがって逃げるまで続けられ、最後は笑いによって二人の話は締めくくられたのだった。