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 次の日から、城内の雰囲気はがらりと変わった。

 城主であるパトリスが滞在しているからというよりは、お供の騎士たちの明るさのお陰だろう。


 彼らは相手がメイドであろうが下働きの女性であろうが、陽気に話しかけ皆を楽しませてくれる。

 そのためか、威圧的だった男性使用人たちが急におとなしくなっていた。

 何より、今まで俯きがちだった女性使用人の顔に笑みが浮かんでいるのだ。


「このままなら、何も問題はないけれど、彼らが去った後が心配だわ」

「騎士様たちですか?」

「ええ」

「確かに……サモンドさんをはじめ、男性使用人たちは不気味なほどに静かですものね。仕事も真面目にこなしておりますし、クラリス様に対しても礼儀正しく接していて……」


 よくさぼっていた下男や、クラリスに従いながらも反抗心を隠さなかった従僕も、今は驚くほどよく働いた。

 だからこそ、その反動が怖い。


「奥様、私から申し上げるのも差し出がましいとは思うのですが、この城に常駐の騎士を何人か置いていただけるよう、閣下にお願いしていただけないでしょうか?」

「常駐の騎士を?」

「はい。この城にも警備兵はいますが、主に城の外を警備する者たちです。もちろん国境にはしっかりと軍が駐留しておりますし、これまではそれで特に問題はなかったのですが、今は奥様がいらっしゃいます。正直に申しまして、奥様がこちらにいらっしゃった時に付き従っていた騎士たちが、翌日すぐに城を発ったのには驚きました。奥様ほどに高貴なご婦人に護衛騎士がいらっしゃらないのは問題です。閣下はおそらく……周囲に女性がいらっしゃいませんでしたから、その必要性にお気付きになっていないのではないでしょうか?」


 今まで護衛などについてもらったことのないクラリスは、ハットン夫人に言われるまで気付かなかった。

 だが、公爵夫人ともなれば、――特に夫が留守をしているのなら必要なのだろう。

 城の城壁部分には警備兵が何人もいるが、何かが起こってから城内に駆けつけたのではとても間に合わない。

 戦争も終わり、すっかり平和になったとはいえ、ボナフェ伯爵領のあるバイレモ地方には、時折エスクームの残党が出没することもあったのだから。


「でも、ここはエスクームからはずいぶん離れているし、サクリネ国とは今のところ友好関係が続いているわ。王妃様のご実家であるブライトン王国とはさらに問題ないはずだもの。それなのに公爵様から騎士をお借りするのは……」


 ためらうクラリスに、エネがお茶の入ったカップを置いて首を振った。

 ハットン夫人とエネ、そしてクラリスは今、夫人の部屋で午後のお茶を飲みながら、明後日に迫ったパトリスたちの出発について話し合っていたのだ。

 軍に合流するまでに一日はかかるため、何か軽食を持っていってもらうべきだろうと。

 それがいつの間にか話が逸れ、城内のことになっていた。


「アミラがメイドの一人から聞いた話ですけどね、何でも公爵領の近くの森にならず者たちが住み着いたらしいと」

「ならず者?」

「ああ、それは私も聞きましたよ。ひょっとすると、エスクームから逃れてきた流民かもしれませんね。あそこは今、生活していくのも苦しい状態で、ずいぶん民が逃げ出しているらしいですから。そのことをサモンドさんには報告したんですがね、噂にすぎない上に、領地ではないのだからと、取り合ってくれなかったんですよ」


 ハットン夫人としては、クラリスを怖がらせたくなくて伏せていたようだ。

 そのため護衛騎士をと言い出したのだが、幼い頃からクラリスを知っているエネは正直に打ち明けた。


 嫁入り道具としては通常あり得ないが、クラリスは馴染んだ剣や弓矢を持ってきている。

 もう必要ないかもしれないと思っていたが、これからは弓矢はともかく、小型の剣だけでもパトリスたちが軍へ戻ったあとは持ち歩いたほうがいいかもしれない。


「そのならず者のことは、公爵様ならきっともう情報を手にしていらっしゃるでしょうから、何か対策をしてくださっているんじゃないかしら。でもそうね、騎士についてはお願いしてみるわ」


 そう答えながらも、もし渋るようなら伯爵家の騎士を置いてもらうようお願いしようとクラリスは決めた。

 彼らならこの城内の雰囲気も変えてくれるだろう。


(ただ、それさえもパトリスが拒否してしまったら……?)


 そこまで考えて、クラリスは自嘲した。

 試す前から怖気づいてどうするのだろう。

 クリスなら、そんな自分を笑い飛ばすか叱りつけるはずだ。


 さっそくクラリスはパトリスに宛てて手紙を書いた。

 出発までに話したいことがあるので、時間が欲しいと。

 同じ城内にいるのに、手紙でやり取りするなどおかしな話だが、避けられているのか城内で会うのは食事の時だけだからだ。

 そして半日ほどして返ってきた手紙には、明日の夕食前の時間が指定されていた。

 夕食前ということは、時間制限があるということだ。


(パトリスはずいぶん……臆病になったものね)


 期待することをやめ、リュシアン殿下の言う通りに、別々の暮らしを――心の通わない結婚生活を受け入れてしまえば、もうパトリスに対してもただの他人のようにしか感じられなかった。

 それでも妻となった以上、夫の――パトリスの意向を受け入れなければならないし、公爵夫人としてこの城や領民に対しての責任もある。

 その気持ちのまま、クラリスはパトリスたちとの最後の夕食のために精一杯着飾って、約束の時刻になると、書斎の扉をノックした。


「……ずいぶん派手な格好だな」

「今日は皆様方と一緒に夕食をとる最後の夜ですもの。女主人として、皆様方に敬意を表すためにも、当然の装いをしたまでです」


 入ってきたクラリスの姿に眉をひそめたパトリスは、初めてクラリスの装いに言及した。

 それが非難するものであっても、クラリスはかまわずに堂々と返した。

 そのただならぬ雰囲気に気まずさを感じてか、パトリスの秘書官がそっと部屋から出ていく。

 そして完全に二人きりになると、パトリスは気を取り直すように大きく息を吐きだした。


「あなたから話があるということだったが、その前に告げておきたいことがある」

「……何でしょう?」

「馬丁頭のペイターのことだ。彼は推薦書通り、よく働き皆を指示して、馬の面倒もよくみている」


 パトリスから切り出された話題に、クラリスは思わず両脇で手を握り締めた。

 おそらく何も問題はないと、自分の我が儘だと責められるのだろう。

 しかし、続いた言葉は予想外のものだった。


「だが、彼には馬に対する愛情がない」

「……え?」

「馬にだって感情はある。ただ事務的に世話をされても、馬は喜ばない。デッドがそのいい例だ。あいつは気位が高く、我が儘でもある。自分に無関心な相手には容赦しないからな」


 驚いたクラリスに、パトリスは言い聞かせるように告げた。

 もちろん、そんなことはわかっていたが、パトリスがそれを認めたことに驚いたのだ。

 さらには、デッドに対する愛情溢れるパトリスの言葉には思わず微笑んでしまった。


 さすがによくわかっている。

 そんなクラリスを、パトリスは執務机に座ったままじっと見ていた。

 そこでふと礼儀を思い出したのか、パトリスは立ち上がると、クラリスに応接ソファを勧める。


「すまない。どうか座ってくれ」

「……ありがとうございます」


 立たされたままだった前回に比べて、ぶっきらぼうではあったが、きちんと礼儀をもって接してくれることに、クラリスはこっそり安堵していた。

 そもそもパトリスは女嫌いというだけあって、女性への接し方がわからないのかもしれない。

 パトリスも向かいに座ると、どこか居心地悪そうに視線を逸らし、そのまま話し始めた。


「わたしがここに来るまで、デッドを馬房から出して面倒を見てくれたのは、あなたらしいな。見習いのミックから聞いた。……ありがとう」

「い、いえ……私も馬のことは、大好きですから……」


 突然お礼を言われて、クラリスはうろたえた。

 それだけで、もう大丈夫だと思っていた気持ちが揺れる。


「ここは私の本拠地でもあるし、赴任地からも近い。この先も大切な馬たちを多く連れてくることになるだろう。だからこそ、特にここの厩舎には経験はもちろん、馬への愛情をしっかりもっている人物に任せたいと思っている。だから、私は王都の屋敷から信頼のおける者を呼び寄せることにした。名をセルジュと言う。屋敷の厩舎にはしっかりしたセルジュの部下がいるから、心配はいらないしな」

「では……ペイターはどうなさるおつもりですか?」


 パトリスが自分の言い分を認めてくれたことは嬉しかったが、ペイターの行く末は気になった。

 サモンドに対しては解雇すればいいというようなことを言ったが、本気ではなかったのだ。

 ペイター自身は馬に愛情がないだけで、優秀な馬丁と言って差し支えないだろう。


「セルジュが到着次第、王都に向かってもらうことになる。彼には王城の厩舎で働けるよう紹介状を書いた。あそこで働けば、ペイターにもまだまだ学ぶことがあるとわかるだろう。シンディもいるしな」

「シンディ?」

「王妃様の愛馬だ」


 たとえ馬丁頭ではなくても王城の厩舎で働けるなど名誉なことであり、ペイターにとっては出世でもある。

 そのことにほっとしつつ、相変わらず馬のことになると饒舌になるパトリスの言う〝シンディ〟が気になった。

 すると、答えたパトリスの顔にかすかな笑みが浮かぶ。

 それは忘れた――忘れようとしていた恋心を刺激するには十分だった。


「次にこの城についてだが、私には特に何も問題がないように思えた。サモンドの指揮下で皆よく働いている。あなたの言い分には甚だ疑問だ」

「私はただ……サモンドは確かに家令として、よく働いてくれているとは思います。ですが、家令には家令の、家政婦には家政婦の領分があります。そして私は女主人として、皆の――メイドや従僕、下働きの者たち全ての使用人に対して責任を持っているつもりです。ですから、時にサモンドには――いえ、他の者たちにも厳しく言うこともあるでしょう。それを素直に受け入れられないのなら、敬意をもって接することができないのなら、問題だと思っているのです」

「……敬意とは強いるものではない。自分で勝ち取るものだ」


 脆くなっていた心にパトリスの言葉が突き刺さる。

 それでも、クラリスは膝の上でぐっと両手を握り締めた。

 惑わされてはダメだ。目の前にいるのはクリスの知っていたパトリスではないのだから。

 そう自分に言い聞かせ、背筋をぴんと伸ばす。


「閣下のおっしゃる通りだと思います。では、本題に入らせていただいてもよろしいでしょうか?」

「……ああ」


 先日のように感情をあらわにすることなく、事務的な口調に切り替えたクラリスに、パトリスは戸惑ったようにも見えたが、静かに頷いただけだった。

 クラリスはすっと息を吸い込んで、昨日の話を切り出した。




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