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 離縁状に署名してから早々に王都を発ったクラリスも、カリエールへ療養にやって来てからひと月が経とうとしていた。

 母のジルダは一度領地へと戻り、もうしばらくすれば弟のテメオを連れて遊びにくる予定である。


 そして、伯父であるカリエール卿は受勲下賜式に出席するために、クラリスが到着してから十日後に王都へと発ってしまっていた。

 式典が終わるまで王都に留まっていればよかったのだが、パトリスから少しでも離れていたくて――未練を断ち切りたくて、クラリスはあの翌日にはカリエールへと出発したのだった。


 あの日、母から渡された手紙には、パトリスの真摯な気持ちが書かれていた。

 すまなかった、と。

 だが謝罪の言葉をどれだけ連ねても、自分のしたことの償いにはならず、今はただあなたの望みを叶えることしかできない、とも。

 

 とても短いものではあったが、たくさんの謝罪の言葉よりもクラリスの心には深く響いた。

 返事を書くべきかと何度も悩み、結局は何もできないでいる。

 最近ではすっかり癖になってしまったため息を吐いた時、声がかかった。 


「クラリス様、そろそろお戻りになりませんと……」

「――ええ、そうね。今日は伯父様がお帰りになるんだもの。きちんとお出迎えしなければ、居候としては失礼よね」

「まさか! 居候などと――」

「冗談よ、クイン。みんな私を家族として思ってくれていることはわかっているわ」


 クラリスはカリエール館の馬丁頭のクインと護衛騎士二人を伴って、ビバリーの森まで遠乗りに来ていた。

 そしてあの小川のほとりで休憩がてら、ゆっくりしていたのだ。


 どうやらかなり長い時間ぼんやりしていたらしい。

 騎士たちは遠慮して距離をとってくれているのだが、クインは幼い頃から知っているせいか、クラリスも気を張らずに接することができていた。


 それから屋敷に戻り着替えたところで、ちょうど伯父の一行が帰ってきたと知らされた。

 急ぎ玄関へと向かい、伯母や従兄弟たちと一緒に出迎える。


 まず伯母が伯父の無事を喜んで頬にキスして迎え、次に従兄弟たちが礼儀正しく挨拶をしてから、クラリスも伯父の頬にキスをして無事の帰還を喜んだ。

 軽くクラリスを抱き寄せていた伯父は、解放しながらもクラリスの手を握った。


「伯父様?」

「クラリス、後で使いをやるから私の書斎に来なさい。大切な話がある」

「……はい、伯父様」


 いつもと様子の違う伯父に不安を覚え、今すぐ話してほしいと言いそうになったが、クラリスは素直に頷いた。

 王都で何があったのか、おそらくパトリスに関することだろうと、気になって仕方ない。


 しかし、皆が見ている前でできる話でもなく、伯父にも休息は必要だろう。

 部屋へと戻ったクラリスは落ち着かなげに過ごし、ようやく呼ばれて書斎に向かった時にはかなり緊張していた。

 ノックをすればすぐに伯父から応答がある。


「クラリス、わざわざ呼び出してすまなかったね」

「いいえ、もちろんかまいません。伯父様もお疲れですのに……」

「まあ、とにかく座りなさい」

「はい」


 促されて、クラリスは書斎に設えられた応接ソファに腰を下ろした。

 伯父は執務椅子から立ち上がると、机の上から書類を取り上げて向かいに座る。


「実はね、クラリスに国王陛下からこちらをお預かりしたんだよ」

「陛下から……?」


 伯父が持っていた書類を差し出され、クラリスは見当もつかずに戸惑いながら受け取った。

 視線を手元に落とすと、フェリクス国王の署名がされており、離縁を認めるものだろうかと思い、ちくりと胸が痛んだ。


 しかし、文頭から読めばそれがまったく違うものだとわかる。

 書類に書かれていたのは、ボナフェ伯爵領と隣合う王領地を分け与えるとあったのだ。


「……これは……このような、このようなものを私が頂くわけにはまいりません」

「クラリス、お前がそのように言うことはわかっていたよ。だが、断ることはできない。もうすでに陛下はこのことを皆の前で宣言なされたのだから」

「……皆の前で?」


 予想通りのクラリスの反応に、伯父は小さくため息を吐いてから言い聞かせるように告げた。

 動揺していたクラリスは、伯父の言葉を理解するのに少々遅れたが、ほんのわずかの間を置いてはっと息を呑む。


「まさか……」

「そのまさかだよ。陛下は受勲下賜式で告げられたんだ。パトリス閣下を御前にお呼びになり、お前に怪我を負わせたことを責められ、離縁せよと命じられた」

「で、ですが――」

「さらには、このたびの婚姻は閣下が強引に望まれたことであり、レイチェル王妃陛下とともにお前に結婚するようにと勧めたことを後悔しているとおっしゃったのだ。その償いにもならないが、どうか受け取ってほしいとな。内密に事を運ぶこともできたのに、両陛下と閣下はお前の名誉を回復するため、皆の前で一芝居打ってくださったのだよ」

「そんな……」

「パトリス閣下はすぐに退出されてしまったが、その後の祝賀会ではリュシアン殿下がいかに閣下がお前に一目惚れしたのかと語り、それだけではなく公爵領地での武勇伝を触れ回ってくださっていた。クラリス、二枚目はお前と閣下の離縁を認める書状だ。それと……」


 カリエール卿は一度立ち上がると、机の上に置いていた封書を持って戻ってきた。

 その封書を見て、一瞬パトリスからかとクラリスは期待する。


「これは両陛下からのお手紙だ。クラリス、土地の返還はできぬぞ。それでは陛下を侮辱することになる。私はまだすることがあるゆえ、お前は部屋に戻ってこれからのことをよく考えなさい」

「……はい、伯父様」


 パトリスと両陛下がそれだけのことをしてくれた事実に、クラリスは今にも泣きだしてしまいそうだった。

 しかし、涙を堪え震える声でカリエール卿に答えると、書類と手紙を持って部屋へと急ぎ戻る。

 それから、エネたちでさえも部屋から下げ、遠慮することなく泣いた。


 両陛下からの手紙は、クラリスへの謝罪と思いやりの言葉に溢れていた。

 クラリスはこの日、泣き腫らした顔で部屋から出ることもできず、運ばれた夕食も喉を通らなかったために、エネたちを心配させたほどだ。

 それでも翌朝になって気持ちを切り替えたクラリスは、早々に手続きを始めた。


 この先、自分が結婚することはない。

 そして国王陛下から賜った領地を返還することができないのならと、自分が死んだあとにきちんと王家へ返納されるようにと手配したのだった。




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