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 二日後、クラリスが午後になって厩舎に行くと、見慣れない顔の男性が働いていた。

 さらには厩舎内を見回しても、ペイターの姿が見当たらない。

 ちょうど近づいてきたミックに問いかければ、驚くことを聞かされた。


「ペイターさんは今朝早くに出発しました」

「今朝早く!? では、馬たちの世話は?」

「べ、別に自分がいなくても大丈夫だろうって……」


 ついきつくなってしまったクラリスの口調に押されて、ミックは自信なさそうに答えた。

 ミックに非はまったくなく、怯えさせてしまったことを後悔しながら、クラリスは口調を和らげて続ける。


「では、新しい方に引き継ぎもしなかったの?」

「はい。あの方が新しい頭ですよ。昼前に到着したんですけど、馬たちもすっかり懐いてしまいました」


 どうやらそうらしい。

 ぱっと見ただけでも馬に愛情をもって接しており、馬たちも嬉しそうに応えている。


 クラリスの視線に気付いたのか、奥で作業していた新しい馬丁頭――セルジュが振り返り、世話をしていた馬の鼻頭を優しく撫でてからゆっくりと近づいてきた。


「はじめまして。私はセルジュと申します。パトリス様から――公爵様からこちらの厩舎で働くようにと申しつけられ、王都の屋敷から参りました。よろしくお願いいたします」


 よく日焼けしたしわだらけの顔をくしゃりと歪ませて笑い、セルジュは深々と頭を下げた。

 クラリスはそんな態度を予想しておらず、一瞬言葉に詰まったが、すぐに気を取り直すと、軽く頷いた。


「私はクラリス。もう知っていると思うけれど、公爵様と結婚して、ここの女主人となりました。馬は私も大好きなので、ちょくちょくこちらには来るつもりよ。もちろん、作業の邪魔にはならないようにしますから、気にしないでくれるとありがたいわ」

「はい。閣下から伺っております。どうぞお気になさらず、もし乗馬なさりたいならおっしゃってください。まだ馬たちの性格を全て掴んではおりませんが、できるだけ早く把握して、奥様に合った馬を見繕いますので」

「……ありがとう、セルジュ。今日はデッドの調子を見にきたの。大丈夫かしら?」

「ははは。あいつは我が儘ですからねえ、思いっきり走れない今の状態は大変ですよ。でも奥様がずいぶん世話をしてくださったとか? ミックから聞きましたよ」

「……ええ」


 気さくなセルジュの態度に、クラリスは胸が詰まって上手く答えることができなかった。

 パトリスと結婚して初めて、何のわだかまりもなく男性使用人に話しかけられたのだ。

 クラリスは込み上げてくる涙を抑えて平静を装い、セルジュに笑顔を向けた。


「デッドのことはよく知っているようね?」

「はい、それはもちろん。デッドが仔馬の時から私は面倒を見ておりますからね。閣下はことさらデッドを可愛がっておられたから、怪我をしてなお、ご自分のお側からあまり離したくなかったようですね」


 だから自分に託さずこの城まで連れてきたのだろうと、セルジュは笑った。


「華やかな奥様を王都ではなく、このような辺境の地にお連れになったのも、きっと同じ理由からでしょうね」


 続いたセルジュの言葉に、クラリスは目を見開いた。

 ひょっとしてセルジュは馬にかまけてばかりで噂を聞いていないのかもしれない。

 曖昧に微笑みながらそう納得したクラリスは、話題を変えた。


「では、これからデッドのことは安心ね。馬には……もしお天気がよければ明後日には乗りたいわ。でもこの辺りの地形には詳しくないので、誰か慣れた人に付き合ってもらえるかしら?」

「かしこまりました。では、誰か適任者を探しておきましょう。また奥様に合う馬も。もちろんデッドのことはお任せください」

「ありがとう。馬にはここ数ヶ月は乗っていないから、できるだけおとなしい子をお願いね」


 そう言って、クラリスはデッドの馬房へと向かい、しばらく撫でてやってから厩舎を後にした。

 セルジュに任せていれば、デッドはもう安心だ。

 城内に入ると、ハットン夫人を捜して家事室へと向かった。


「ハットン夫人、お疲れ様。もう片付けは終わったかしら?」

「ええ。メイドたちは落胆してますが、よく働きましたよ。まあ、途端に仕事をしなくなった者たちもいますがね」

「……馬鹿な人たちね」


 ハットン夫人の報告に、クラリスは呆れのため息を吐いた。

 よくさぼっていた男性使用人たちは、パトリスが軍へと戻るとすぐに元通りらしい。

 それをサモンドは叱ることもしないのだ。

 もはやそのことについては諦めて、クラリスやハットン夫人たちは日常の生活に戻った。


 しかし、クラリスにとって大きく変わったことがある。

 馬に乗れるようになったのだ。

 元々、馬丁たちはペイターに従って黙々と仕事をしていただけで、特にクラリスを嫌っていたわけではない。

 ミックのように自分に火の粉がかからないようにしていただけだった。

 そのため約束通り、クラリスが乗馬服を身に着けて厩舎に行った時には、すでに気立てのいい雌馬と付き添いの者たちの馬が二頭、鞍も載せられて待っていた。


「私もこの地は慣れていませんから、ご一緒してよろしいですか? できるだけ早く地形を知りたいので」

「ええ、もちろんよ」


 それからは簡単な散歩道を毎日散策した。

 さらにセルジュはクラリスがいない間に、他の地形を馬丁たちから教えてもらったりしているらしい。

 馬丁頭のセルジュの人柄か、厩舎はとても明るく、みんながいきいきと仕事をするようになっていた。


「――奥様」

「……何かしら、サモンド?」


 この日はいつもより少しだけ遠出してから城へと戻ると、サモンドに呼び止められてしまった。

 途端にクラリスの浮かれていた気分も沈む。


 サモンドはまたクラリスの姿をじっと眺め、唇を歪ませながら近づいてくると、盆に載せた手紙を差し出した。

 サモンドに気を取られていたクラリスは手紙には気付いていなかったので、少しばかり驚き目を瞬く。


「閣下からのお手紙でございます」

「公爵様から?」

「さようでございます」


 パトリスから手紙が届いたことが信じられなくて、クラリスは思わず訊き返してしまった。

 当然、サモンドは白けた様子で頷く。

 クラリスは恐る恐る手紙を受け取ると、裏返して差出人の名前を確認した。

 本当に、パトリス・アンシェットと署名がある。


「……ありがとう、サモンド」


 今すぐ部屋へと駆け込んで手紙を読みたい気持ちを抑え、冷静にサモンドにお礼を言って踵を返す。

 その背をサモンドは睨みつけるように見ていたが、クラリスが気付くことはなかった。




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