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「どう? どこもおかしくないかしら?」

「綺麗よ、クラリス。エネとアミラの腕を信用しなさい」

「信用はしているわ。心配なのは私がきちんと淑女らしく見えるかってこと」


 いよいよ夜会の当日となり、クラリスは母であるジルダが部屋に入ってくるなり、自分の姿をゆっくりと回って見せた。

 王都で初めて社交の場に出る時よりも緊張している。


 顔の傷痕は白粉でかなり薄くなっているし、髪型もドレスも申し分ない。

 それに、伯父が招待する人たちはクラリスの顔の傷を気にするような人たちではない。


 ただどうしても緊張してしまうのは、王城での舞踏会の求婚からの悪夢のような時間と、結婚披露宴の時のパトリスの冷たさを思い出してしまうからだ。

 そんなクラリスの腕にジルダはそっと触れ、励ますような笑みを浮かべた。


「クラリス、安心なさい。もし公爵様があなたに冷たいようなら、あの取り澄ました顔を叩いてあげるから」

「ジルダ様!」

「まあ、ここ最近の公爵様のご様子を拝見するに、その心配もいらないと思うから、エネも安心して」


 どこからどう見ても淑女である伯爵未亡人から発せられた不穏な言葉は、他の者が聞けば冗談かと思っただろうが、幼い頃のお転婆な姿を知っているエネは本気だとわかっていた。

 そんな二人のやり取りに、クラリスはアミラと一緒に笑った。

 笑うと不思議と緊張が解けてくる。

 すると、今のパトリスがあの日のような態度を取るわけがないと自信が持てた。


「さて。では、行きましょうか?」

「ええ、お母様」


 クラリスは母と共にエネとアミラに見送られながら、部屋を出ると、ゆっくり階段を下りていった。

 階段下には正装に身を包んだパトリスの姿が見える。

 もちろん伯父夫妻もいたが、クラリスにはパトリスしか目に入らなかった。


「お待たせしてしまい、申し訳ありません」

「いや、大丈夫だ」


 伯父夫妻に簡単に挨拶をしてから、パトリスに待たせたことへの謝罪を口にすると、そっけない言葉が返ってきた。

 だが一緒に過ごした時間が、パトリスは不機嫌なわけではなく、ただ言葉が見つからないのだとわかる。


 要するに照れているのだ。

 そのことに気付いて、クラリスは嬉しかった。

 照れているということは、綺麗だと思ってくれているのかもしれない。

 招待客を迎える伯父夫妻や従兄たちと違って、クラリスはパトリスのパートナーとして先に会場へと場所を移したが、今日に限って会話が弾むことはなかった。


「……パトリス、ひょっとして緊張していらっしゃる?」

「いや、――いや、そうだな。おそらく、緊張している。やはり、このような場に出るのは苦手だ」


 パトリスはふっと顔を逸らし、ぼそっと呟くように答えた。

 その態度に、クラリスは今さらながらパトリスが無理をしてエスコートを申し出てくれたのだと気付いた。

 途端に浮かれていた自分が情けなく、パトリスに申し訳なくなる。


「パトリス……友人としてエスコートを申し出てくださったのはありがたいのですが、無理をなさる必要はないのです。どうかお部屋でゆっくりと過ごしてください。あのお部屋なら騒がしい音も聞こえないはずですから」

「……無理はしていない。緊張しているだけだ」


 それはやはり無理をしていることになるのではないかとは思ったが、クラリスは曖昧に微笑んだ。

 どうやらパトリスは緊張すると不器用さが増すらしい。

 そんなことを考えていたクラリスを、視線を戻したパトリスがじっと見つめる。


「あなたはとても……綺麗だ」


 視線を逸らすこともできず顔を赤くしていたクラリスは、突然聞こえた言葉に耳を疑った。

 ずっと願っていたあまりの空耳かもしれない。

 パトリスはクラリスの頬の傷を見つめながら、さらにぼそぼそと呟く。


「あなたはこんなにも魅力的で……きっと今夜も注目を集めてしまうだろう。だから……まさか自分がこんなに嫉妬深いとは……知らなかったんだ」


 そう告げると、パトリスはまた顔を逸らしてしまった。

 最後のほうの言葉は聞き取れなかったが、やはりパトリスはクラリスの体に傷がついたことを気にしてしまうのだろう。

 ひょとして、クラリスの頬の傷を悪く噂する人たちから守ってくれるつもりなのかもしれない。


「パトリスは、優しいですね」

「……そうではない」

「ですが――」


 思ったままを口にしたクラリスの言葉を、パトリスは否定した。

 だが、こうして苦手な夜会に出席し、噂されるのもかまわず一緒にいてくれるのだから間違いない。

 そう言いかけたクラリスだったが、最初の招待客が会場に入ってきたために口を噤んだ。

 それからはあっという間に会場はいっぱいになり、クラリスもパトリスを紹介することに忙しくて会話の続きがなされることはなかった。


 招待客は皆、クリスとクラリスの関係を何となく察していながらも、あえて問いかけてくることのない人たちばかりだ。

 しかし、離縁したクラリスとパトリスが一緒にいることは、どうしても気になるらしい。

 たまにそれとなく探りを入れられることもあったが、パトリスよりも先にクラリスが応じて、二人が今でも素晴らしい友人同士であることを伝えた。


 楽団の演奏が始まると、クラリスは夢見心地でパトリスと踊った。

 以前ももちろん踊ったことはあるが、今日とはクラリスの気持ちもパトリスの態度も全然違う。

 それどころか、パトリスは時々笑みらしき表情を見せてくれる。

 これこそ夢に見ていたことなのだ。


 その後は会場の隅で休みながら、クラリスは他の男性からの誘いを断り、パトリスもまた他の女性を誘うことはなかった。

 だが、次から次へと興味津々で挨拶に訪れる人が途切れることはなく、クラリスはそろそろ部屋に戻ろうと決めた。

 間違いなくパトリスは無理をしているだろう。


「パトリス、あの――」

「クラリス、久しぶりだな」

「ミカエル!」


 クラリスは予想外の人物――叔父であり幼馴染みのミカエルに声をかけられて驚いた。

 伯父からはミカエルが帰ってくるとは聞いていない。


「ミカエル、どうしたの? まさか、騎士を罷免されたの?」

「失礼なことを言うなよ、クラリス。たまたま休暇をもらったから帰ってきたら、兄上の祝賀会が催されていて急きょ参加したんだよ」

「そうだったの……。あ、あの、パトリス、こちらは私の叔父でミカエル・カリエールです。三年前にこのお屋敷で一度お会いしているはずですが……」


 久しぶりの再会に、思わずミカエルと二人で話してしまっていたことに気付いたクラリスは、慌ててパトリスへ紹介した。

 とはいっても三年前のこともあり、正騎士になったミカエルとは面識があるはずだ。

 予想通り、パトリスは曖昧な言い方になったクラリスの言葉に頷いた。


「ああ、覚えている。確かユーゴが騎士見習いとして王都へ連れて戻ったんだったな。今は正騎士としてリュシアン兄上の隊に所属していたと思うが?」

「はい。おっしゃる通りです。今回、長期休暇をいただいたので久しぶりに我が家に戻ってまいりました。ですが、閣下はなぜこちらに?」

「ミカエル、失礼よ」

「いや、かまわない」


 いつもは礼儀正しいはずのミカエルが、なぜかけんか腰でパトリスに問いかけた。

 戸惑うクラリスだったが、パトリスは気にした様子もなく落ち着いている。

 その態度に腹を立てたのか、ミカエルは目を眇めてさらに問いかけた。


「陛下は閣下に、クラリスとの離縁を命じられたはずです。それなのにクラリスをこのように振り回さないでいただきたい」

「ミカエル!」


 三年前からのクラリスの気持ちを知っていただけに、ミカエルは噂を聞いてパトリスが許せなかったのだろう。

 しかし、明らかな身分差のある相手にこのような態度では、罰せられても仕方ない。

 何よりクラリスはパトリスを責めてほしくなかった。


 三人のやり取りは小声ではあったが、不穏な空気を感じたのか周囲の視線が集まってくる。

 それでもパトリスは平然としたまま、顔色を悪くしたクラリスの手を軽く握ってから離し、ミカエルをまっすぐに見返した。


「確かに、私は陛下のご命令に従い、クラリスと離縁した。だが陛下は、クラリスに近づいてはならないとはおっしゃらなかった。また求愛してはならないとも」

「は?」

「……え?」


 パトリスの言葉にミカエルだけでなく、クラリスもぽかんと口を開けてしまった。

 周囲からは息を呑む声も聞こえる。

 ざわめきが広がる中、パトリスはミカエルから視線を外すとその場から離れていく。


 取り残されたクラリスが動揺する間もなく、パトリスは会場の壁際に置かれていた花瓶から一本の花を引き抜いた。

 そして、くるりと振り返ると、クラリスだけを見つめて戻ってくる。

 その行動に、踊っていた人たちまでもが動きを止めてパトリスを目で追った。


「いったい何を……」


 ミカエルがクラリスの隣で訝しげに呟く。

 周囲も同様だったが、クラリスだけが「まさか」という思いでパトリスを見つめ返していた。


 パトリスが手に取ったのはライラックの枝。

 華やかなバラやユリの花を引き立てるように飾られていたものだが、パトリスはその小振りの枝に意味を見出したのだろう。

 それは二人だけの秘密めいたやり取り。


 そしてパトリスは小川のほとりでの再現のように、枝をクラリスへ差し出した。

 違うのは、華やかな夜会の場で、クラリスもパトリスも正装していること。

 さらにはたくさんの観衆がいることだったが、パトリスはただクラリスだけを見つめていた。


「クラリス、以前の私は酷い夫だった。だから今度は友人としてやり直したいと思った。それ以上を望む資格が私にはなかったからだ。だが先日、あの賭けで私は小さな希望を手に入れた。それからは、どうすれば友人以上の関係を築けるかと必死だった」

「パトリス……」

「お願いだ、クラリス。どうかこの枝を受け取ってほしい。そして、私ともう一度結婚してくれないか?」

「……はい」


 パトリスの率直な求婚の言葉に、クラリスは一瞬ためらったが、頷いてライラックの小枝を受け取った。

 それはクラリスの心が求めるままの行動。

 考えるのは後でいい。

 きっとここで引いてしまっては、あとで後悔するだろう。

 

 クラリスが小枝を受け取った瞬間、わっと周囲から歓声が上がった。

 その騒ぎにも気付かないのか、パトリスはクラリスの両手をぎゅと握りしめ、喜びに満ちた灰色の瞳でクラリスを見つめた。

 劇的な瞬間を目撃した周囲の者たちが興奮する中、いつの間にか演奏を止めていた楽団が、祝福の曲を奏で始める。


「クラリス、二人だけの世界に浸るのはけっこうだが、そろそろみんなからの祝福を受けてくれないか?」

「え? あっ!」

「閣下。今度こそ、よろしくお願いいたします」

「ああ」


 ミカエルの呆れたような声にクラリスは我に返り、真っ赤になって慌てて周囲の人たちに向き直った。

 パトリスは名残惜しそうにしながらも片手は離したが、もう一方の手はしっかりとクラリスの手を握ったまま、続いたミカエルの言葉に重々しく答えた。


 人々は次々と祝福に訪れ、応えてパトリスは無言で頷き、クラリスはお礼の言葉を返していく。

 しかし、すぐに駆けつけてきた母や伯父夫妻が盛大に祝福してくれるとともに、上手く周囲の人々に対応してくれ、二人は隙を見て抜け出すことができた。


「……パトリス、本当に私と結婚してもいいんですか?」

「それはこちらの質問だ、クラリス。私はあなたに、もう二度とあのようなつらい思いをさせないと約束する。だから、再び私の妻となったら、離縁するつもりはない。それでもいいのか?」

「もちろんです。私も夫に、もう二度とあのような態度はさせませんから。それでもいいんですか?」


 昔のような勇ましいクラリスの返答に、パトリスは声を出して笑った。

 初めて聞いたパトリスの笑い声に目を丸くするクラリスを、パトリスは愛おしそうに見つめる。

 その愛に満ちた視線受けたクラリスは真っ赤になったまま、何も言えなくなってしまったのだった。




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