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王城の中にある礼拝堂は緑豊かな場所にあり、木々の間を縫って向かってくる馬車は、まるで森の小道を進んでいるように見える。
その馬車の中に花嫁が乗っているというのに、礼拝堂の前に立つ新郎のパトリスは冷めた気持ちで待っていた。
これは王家と亡き友人の名誉のための結婚であり、本来ならばこのようなことに時間を取られている場合ではないのだ。
ここ最近、サクリネ王国との国境付近に賊が現れるとの報告が上がっていた。
終戦から数年経った今でも、モンテルオ王国内のいくつかの地域では治安の回復が遅れている。
しかし、国民には順調に戦後の復興が行われていると思わせる必要があった。
そのため、軍部に籍を置く王弟二人が王都に戻り、華やかな式典を行うことで国内外にモンテルオ王国は盤石であると示したのだ。
その式典を締めくくる舞踏会で起きた出来事で――自分が判断を誤ったことでこのような事態に陥ってしまったことをパトリスは後悔していた。
(早くこの茶番を終わらせてしまわなければ……)
パトリスは副隊長であるユーゴに任せきりになっている隊へ急ぎ戻りたかった。
その苛立ちが自然とパトリスの表情を険しいものに変える。
そこへ馬車が到着し、先に花嫁であるクラリスの伯父のカリエール卿が降りてきた。
仕方なく視線を向けたパトリスは、カリエール卿に手を取られて降りてきたクラリスを目にして軽く息を呑んだ。
木々の間から射し込む午後の陽光が、純白のドレスにキラキラと反射し、赤みがかった金色の髪を結い上げたクラリスの顔を美しく輝かせている。
その姿はなぜか三年前の小川での楽しかったひと時をパトリスに思い出させた。
三年前、エスクーム王国の動向に目を光らせ、緊張を強いられていたパトリスにとって、クラリスの兄であるクリスと過ごした森での時間は、体と心を休めることができる大切なひと時だった。
全てが落ち着いたら、また会いに行こう。
そう考えていたパトリスだったが、戦後の処理に追われてあっという間に時は過ぎていた。
だからこそ、この度の式典でようやくクリスにも会えるだろうと思っていたのだ。
クリスがボナフェ伯爵家の嫡子であり、療養のためにカリエール卿の屋敷に滞在していたことは当時から知っていた。
そして、あの頃のクリスの様子からも病は治っているはずだと勝手に考えていため、王都に戻ったパトリスはその訃報を知って打ちのめされた。
なぜあれほど溌剌としていた少年が死ななければならなかったのかと。
何度も仲間の死を目にし、救えなかったことを自責し、早く平和な世をと切望してきたパトリスにとっても、クリスの若すぎる死は理不尽に思えて仕方なかった。
華やかな舞踏会を抜け出し、死んでいった仲間たちとクリスの死を静かに悼んでいたパトリスは冷静さを欠いていたのだろう。
気配を感じさせずに近づいた相手を取り押さえたものの、状況判断が遅れてしまった。
貴婦人の装いに身を纏った刺客だと思った相手は、クリスによく似た面差しの若い娘であり、パトリスは妹がいるとの報告を受けていながらもすっかり混乱してしまったのだ。
そこにあの忌々しい夫人が現れ、騒ぎ立てた。
それでも相手がクリスの妹でなかったら、もっと上手い対応ができたはずだった。
パトリスは緊張した面持ちで近づいてきたクラリスを見下ろし、思わず顔をしかめた。
明るく溌剌としていたクリスと違い、クラリスの顔色は悪く震えている。
まるでこれから起こることに、この先の人生に、パトリスに怯えているかのように。
パトリスにとっては、両家の名誉のために婚約を破棄することなど問題外であり、忙しさもあって彼女からの手紙も二通目からは無視してしまっていた。
しかし、今の彼女を見ていると、一通目に書いてあった内容――パトリスの心遣いに感謝しながらも、無理に結婚する必要はないという文面は建前ではなく本音だったのかと思えてくる。
パトリスにとって女性は、より良い相手との結婚を望んでいるものだと、より高い地位を得るためならば何でもするものだと考えていた。
母やその周囲の女性たちを見て育ったパトリスは、大人になって自分や兄たちに近寄ってくる女性たちを見て、さらにその考えを強めていたのだ。
もしかして、間違っていたのかもしれない。
そんな思いが頭を過ぎり、パトリスは新たな後悔に襲われた。
だが今さら、この結婚をなかったことにはできない。
ならば自分に対して怯えているらしいクラリスに、できるだけ近づかないようにしようとパトリスは心密かに誓った。
パトリス自身も女性とは一生関わるつもりはないと思い生きてきたのだから。
式が終わると、パトリスは足早に礼拝堂を後にした。
きっとクラリスもこの見世物的な場から出たいだろうと思ったのだ。
だが、後に兄であるフェリクス王に叱責されてしまった。
女性はスカートなどで、素早く動くことなどできないのだから、もっと気を遣ってエスコートするべきだと。
パトリスは改めてクラリスを見つめ、その言葉に納得した。
純白のドレスに身を包んだクラリスは、他の装飾華美な女性たちよりも控えめなようだが、よく見れば真珠やクリスタルなどが縫い付けられたドレスはかなり重そうである。
それでも新郎新婦のファーストダンスでは軽やかに踊っているようだった。
(……女性とは、大変な生き物だな)
自分のこの儀礼用の軍服でさえ窮屈で早く脱いでしまいたいくらいである。
そう考えながらパトリスが多くの人たちに囲まれているクラリスの表情に注意を向ければ、その笑みはどこかぎこちない。
クラリスの疲れに気付いたパトリスは、国王夫妻を捜した。
本来なら二人で挨拶をするべきなのだろうが、彼女を連れてとなるとまた注目を浴びるだろう。
兄夫妻を見つけたパトリスはさり気なく二人へ近づいた。
「国王陛下、王妃陛下、私どもはこれで失礼させていただきます。本来なら二人で挨拶するべきなのですが、彼女は疲れているようなのでこのまま失礼させていただく無礼をお許しください」
「ああ、もちろんかまわない。今日は朝から大変だったろうからな」
フェリクス国王はちらりとクラリスのほうへ目をやり、重々しく頷いた。
すると、隣にいたレイチェル王妃がくいっとフェリクスの袖を引く。
フェリクスはレイチェルへ一度優しい眼差しを向け、再びパトリスを見ると真剣な表情で告げた。
「パトリス、彼女は――クラリスはお前の母親とはまったく違う。とても思いやりのある優しい女性だ。この結婚が望んだものでなくても、お前が選んだことなのだから、彼女を労り大切にしてやれ。いいな?」
「――かしこまりました」
パトリスはフェリクスの忠告に目立たないよう頭を下げて答えると、二人の前からそっと辞した。
だが、クラリスは先ほどいた場所にはおらず、急ぎ場内を見渡して彼女を捜す。
すると、混雑した場内でも赤みがかった金色の髪はすぐに見つかった。
どうやら出口へと向かっているようだ。
パトリスは長い足で器用に人ごみを避け、彼女が会場を出る間際で捕まえることができた。
「パトリス、殿下……」
「閣下だ」
驚いて振り向いたクラリスは今にも泣きそうな顔をしていた。
動揺したパトリスはどうすればいいのかわからず、呼称の間違いを指摘しただけで、とにかくこの好奇の目に満ちた場から連れ出さなければと、掴んだままの腕を引いて扉を抜けた。
「あの、陛下にご挨拶を――」
「もう終わらせた」
会場とは違う静かな廊下を進みながら、クラリスは困惑と怯えの交じった声で心配を口にしたが、パトリスは素早く遮った。
そのまま沈黙が続く。
自分でも無愛想だとは思ったものの、それ以上は何も言えず、パトリスはクラリスを公爵家の馬車に乗せ王都にある屋敷へと向かった。
気詰まりな沈黙はさらに続いたが、ようやく屋敷に到着すると、パトリスは馬車からさっさと降りた。
そしていつもの癖で玄関への石段を上り、そこで執事のシルヴェス以外にも使用人が待ち構えていたことで、自分が花嫁を連れて戻ったことを思い出したのだ。
慌てて振り返れば、クラリスは従僕に手を借りて馬車から降りている。
今さらまた石段を下りてエスコートすべきか迷っているうちに、クラリスはゆっくりと石段を一人で上ってきた。
「ようこそいらっしゃいました。私はこのブレヴァル邸の執事を務めさせていただいております、シルヴェスと申します。何かございましたら、私にお申し付けくださいませ」
自分の失態をどう取り繕うべきか悩んでいるうちに、シルヴェスが挨拶を述べ始めたことで、パトリスはほっとした。
女性の扱いがまったくわからないパトリスに比べて、よく気の利くシルヴェスに任せていれば大丈夫だろう。
「……よろしく、シルヴェス。クラリスです」
名前を告げるクラリスの顔色はやはり悪く、早く休んでもらおうとパトリスは屋敷の中へと入っていった。
背後から部屋へ案内すると告げるシルヴェスの声が聞こえる。
書斎に入ったパトリスは堅苦しい上着を脱ぎ捨て、シャツの首元をくつろげると、控えていた従僕に告げた。
「私は明朝早く、軍へと戻る。妻もできるだけ早く公爵領へ――レスト地方へ向かえるように手配を進めてくれ。妻には領館にしばらく滞在してもらうつもりだ」
隊に戻るパトリスがこのままクラリスを残して行けば、また口さがない者たちが彼女を苦しめるだろう。
それよりも王都を離れ、自然豊かな領地で過ごせば、クラリスも少しは気分が晴れるかもしれない。
賊の出没情報はまだ領地からは離れており、危険はないはずだ。
自分があまり顔を見せないほうが、彼女も安心して過ごせるだろうと考えてパトリスは満足したのだった。




