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 今からちょうど十八年前。

 モンテルオ王国の南東部にあるバイレモ地方ボナフェ伯爵領。

 その地にある小さな領館の一室から大きな産声が上がった。

 出産に立ち会っていた産婆や侍女たちから安堵の吐息が漏れ、次の瞬間には青ざめ息を呑んだ。


「どうしたの? ネリー、元気な男の子なんでしょう?」

「ジルダ様……この御子は……元気な……とてもお元気な女の子でいらっしゃいます」

「嘘! 嘘でしょう!?」


 悲痛なジルダの――母の声に呼応するように、生まれたばかりの赤子はさらに激しく泣いた。

 ジルダの乳母であるネリーも、侍女の二人も顔を伏せ、悲しみをこらえている。

 産婆でさえも手早く産後の処置をしながら、言葉を発することができなかった。

 部屋の外には無事出産の知らせを今か今かと待っている従僕の、痺れを切らしたような足踏みする音が聞こえる。


「ネリー、それにみんな、お願い。この子は男の子よ。間違いなく男の子なの。旦那様にはそう伝えて」

「しかし、ジルダ様――」

「でないと、この子は殺されてしまうのよ! お願い……今はとにかく男の子だと、そう伝えて……」


 出産の疲れからかすれた声で、それでも力強く訴えるジルダの言葉に、皆は逆らうことなどできなかった。

 確かにジルダの言う通り、生まれたのが女児だと正直に伝えれば、何の罪もないこの赤子は殺されてしまうのだ。

 そう判断した産婆は、大きく頷いた。


「わかりました、奥様。この子はご立派な男の子でいらっしゃいます。間違いありません。さあ、そこの娘さん、泣いていないで外の小僧にそう伝えておやり」

「で、ですが……」

「あとのことは、この老いぼれに任せなされ。だからさあ、早く」

「は、はい……」


 産婆の厳しい声に促され、泣いていた侍女はそのままそっとドアを開け、待ちくたびれていた従僕に〝男児誕生〟を伝えた。

 途端に、館中がお祝いムードに包まれる。

 皆、男児の誕生を必死に祈っていたのだ。


 やがて領館から、早馬が走り出た。

 ジルダの夫であるボナフェ伯爵の許へ、男児誕生の吉報が届けられるためである。

 この知らせに伯爵は大喜びした。

 それからいつもは徹底して厳しい伯爵が、三日も恩赦として小作人たちに休みを与え、屋敷に仕える者たちも交代で休みを与え、三日三晩ご馳走を振る舞ったほどだった。

 しかし、使用人たちは休みやご馳走よりも、男児が生まれたということが何より嬉しく安堵していたのだった。


 なぜこれほどに皆が男児を待ち望み、ジルダが嘘をついてまで赤子を男児だと言い張ったのか。

 それは産後すぐになされた会話の通り、男児でなければ――次に女児が生まれることがあれば、その子を殺すと伯爵が皆の前ではっきりと宣言したからであった。

 伯爵の言葉を冗談だと笑うものは誰もいなかった。

 もうここ何年も、伯爵は跡継ぎとなる男児を待ち望んでいたのだ。


 別にこのモンテルオ王国には爵位を継ぐのに男系でなければならないなどという決まりはない。

 だが、常日頃から徹底して男尊女卑の考えに囚われていた伯爵にとって、息子が生まれないというのは屈辱以外の何ものでもなかった。

 そのため、二十一年連れ添い四人の娘を産んだ妻と離縁し、新たな妻を娶ったのだ。


 その新しい妻がジルダである。

 ジルダは広大なボナフェ伯爵領の一部の管理を任されているカリエール家の唯一の娘であり、カリエール家は「呪われた」と言われるほどの男系一家だった。

 ここ数百年、女児が生まれたことのないカリエール家にジルダが生まれた時は、奥方の浮気が疑われたほどだった。


 幸い、ジルダがカリエール家の特徴である黄褐色の瞳をしていたため、奥方の嫌疑は晴れたが。

 ちなみに夫であるカリエール卿に浮気を疑われた奥方は、上の四人の息子とジルダを連れてしばらく実家に帰ったほどに怒ったのであった。

 それから幸い仲直りをした夫妻にはジルダの下にも三人の弟がいる。

 なぜならカリエール卿の奥方は多産の家系の出身であったからだ。


 そのことも買われて、ジルダはボナフェ伯爵の後妻に選ばれてしまった。

 まだたったの十八歳であるジルダに、五十歳の伯爵は年上すぎる。

 しかし、大領主であり伯爵位にあるボナフェ伯爵に逆らうことはできず、カリエール卿夫妻は泣く泣く娘を嫁に出したのだった。


 それでもジルダはめげなかった。

 上にも下にもごろごろといる男兄弟の中で、女の子だからと甘やかされることなく、むしろ揉まれて育ったのだ。

 男性に対する夢も抱いていなければ、兄ならではの横暴さと、弟ならではの狡猾さを見ていたので、男性とはこんなものだろうと諦めていた。


 だからこそ、初夜でも気丈にしていたし、自分より年上の義娘にも怯まなかった。

 身籠った時にも、お腹の中で元気に動く赤子を男の子だと疑いもしなかったのだ。

 そしてジルダは、この結婚が決まってから初めて泣いた。

 まさか生まれた子が女の子だなんて、と。

 もちろんジルダにとっては男の子だろうと女の子だろうと、元気に生まれてくれればどちらでもよかった。

 だが、あの厳めしく独裁的な夫の言葉は絶対なのだ。


「旦那様が皆の前で一度宣言したことを撤回するなんてあり得ないわ。だからお願い。この先、私は必ず男児を生んでみせる。それまで、どうかこの子を庇ってちょうだい」


 涙ながらに訴えるジルダの言葉に、その場の誰もが同意し、秘密は守られることになったのだった。




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