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「お願いがあるのですが、この城に幾人かの騎士を滞在させてはいただけませんか?」
「……彼らを置いていけというのか?」
クラリスが本題を口にした途端、パトリスは明らかに不快感を示した。
表情はほとんど変わらないが、雰囲気に剣呑さがにじみ出ている。
「いいえ、今すぐというわけではないのです。ただ近いうちにお願いしたいと思っております。閣下のお耳にはすでに入っているかと存じますが、ここ最近、領地の近くにならず者が住み着いたとの噂を聞きました。その者たちがこの地に来ないとも限りませんし……私自身、この城内に滞在して護衛してくださる方がいると心強いのです」
「なるほど。あなた専属の護衛騎士が欲しいというわけか」
納得の言葉を呟きながらも、パトリスの声には蔑みがこもっている。
どうしてこの人は自分の言葉を一言一言悪く捉えるのだろうと悲しく思いながらも、クラリスは静かに続けた。
「たとえ閣下が望んでいらっしゃらなくても、私はすでにあなたの妻です。この城は警備兵たちに守られておりますが、夫が――閣下がいらっしゃらないのは周知の事実。ならず者たちがどのような規模かはわかりませんが、指揮官のいない兵は烏合の衆も同じだと思われ、狙われる可能性は十分にあります。身分の高い女性の許には間違いなく、簡単に持ち運べる高価な物が――宝石がたくさんあると思われるでしょうから」
「……あなたは、宝石を多く持っているのか?」
「多くとまでは言えません。ですが、母から譲り受けた物や嫁入り道具としてそろえた物がいくつかあります」
素直に答えると、パトリスは公爵夫人としては数少ない宝飾品の一つであるエメラルドのイヤリングとネックレスに視線を向け、顔を歪めた。
まるで笑っているようにも見えるが、だとすれば嘲笑だろう。
この九日間、ずっと同じものを身に着けていたが、そのことにパトリスが気付いているとは思えない。
「本来は結婚の贈り物として、夫である私が色々と贈るべきなのだろうな」
「い、いいえ、そのようなことは望んでおりません。ただ私は一般的なことを述べただけです。城に仕える女性たちも、城内に騎士がいれば安心できるでしょう。ですから、どうか騎士を数名……閣下の部下の方たちが国境警備のために難しいとおっしゃるのなら、ボナフェ伯爵領から呼び寄せますので、その許可を――」
「その必要はない!」
いきなり声を荒げたパトリスに驚いて、クラリスは飛び上がらんばかりに驚き震えた。
今まで静かな怒りは何度も感じていたが、このような怒声は初めてである。
それでもクラリスは勇気を振り絞って顔を上げると、パトリスは自分の失態を悔いるような苦々しげな顔をしていた。
「……すまない。大声を出すつもりはなかった」
「いえ、大丈夫です」
お互い小さく深呼吸をしながら呼吸を整え、冷静に会話を再開する。
パトリスは父によく似ていると思っていたが、そうではないかもしれないとクラリスは感じた。
父は大声をよく上げていたが謝ったことは一度もなく、腹を立てれば暴力をふるったが、パトリスはクラリスが生意気なことを言っても鞭を使うことはなかったのだ。
そんなことを考えながら、じっと見つめていると、パトリスは一度大きく息を吐き出して続けた。
「騎士については、確かにあなたの言うことも一理ある。軍に戻り次第、何名か選出して、ここに向かわせよう」
パトリスが自分の言い分を聞き入れてくれたことに、クラリスの気持ちは浮上した。
しかし、それも一瞬。
「よって、あなたの実家から騎士を呼び寄せる必要はない。妻の実家に騎士を借りるなど、大恥もいいところだ。またならず者についても我々軍部に任せてくれればいい。あなたが気に病む必要はない」
「……わかりました。お心遣い、感謝いたします」
「では、あなたの話というのは終わりだろうか?」
「はい」
「そうか。では、私も着替えなければいけないので、これで失礼する」
そう告げると、パトリスは立ち上がり立ち去りかけたが、何かを思い出したのか足を止め振り向いた。
「そういえば、王都の屋敷にある金庫には、腐るほどの宝石があるはずだ。今はあなたの物だから、好きに着飾ればいい」
無表情のままにパトリスは冷たく言い放つと、クラリスが何か返す間もなく、書斎から出ていってしまった。
結局また一人残されたクラリスは、今度はのろのろとソファから立ち上がり、主のいなくなった書斎を見回した。
明日からここは再びサモンドの支配する部屋になるのだ。
おかしくもないのに、なぜかクラリスはくすりと笑うと、書斎を出て食堂へと向かった。
すると、食堂の前室にではすでに騎士の一人がマントルピースに寄り掛かってワインを飲んでいた。
「まあ、タレス。もういらっしゃっていたのね。お待たせしてごめんなさい。退屈でしたでしょう?」
「いえ、私が早すぎたのですよ。今夜でお美しいクラリス様とお別れかと思うと、残念で時間が惜しくなりましてね」
「また、そんなご冗談を……」
ありきたりな返答をして、クラリスは笑った。
騎士たちは当初からクラリスに対してとても好意的であり、皆から名を呼び捨ててほしいと乞われ、クラリスも〝公爵夫人〟ではなく名前で呼ぶことを許したのだ。
タレスは三人の騎士の中で一番若いが、それでもサクリネ王国との戦以前からパトリスに仕えているらしい。
「いえ、本気ですよ。ですが閣下は口下手な方ですからね、私が閣下の気持ちも代弁させていただいているのです」
「公爵様は、そのようには……この結婚も無理強いされたようなものですし……」
明るいタレスを前にして、クラリスはつい弱音を吐いてしまった。
慌てて取り繕おうとしたが、それよりも先にタレスが口を開いた。
「閣下は何があっても無理強いされるような方ではありませんよ。それが結婚ならなおさらです。名誉などを気にする方でもない」
「ですが……」
「クラリス様は閣下とお話をされますか?」
「え? ええ。それはまあ……」
クラリスにとして会話したのは片手で数えられるほどでしかない。
夫婦としては情けない限りであるが、タレスはにやりと笑った。
「閣下は女性の前では言葉を発しないのが常なのですよ。本当に必要に迫られれば最低限、一言二言は話されますが……。まあ、あれでも昔よりはずいぶんよくなったんですけどね。王妃様が嫁いでいらっしゃった頃からですから、今までまともに会話されていた女性は、王妃様くらいじゃないですかね? いや、あれは会話といえるのか……?」
声を発しない王妃とのやり取りを見たことのあるタレスは、自分の言葉に疑問をもってしまった。
だが不安そうな主人の奥方を励まそうと、また明るく笑いかける。
「閣下と会話が成立するだけでもすごいですよ。女性たちのほとんどは閣下の声すら聞いたことがないですから」
そこまで言って、タレスはクラリスに飲み物がないことに今さら気付いたようだ。
部屋の隅、会話の聞こえない距離にひっそりと控えていた従僕を手招きする。
「お飲み物はいつものでよろしいですか?」
「ええ、ありがとうございます。本当に、私は女主人として失格だわ」
従僕に甘口のシェリー酒を用意するよう指示するタレスに向けて、クラリスは苦笑した。
これではどちらが客なのかわからない。
タレスは従僕からグラスを受け取りクラリスに渡す。
「今回の私は招かれざる客ですからね。あの閣下がご結婚されたお相手を拝見したかったのですよ。クラリス様はお若いのにしっかりなさっている。そして美しい。閣下は果報者ですよ」
その慰めにクラリスは寂しげに微笑んだだけだった。
するとタレスはさらに言い募る。
「今は閣下も意固地になっていらっしゃるかもしれませんが、そのうちにきっとご自分の本心に気付かれますよ。何せ私は、閣下以上に閣下のことを存じ上げておりますからね」
胸を張って言うタレスを見ていると、明るい気持ちになれる。
いつの間にかクラリスは声を出して笑っていた。
そこに他の騎士たちもやって来て、楽しい会話が続く。
先ほどまでの暗い気持ちが嘘のように、クラリスの心は軽くなっており、それはパトリスがやってきても変わらなかった。
パトリスはそんなクラリスに訝しげな視線を向けたが、やはり何も言うことはなく、最後の夜はクラリスにとって思いのほか楽しく過ごすことができたのだった。




