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パトリスは騎士たちとともに隊へと戻りながら、ため息をどうにか呑み込んだ。
最近の癖になってしまっているため息を吐けば、間違いなく騎士たちに冷やかされる。
今回の領館での滞在は、当初の想定よりかなりまずいものになっていた。
本来なら、クラリスと少しでもわかり合えればと――贅沢を言うならば友情を育めたらと思っていたのだが、関係は悪化するだけだった。
それも全てと言っていいほどに自分のせいだとわかっている。
領館内での男性使用人に関してのクラリスの言い分は過剰反応ではないのかと思えたのだが、馬丁頭のペイターに関しては彼女の言い分が正しかったのだ。
到着した日の翌朝、厩舎でしばらく過ごしていたパトリスはどことなく違和感を覚えた。
馬房は綺麗に掃除してあり、馬たちもしっかりブラッシングされ、適度な運動もしている。
しかし、何かがおかしい。
次の日も同じように厩舎へと向かったパトリスは、その違和感の正体に気付いた。
デッドに馬丁見習いのミックしか近づかないのだ。
馬房の掃除からブラッシング、パトリスが連れ出すと言えば、準備を整えてやって来るのも全てミックである。
確かにデッドは好き嫌いが激しいが、馬丁頭ともあろうものが扱えないわけがない。
そう思いながらペイターをさり気なく観察すれば、仕事は完璧であるが、馬たちへの接し方があまりにも素っ気ない。
「ミック、ここは働きやすいか?」
「は、はい! 奥様が――あ、いえ。その、とてもやりがいがあります!」
「……では、妻が迷惑をかけたりはしていないだろうか?」
「と、とんでもない――いえ、めっそうもございません! 奥様は……その、とてもお優しくて、馬たちのことも本当に愛しておられます。デッドだって……」
言いかけて口を閉ざしたミックだったが、パトリスには十分伝わった。
もう一日ペイターの様子を観察したパトリスは、確信を持って配置換えのための手配を始めた。
そして、そのことをクラリスに伝え、頭ごなしに否定したことを謝罪しようとしたのだが上手くいかない。
クラリスとは夕食の席でしか会うことができず、その場には騎士たち多くの目があり言い出せなかったのだ。
しかも、クラリスは書斎に押しかけた時の素朴な姿が嘘のように食事の席では着飾り、見事に〝女主人らしく〟騎士や秘書官を相手ににこやかに話していた。
連れてきた三人の騎士たちは皆明るく人を楽しませるのが好きなため、こんな光景はよく目にしていたが、なぜかクラリスに対しては自分がまるで仲間に入れてもらえず拗ねている子供の気分になってしまう。
しかもクラリスの笑い声はクリスそのもので、はっとしては思い直すという繰り返しだった。
そのまま時間だけが流れ、いよいよ明日は隊へ一旦戻るとなった日。
クラリスから面会の申し込みを受けていたパトリスは、予想よりも他の作業が早く終わり、約束までの時間をわずかに持て余していた。
最近世間を騒がせている賊は、サクリネ王国との国境からモンテルオ王国内へと場所を移しているらしく、このままではパトリスの領地へと入り込むのも時間の問題であった。
隊へ戻り次第すぐさま賊を追うための編成をしなければと考えていたパトリスは、入ってきたクラリスの美しさに思わず目を奪われてしまったのだ。
そんな自分が嫌で、また辛辣な言葉が口から飛び出す。
「……ずいぶん派手な格好だな」
口に出した瞬間しまったと思ったが、もう遅かった。
始まりがよくなかったせいか、話し合いは終始険悪なものになってしまっていた。
騎士を城に常駐させてほしいとの願いは公爵夫人としての見栄から出た言葉だと思い、素っ気ない態度を示してしまったためにクラリスに誤解させたらしい。
そのため、クラリスは自領の騎士を呼び寄せるとまで言い出し、パトリスはかっとなって過剰に反応してしまった。
賊の噂が彼女の耳にまで入っているのだから、不安になるのは当然である。
馬鹿な見栄を張っているのは自分であることに気付いて反省したものの、最後の夕食の席でも騎士たちと楽しそうに話すクラリスを見ていると、謝罪することもできなかった。
結局、パトリスは騎士を連れてすぐに戻るとも言い出せないまま、翌朝も見送ってくれたクラリスに対して無愛想に対応してしまったのだった。
数日後――。
駐屯地へと戻ったパトリスはどうしても彼女のことを考えずにはいられなかった。
いったい自分はどうなってしまったのだろうと訝りつつも、パトリスは今度こそきちんとクラリスに手紙を書いた。
常駐の騎士の選出にクラリスと特に仲のよかったタレスを外したのは、駐屯地に必要だからだと自分に言い聞かせる。
また、副隊長のユーゴたちとも話し合い、賊を捕らえる作戦を念入りに立てた。
間違いなく賊はパトリスの領地に近づいており、このままだと、領民に被害が及ぶ可能性がある。
それどころか、クラリスたち領館の者たちも危険にさらしてしまうと、パトリスは予定より早く領地へ戻ることにした。
しかし、パトリスが領館に戻ると門は閉ざされ、昼間だというのに見張りの警備兵がいつもより多く立っていた。
不審に思って何があったのかと兵に問えば、賊が出たと言うのだ。
すぐに警備兵長を書斎に来させるよう兵の一人に命じ、乗ってきた馬も従者に預け、玄関で待つサモンドに詰め寄った。
「賊はいつ出たんだ?」
「昨日の午前中らしく……」
「どこに? なぜ伝令が私の許に来ない? すれ違ったのか? それにしても、街はいつもと変わらぬ様子だったぞ?」
「どうやら、東の森に出たようでございます。森を抜ければブライトン王国に出ますし、賊はそちらに向かったのではないかと……。領民に知らせては、仕事をサボる理由にしかねませんので伝えておりません」
書斎に向かいながら、小手などの簡単な武具を外していたパトリスは動きを止めた。
今聞いた言葉が信じられなかったのだ。
怒鳴りつけたいのを堪えて、いつでも命令に従えるようにと傍に控えている壮年の騎士を――ゴードンをちらりと見た。
彼もまた渋面になっている。
再び足を動かし始めたパトリスは、書斎に入るまでもう何も言わなかった。
「……妻はどうしている?」
部屋に入るなり、パトリスはクラリスのことに触れた。
出迎えがないことより、この家令の愚かな行動を許していることが不自然に思えたのだ。
彼女ならきっと領民へ警告を出し、パトリスへも伝令を飛ばしたのではと、なぜか思える。
パトリスの問いに、サモンドはらしくなく、落ち着かないのか立ったままそわそわしていた。
「サモンド?」
「その……はい。奥様は……お怪我をされて、休んでいらっしゃいます」
「怪我? どういうことだ?」
昼間に休むほどの怪我をしていながら、パトリスへ連絡もない。
そのことにサモンドへ苛立ちが募り、さらには嫌な予感に体が震えた。
「奥様は……昨日、セルジュと乗馬をなされていた時に……森の遊歩道で賊に襲われたらしく――っ!」
考えるよりも先に、パトリスはサモンドを殴っていた。
激しい音を立てて倒れるサモンドを見ても怒りは収まらず、倒れたサモンドを掴み上げようとして、ゴードンに止められる。
「閣下! 今はこやつを糾弾する前にやらねばならぬことは多くあります!」
「――くそっ!」
パトリスは生まれて初めて怒りに我を忘れ、悪態を吐いた。
そんなパトリスにゴードンは驚いたが、その気持ちを隠して冷静に助言する。
「閣下は先に奥様の許にいらっしゃってください。私はひとまず領民への注意喚起を行います。賊の討伐については後ほど話を詰めましょう」
「……すまない、ゴードン」
「いえ、当然のことです」
ゴードンの返答は、これからの行動に対してでもあり、クラリスを心配して動揺するパトリスを気遣ってのものでもあった。
だがパトリスはろくに返事も聞かず書斎から出ていく。
そしてゴードンもすぐに出ていき、室内にはサモンドが状況を理解できないのか、未だ倒れたままぼんやりしていた。




