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結婚式の翌朝早く屋敷を発ったパトリスは、隊へ合流したものの、クラリスが領館できちんとやれているだろうかと気になっていた。
そのため、賊の情報を集めるためと理由をつけて領館へ訪れることにしたのだ。
賊はこれまでの被害報告から、それほど規模の大きいものではなく、多くても十人程度だと予測できる。
それならば自分と騎士が数人いれば十分だろう。
そして騎士たちの中から三人を募ったのだが、パトリスの花嫁を見たいがためにお供争奪戦が始まり、くじ引きで決められることになった。
結果はどうあれ、騎士たちはもちろん、彼らの従者たちもしっかり剣や弓を扱えるので戦力になる。
しかも今回は賊の討伐ではなく情報収集なので、これでいいだろうと判断したパトリスはサモンドにその旨を伝えた手紙を出し、翌日には駐屯地を出発した。
その後、予定通り領館へ到着したパトリスは、クラリスの出迎えをなぜか期待していたらしい。
玄関前にその姿がないことに落胆して、乗ってきた馬をそのまま自分で厩舎へと連れていった。
そこでデッドや他の馬がよく世話をされていることに満足しながら、馬丁頭のペイターの控えめな愚痴を――クラリスが口を出してくるので困るといったことを聞かされたのだ。
その上、屋敷に入るとサモンドに書斎でひと通りの現状を訴えられた。
サモンド曰く、クラリスは家政婦を味方につけて男性使用人の仕事ぶりに口を出し、サモンドの領分にまで踏み込んでくるという。
しかも、サモンドがそのことに不満を漏らすと、自分がこの城の女主人であり、自分に従うべきだと言い放ったらしい。
さらにはペイターの解雇を命じたというのだ。
初めは信じられなかったパトリスも、クラリスが自分を女主人だと宣言したと聞き、苛立ちが募っていった。
おとなしく見えたあの姿も、所詮は偽りだったのかと。
父の――先王の前でだけ、たおやかな女性を演じ、使用人や三番目にしか生まれなかった自分を虐げていた恐ろしい形相の母の記憶がよみがえる。
そこへ、クラリスが書斎へと強引に入ってくるなり、サモンドになぜパトリスの帰還を伝えなかったのかと問い詰めた。
やはり二人は上手くいっていないらしい。
そこでパトリスは、クラリスと二人きりで話す必要があると判断し、サモンドに出ていくよう告げた。
かすかに渋ったサモンドだったが、パトリスに強く促されて結局は出ていき、書斎にはしばらく沈黙が落ちる。
その沈黙を埋めようと、パトリスは考えもせずに口走り、そこからは止めることのできない雪崩のように、悪い方へと転がり始めてしまった。
クラリスの言い分を聞くこともなく責めるなど、不公平だとわかっていた。
しかし、彼女が口にする「女主人」という言葉に我を失ってしまったのだ。
パトリスの母は本来ならば王城の女主人に――王妃になりたかったが叶わず、与えられた離宮でいつも威張り散らし、何度もその苛立ちをパトリスにぶつけていた。
全ての女性が母のようではないとわかってはいるのに、未だに苦手意識が抜けない。
だがほんの一瞬、デッドの――馬の話題になった時、クリスと会話している気分になり、パトリスは不思議な感覚に戸惑った。
訝しげにクラリスを見ると、彼女は冷ややかな表情に戻って話を続ける。
「……閣下は、ペイターの仕事に満足なさっているのですね?」
「厩舎は掃除が行き届いていて、馬たちは十分に世話をされている。以前の雇い主からの紹介状にあった通り、問題は何もない」
「では、問題はないのでしょう」
クラリスの声には明らかな落胆が含まれており、今度は子供の頃の家庭教師をパトリスは思い出してしまった。
祖母である皇太后に認められたくて必死に努力していたパトリスだったが、家庭教師はパトリスが何か間違うたびに二人の兄と比べ、上手くできないことをよく嘆いていた。
「閣下は、この城に滞在なさったことがおありですか?」
「――いや、今回が初めてだが?」
「さようでございますか。では、いつまでご滞在の予定なのでしょう?」
「……自分の城に滞在するのに、許可がいるのか?」
「もちろん許可などは必要ございません。ですが、予定を知りたいだけなのです。閣下が望まなくても、私はこの城の女主人です。城を取り仕切るのが私の役目なのですから、閣下のお供の方たちの滞在日数を知ることは重要です。サモンドはそのことを忘れているようですけどね」
クラリスの言い方はさらに幼い頃のパトリスの劣等感を刺激した。
そのせいで、冷静さを失ってしまったらしい。
パトリスは目を冷たく眇めてクラリスを見つめ、子供のような言い分でサモンドたちを庇っていた。
「……私はこの城に女主人を迎えるつもりはなかった。サモンドもそのことを十分に理解していたからこそ、己の職務を全うしようとしているのだ」
「それでは、なぜ閣下はあの時、私に求婚なされたのですか? 確かに、状況はまずいものでした。ですが、きちんと説明すれば皆も納得してくださったでしょう。あの場に居合わせたのは、イレブニア伯爵夫人以外は両陛下と私の義姉だけだったのですから」
「私は……両陛下にご迷惑をおかけするわけにはいかなかった」
「そうでしょうか? 私には閣下がただ一番無難な道を選んだとしか思えません。王族の方からの求婚を断ることが私たちにとって、どれだけ難しいかご理解いただけなかったのですか? 私は何度も〝婚約を破棄してほしい〟と手紙を送りましたが、そのつもりはないと一度だけお返事を頂いたきり、あとは開封されることなく戻ってきました。きちんと話し合うことさえできれば、この結婚を誰にも迷惑をかけることなく回避することはできたかもしれませんのに。その道を閣下は自ら閉ざされたのです。迂闊だった私を責めるのはかまいません。ですが、この城にご滞在の間は、サモンドやペイターたち男性の意見だけでなく、ハットン夫人やメイドたちのことも気にかけてやってください。それでなお、何も思われることがないのでしたら、私は……」
一気にまくし立てたクラリスを、パトリスは驚いて見ていた。
初めはおとなしいだけの女性――少なくともそのふりをしているのかと思っていたが、クラリスは何度も果敢にパトリスに立ち向かってくるのだ。――まるで、何度も地に手を付こうとも棒切れの剣で挑んできたクリスのように。
彼女の印象は次々に変わる。
そう思ったパトリスは興味深くなって、クラリスに続きを促した。
「それで、あなたはどうするつもりだと?」
「私は……私は、閣下を軽蔑します」
しかし、その返答はパトリスにとっては物足りなかった。
期待していた自分がおかしくてふっと息を吐き出し、パトリスは立ち上がった。
瞬間、クラリスはびくりとして体を縮ませたが、すぐに背を真っ直ぐに伸ばし、パトリスを見つめる。
「私を鞭で打たれますか?」
「……なぜ?」
「夫である閣下に、生意気なことを申しましたから」
「まさか……いや、話はもう十分だと思っただけだ」
クラリスの問いはパトリスに衝撃を与えた。
どうやら彼女の父親である先代ボナフェ伯爵は鞭を使ったようだ。――パトリスの母のように。
そう考えると、ボナフェ先代伯爵へ憎しみにも近い怒りが沸いたが、どうにかパトリスはその気持ちを抑え、書斎から出ていった。
クラリスの傍にいると様々な感情が刺激され、冷静でいられなくなる。
これ以上話を続けていると、さらに自分の悪い面が引き出されるようで怖かった。
彼女を――クラリスを傷付けるのは本意ではない。
(この後の夕食の席で、彼女が落ち込んだままでなければよいが……)
自室に入り用意された湯に浸かるために服を脱ぎながら、パトリスは大きく後悔のため息を吐いた。
しかし、そんな心配は無用だったようだ。
夕食の席でクラリスは騎士たちとあっと言う間に打ち解け、楽しそうに声を上げて笑っていたのだから。
パトリスはそのことを安堵すべきだったのに、なぜか苛立ってしまっていたのだった。




