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 パトリスからの手紙はただ事務的に、五名の騎士を明後日に城へ向かわせるとだけあった。

 それでもクラリスは、パトリスが直接手紙をくれたことが嬉しかったのだ。

 そのため、翌日はいつも以上に足取りも軽く、厩舎へと向かった。


「奥様、今日はデッドにお乗りになりますか?」

「そうね。昨日は無理をさせたくなくて、いつもの子にしたら、拗ねて大変だったものね」


 五日前からリハビリを兼ねて、クラリスがデッドに乗って近場の森を散策するようになったのだが、昨日はお留守番をさせてしまったばかりに、デッドは飼葉をまき散らしたりと抗議して皆を困らせたのだ。

 そこで近場ならセルジュもすっかり慣れたので、二人で森へと向かうことにした。


「今日も剣を携行なさるんですか?」

「弓矢もね。デッドは軍馬だから、難なく受け入れてくれて助かるわ」


 先日、初めて馬に乗る日にクラリスが女性用乗馬服の腰に剣を下げていた時には、セルジュだけでなく皆が驚いていた。

 クラリスはエスクーム王国に隣接するバイレモ地方出身で、一応は護身のために剣を習ったのだと言うと、ならず者の噂を聞いていた皆は納得してくれたのだ。


「まあ、あのパトリス閣下のご領地に入り込もうなんて命知らずは、いないでしょうけどね」

「……そうね」


 笑いながらもセルジュも弓矢は携行している。

 話に聞いたところによると、セルジュは馬の扱いだけでなく、狩猟の腕もかなりのものらしい。

 誰もが――クラリスでさえも、武器の携行は念のためであり、使うことなどないと思っていたのだ。

 その考えがどれほど甘かったかと思い知らされたのは、そろそろ引き返そうという頃だった。


「デッド、どうしたの?」

「奥様、どうされました?」

「デッドが落ち着かないの。ひょっとして、近くに熊でもいるのかもしれないわ」

「ふむ、確かに。では、早めにここを離れましょうか」


 まだ熊の被害は届いていないらしいが、最近は猪が農作物を荒らしているという話は馬丁たちから聞いていたため、クラリスは警戒した。

 ひょっとすると森も山も今年は木の実が不作なのかもしれない。

 そう考えながら、二人が馬首を翻したその時――。


 しゅっと風を切る音に続いてすぐに、パシンと乾いた音が森の中に響いた。

 はっと二人が音の方を見れば、古木に矢が刺さっている。

 デッドは恐怖ではなく怒りのために前足を上げて嘶き、続いて何本もの矢が風を切る音が聞こえた。


「っぐぁ!」

「セルジュ!」


 襲われている。

 瞬時に理解したクラリスはすぐさま二本の矢を弓につがえ、矢の飛んできた方角にでたらめに撃ち放った。

 セルジュも脇腹に矢を受けながらも矢を放っている。


「馬と女は傷付けるな! 男を狙え!」

「奥様、お逃げください!」


 とにかく逃げる隙を作らなければと、やみくもに矢を二本ずつ放っていたクラリスの耳に、襲ってくる男の声、セルジュの声が聞こえる。

 矢の飛んでくる方にばかり気を取られていたクラリスは、すぐ近くまで迫っていた数人の男に気付かなかった。


 デッドが怒りの声を上げ、一人目の男を後ろ足で蹴り飛ばす。

 前のめりになったクラリスは振り落とされないようにデッドにしがみついた。

 その拍子に弓を落としたが、どうにか剣を抜き、近づく男たちを馬上から振り払う。


「お頭! 女は剣も持ってやすぜ!」

「少しぐらい傷つけてもかまわねえ!」


 反撃を受けて焦ったらしい男の叫ぶ声に、どこからか怒鳴り声が上がる。

 どんなに剣や弓矢の稽古を積んでいようと、実戦経験のまったくないクラリスには、もうなす術がなかった。


 とにかく逃げなければと考え、前を向いたその視界の隅で、セルジュの体が馬上でぐらりと傾ぐのが見えた。

 自分でもどう動いたのか、とっさにセルジュの体を抱きとめてデッドへと引き上げる。

 すると、合図をしなくてもデッドは一気に走り出した。


「あいつら、逃げるぞ!」

「矢を放て!」

「ダメだ! 深追いはするな!」


 次々に聞こえてくる雑音を振り払い、クラリスはセルジュがデッドから落ちないように支えているだけで必死だった。

 デッドは指示を出さなくても、城へとのどかな散歩道を駆け抜ける。


 腰が痛い。背中も痛い。頬が熱い。

 腕も痺れ、足に力が入らず、デッドに振り落とされてしまいそうだ。


 それでもクラリスは自分でも信じられない力を発揮して、セルジュを支え続け、森を抜けて城壁へとたどり着いた。

 昼間は門兵のいない門をくぐり抜け、霞む視界に厩舎を捉えたことまでは覚えている。

 だが、そこからの記憶はない。


 ただ体が燃えるように熱く、目の奥がちかちかとして、体を動かすこともできなかった。

 そんなクラリスの額に、時折冷たい手が触れる。


 放っておいてほしいのに、無理に苦い液体を口へと流し込まれる。

 特に熱を発しているらしい箇所に、悲鳴を上げるほどに痛くさらに熱いぬめりとしたものを塗られる。


 もう、いや。

 お願いだから、解放してほしい。


 声にならない言葉を何度か口にしたと思う。

 クラリスはそう考えて、自分が徐々に思考を取り戻してきていることに気付いた。

 ただし、動くことも、きちんと声を発することもできない。

 まぶたを上げるだけでも億劫で、小さく息を吐き出すのがやっとだった。


「……クラリス様?」


 枕元でずいぶん掠れた声がする。

 アミラだ。

 答えなければと思うが、やはり何もできない。

 それでもどうにか乾いた唇を開け、呻き声のようなものは出せた。


「クラリス様!」


 今度のアミラの声は甲高く、頭に響く。

 思わず顔をしかめると、アミラが泣きだす声が聞こえた。


「ああ、クラリス様……」

「アミラ、まさか……」

「母さん、クラリス様が反応されたの」


 扉が開く音がして、エネの声もする。

 その声が妙に懐かしくて、クラリスは再びほっと息を吐きだした。


「まあ、本当に……アミラ、泣いていないで、薬師を急いで呼んできなさい。それに閣下にもお知らせしなければ」

「え、ええ、わかったわ」


 しっかり者のエネと、うっかり者のアミラの、いつもの親子のやり取りがおかしくて、つい笑ってしまった。――つもりだったが、咳が出て苦しくなってしまった。


「クラリス様、失礼いたします。ああ、お体が痛みますよね。ですが……さあ、ゆっくりと呼吸をなさって」


 おそらくシーツごとクラリスは体を横にさせられた。

 その時に痛みが走り呻いたが、エネは優しく温かい手で背中をゆっくりと撫でてくれる。

 体中がずきずきと痛んだが、それでもエネの手は気持ちいい。

 昔、ひどい風邪をひいて咳が止まらなかった時も、エネは一晩中側にいてくれて、こうして背中を撫でてくれたのだ。


 だが、その時よりもエネの手が骨ばってしまっていることを薄い生地越しに感じて、クラリスは涙が込み上げてきた。

 ずっとエネには心配ばかりかけている。

 どうにか口を開こうとした時、鼻をつくような臭いがして、しわがれた声がした。

 この臭いは、意識がなかった間に何度も無理に飲まされたものだ。


「おやおや、ようやくお目覚めになったようですなあ。ああ、無理して目を開けようとしなくてよろしいですよ。ただ口は開けてもらわなくては、薬湯を飲めませんからね」


 薬師らしい老婆の声を聞いて、クラリスは鼻にしわを寄せた。

 それを見て、エネやアミラの喜ぶ声、老婆のくっくと笑う声が聞こえる。

 痛む体をエネとアミラがゆっくりと起こしてくれ、鼻が曲がりそうなほどの臭いのする薬湯が入ったカップを唇へとつけられた。


 嫌で仕方なかったが、飲まなければならないのはわかっていたので渋々口を開けると、予想を裏切らない苦いどろりとしたものが口へ入ってきた。

 どうにか飲み干そうとしたが、最後は堪らずにごほっと吐き出してしまう。


「まあ、大変!」

「クラリス様、よく頑張られましたよ」

「ふむ。まあ、これぐらいならいいでしょう」


 エネとアミラが慌てて濡れた布で口を拭いてくれる。

 ついでに顔も拭いてくれたおかげで、少しすっきりしてようやく目を開けることができた。

 すると、初めて見る老婆が新しいカップを口へと近づけていて、思わず顔を逸らし痛みに呻く。


「ほらほら、あまり無理に動かれてはダメですよ。心配なさらなくても、これはただの白湯ですから」


 言われて、確かに臭いがしないことに気付き、クラリスはおとなしくカップを口に当ててもらい、白湯を飲んだ。

 途端に口の中に広がっていた苦みが消えていき、ごくごくと全部を飲み干した。


「……あり…とう」


 ほっとひと息ついたクラリスは、やっとのことで声を出すことができた。

 たったそれだけのことだったが、アミラはまた泣きだし、エネも目尻をエプロンで押さえている。


 そこに、寝室の外が――居間のほうが急に騒がしくなり、軽いノックの音がした。

 エネが応対してメイドとこそこそと話し、クラリスの許へと戻ってくる。


「クラリス様、公爵閣下がお会いしたいといらっしゃっておりますが……」


 エネの言葉を理解するのに、クラリスはしばらくかかった。

 そして意識しないまま口からは拒絶の言葉が出ていた。


「いや……いやよ……」




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