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 夕方になって目が覚めたクラリスは、昼食を抜いたために少し早めの夕食をとった。

 すると、また眠気が襲ってくる。

 やはり体が休息を必要としているのだろう。

 それでも夜中に目覚めてしまうとつらいので、どうにか起きていようと本を開いた。

 そこにエネがやって来て、パトリスから訪問の申し出があると伝えられた。


「公爵様は今からいらっしゃるの?」

「いいえ、クラリス様のご都合の良い時にとおっしゃってくださっています」

「……では、もしよろしければ、今からお越しくださいと伝えてくれる?」

「かしこまりました」


 今はちょうど、クラリスが以前面会を求めた時に指定された時間だった。

 そのため、パトリスの夕食を理由に話を切り上げることができる。

 その皮肉に、クラリスは心の中で小さく笑った。

 そしてしばらくすると、アミラが急ぎ部屋へ入ってきて、クラリスの髪を梳かし始めた。


「公爵様がいらっしゃるのね?」

「はい」


 緊張した面持ちのアミラを見ていると、クラリスまで緊張してきてしまった。

 寝衣に上着を羽織っているだけの姿ではどうにも心許ない。

 今まできちんと髪を結い上げたドレス姿でしか会ったことがないのだ。


 やがて扉がノックされると、クラリスは積み重ねた枕に預けたままわずかに背を伸ばして答えた。

 すると、エネが大きく開いてすぐに隅に控え、あとに続くようにパトリスが現れた。


 十数日ぶりに見るパトリスの姿は相変わらず無表情ではあったが、どことなく顔色が悪い。

 今は騎士や警備兵たちと残党がいないかなど、領地内を確認して回っているらしいので、疲れが出ているのだろう。


「――このような姿で申し訳ありません」

「いや、……気にしないでくれ」


 何を言うべきか、何を言われるのかわからず、クラリスがありきたりの礼儀に則った言葉を口にすると、パトリスは慌てたように答えた。

 いつもと様子が違うのは、クラリスの姿を憐れに思っているからかもしれない。


 それから、アミラとエネがお茶を用意する間、気まずい沈黙が落ちた。

 その雰囲気にアミラは心配していたようだったが、エネに促され、寝室から出ていく。


 途端に心細くなって、二人を呼び止めたくなった。

 会うと決めたのは自分なのに、どうすればいいのかわからない。

 それでも今回のことだけは謝罪しなければと、クラリスは小さく息を吸った。


「――すまなかった」

「申し訳ございませんでした」


 同時に謝罪の言葉を発した二人は、はっとして目を合わせた。

 しかし、戸惑いがあるだけで、和やかになるはずもない。


「なぜ、あなたが謝る?」

「それは……私の行動が軽率だったからです。ならず者が出ると知っていたのに、きちんと供もつけずに城壁を出てしまいました。そのせいで、セルジュは大きな怪我を負い、デッドもまたリハビリが必要なほどに脚を傷めてしまったからです。申し訳ございませんでした」

「いや、それは違う。ならず者のことは私がもっと早くに手を打つべきだったんだ。しかも、あなたに心配する必要はないとまで言っておきながら、恐ろしい思いをさせ、怪我をさせてしまった。だから、今回のことは全面的に私の責任だ」

「いいえ、今回のことでは、閣下はきちんと対処してくださいました。ただタイミングが悪かっただけで……ですから、閣下が謝罪なさる必要はございません」


 そこまで言って、また沈黙が落ちる。

 パトリスは何か言いかけて、思いとどまったのかすぐに口を閉じた。

 たったこれだけの会話だったのに、クラリスはすっかり疲れてしまい、これ以上はパトリスの言葉を聞く覚悟も、離縁のことを口にする気力もなかった。


「閣下……申し訳ございませんが、もう疲れてしまって……」


 はっきりと言葉にすることはできなかったが、パトリスはその意を汲んだようだ。

 いつも無表情な顔には珍しく後悔の色が浮かんでいる。


「また、あなたとはきちんと話し合いたいと思う。どうかゆっくり休んで、怪我を治してくれ」


 パトリスは静かに告げて立ち上がると、音もなく扉を開けて出ていった。

 勧めることさえしなかったお茶は、まだカップから湯気を上げている。

 それでもこれだけ疲れているのは、怪我のせいだけでなく緊張のせいだろう。

 早く怪我を治して体力をつけ、パトリスからの話を――おそらく離縁についての話し合いができるようにならなければと思いつつ、クラリスは目を閉じた。


 エネが茶器を片づけにそっと部屋に入って来た気配がする。

 だが、目を開けることもできず、ぐったりしているクラリスの上着を、エネは脱がせて枕を抜いて横たわらせてくれた。

 そのまま甘えてお礼を口にすることもなく、クラリスは眠りに落ち、次に目が覚めたのは朝になってからだった。


 心配していたように夜中に目覚めることはなかったが、やはりもうすでにお腹が空いている。

 昔、母が人間はどんな時にもお腹が空くものだと言っていたが、その通りだと思う。

 そして、お腹がいっぱいになれば、どんな時でも幸せになれるのよ、とも言っていた。


 クラリスはカーテンから射し込む光を見て、大丈夫だと判断すると、枕元のベルを鳴らして侍女を呼んだ。

 すると、すぐにアミラがやって来る。


「ごめんなさいね、朝早くから」

「そのようにお気になさらないでください。むしろ夜中でもお呼びくださってかまいませんのに……」


 クラリスは意識が回復してから、夜中に侍女を呼ぶこともなく、喉が渇いても痛みがあっても、じっと耐えているのだ。

 本来ならずっと側についていたかったエネとアミラだが、クラリスに必要があればベルで呼ぶからと言われ、交代でそっと様子を見に行くだけにしていた。


 クラリスはアミラに困ったように笑って応えただけで、おとなしく顔を拭いてもらった。

 だがそろそろ自分で動くようにしなければいけないだろうと、口を開く。


「ねえ、アミラ。今日も治療師は来るのよね?」

「はい、お昼前に。ですが、どこか痛むのですね? すぐに呼びにやりますから――」

「違うの。大丈夫よ、アミラ。ただね、いつまでもベッドに寝ているわけにもいかないし、そろそろ動いていいか訊きたいの。幸い右手は怪我もないから、自分でできることはこれからやっていくわ」

「ですが……」

「心配しないで、私は本当に大丈夫だから。むしろ退屈しているのよ」


 昨日、パトリスに何か言われたのではないかと、言葉にはしなかったがアミラが心配していることはわかった。

 だから、冗談っぽく付け加える。


 アミラはわずかに安堵した表情になったが、それでも心配は尽きないのか、すぐにエネに相談したようだ。

 朝食を運んできたエネは、クラリスを観察するように見つめながら、世話をやいてくれる。

 赤子の時から面倒をみてもらっているエネに嘘はつけない。

 しかし、エネは何も言わずにひと通りのことをすると、部屋から出ていった。


 そして、昼前。

 アミラの言っていた通りの時間に、治療師がやって来た。


「そうですね。左腕の矢傷以外は、かなり回復してきましたし、そろそろ起き上がるのもいいでしょう。ですが、無理はいけません。腰も右腿もまだきちんと傷が塞がったわけではないんですからね。ゆっくりと、今日明日はこの寝室だけを歩くようにしましょうか。それでも無理だと感じられたらすぐに休まれること。奥様はすぐに我慢なされると伺いましたよ。いいですね? 絶対に無理はなさらないでください」


 穏やかながらもきっぱりとした口調で告げる治療師の言葉に素直に頷き、クラリスはまずベッドの隣にある椅子まで移動することにした。

 もちろん、両脇をがっちりエネとアミラが固めており、何かあればすぐに手を貸せるようにしている。

 過保護すぎる二人に苦笑しながらも、クラリスは治療師が見守る中でゆっくりと移動した。


「ふむ。まあ、いいでしょう。多少の痛みは仕方ありませんしね。では、念のために今日はもう一度夕方に参ります」


 そう言って、治療師は帰っていった。

 クラリスにとっては、ほんのわずかな距離だったが、ベッドから出ることができてとても嬉しかった。

 次はあの長椅子に移動すれば、空ばかりではなく地上も見える。

 そう考えるとわくわくしてきて、エネに注意されるまで窓の外――青空を自由に飛ぶ鳥たちを眺めていた。




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