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 がたんと馬車が揺れて止まると、はっと目を覚ましたクラリスは周囲を見回した。

 道中の疲れが出て、どうやら今までのことを夢に見ていたようだ。

 クラリスは従僕の手を借りて馬車から降りると、公爵の屋敷というよりも城塞というに相応しい城を見上げた。


 ブレヴァル公爵領の中でも最大の領地を誇るレスト地方はモンテルオ王国の北西部に位置し、北をブライトン王国、西をサクリネ王国に隣接しており、王国の中でも重要な拠点の一つである。

 そのため、訪れる者を威嚇し拒むような厳めしい城を前にして、クラリスは小さく震えた。


 しかし、両脇でぐっと手を握り締め、正面を見据える。

 王都での屋敷と同じように、使用人たちはずらりと並んでクラリスを迎えていたが、その表情は皆冷たい。

 それでも怯むものかと背筋を伸ばし、待ち構える使用人たちに向かって歩き出した。


「ようこそいらっしゃいました、奥様。私は家令のオーブリー・サモンドと申します。こちらは家政婦のハットン夫人。城の鍵はハットン夫人も全て持っておりますので、奥様のよろしい時にでも案内をお申し付けください」


 そこまで告げて、サモンドは頭を深く下げた。

 続いて使用人全員が頭を下げるが言葉をいっさい発しない。

 不気味な静けさの中で、クラリスは口を開いた。


「私はクラリス。夫であるブレヴァル公爵が軍に滞在している間は、こちらで過ごすつもりです」


 若いからと使用人たちに甘く見られないよう、いつもならしないような居丈高な態度で告げた。

 ひょっとすると永遠にこの地で過ごすことになるかもしれないのだ。

 王都の公爵邸でのような態度を使用人たちに許すつもりはなかった。

 それでもできれば、伯父の屋敷や父が亡くなってからの伯爵邸のように、使用人たちとも信頼関係を築ければと思っている。


「こちらは、私の侍女のエネとアミラよ。二人が慣れるよう、ハットン夫人、よろしくお願いね」

「――かしこまりました」

「それでは、さっそく私の部屋へ案内してくれるかしら? 長旅で疲れてしまって、ゆっくりしたいの」

「はい。こちらでございます」


 早くこの場から逃げ出したかったが、その気持ちを悟られぬようにゆっくりと告げる。

 そして、ハットン夫人に案内されて通された部屋は女主人の部屋であった。


 そのことにほっとしつつ、お茶を頼んで、部屋の中をゆっくりと見回す。

 室内は綺麗に掃除されているようだが、やはり長い間使われていなかったことが感じられる。

 エネとアミラは従僕たちが運び込んでくる荷物の整理に追われており、クラリスは窓を開けて景色を眺めながら、この先どう過ごすべきかぼんやり考えた。


 城塞の三方は森に囲まれており、正面はなだらかな丘陵地帯が続く。

 明日はこの城の中を案内してもらい、近いうちに領内を誰かに馬で案内してもらおうと決めた。

 別に城から出てはいけないとは言われていないのだから。


 翌朝、自室で朝食をとったクラリスは、さっそくハットン夫人に城を案内してもらった。

 全てを一度に覚えることはできなかったが、だいたいの位置は把握できたので上出来だろう。


「長い間、女主人がいなかったのに、これほど大きな城を管理するのは大変だったでしょう? ここで働きだしてどれくらいになるの?」

「……はい。夫が亡くなってからですから、十八年になります」

「そうなのね。ここは大きすぎて、たくさんのことをあなたに教えてもらわなければいけないわ。これからよろしくお願いするわね」


 クラリスが昨日よりもかなりくだけた雰囲気で話しかけていたお陰か、初めは不機嫌を隠さなかった夫人も、次第に態度を軟化させていた。

 ここでの生活を考えれば、家政婦を味方につけなければならないのだ。

 途中でメイドの何人かとすれ違ったが、彼女たちは道を開け、頭を下げながらも好奇の目を向けてくる。


 やはりここまで噂は広まっているのだろう。――女嫌いのパトリス殿下が罠に嵌められたと。

 そのうち夫に見捨てられた妻として、さらに悪い噂が広まるだろうがこればかりは止められない。

 それよりもクラリスには気になることがあった。


「サモンドはいつからここにいるの?」

「五年前です。パトリス殿下が――いえ、ブレヴァル公爵閣下がこの地を所領されることになった時に、王都から派遣されてきたのです」

「そう。それで問題はないのかしら?」

「え? は、はい。サモンド様はとても几帳面な方ですから、メイドたちに厳しいこともありますが、奥様がお困りになることはないかと思います」

「……わかったわ。ありがとう」


 その日は夕食を家族用の食事室でとることに決め、クラリスは夫人を解放した。

 この先も、昼と夜は食事室でとるつもりでいる。

 ずっと部屋に引き籠っているとは思われたくなく、自分の存在を城の者たちに示したかった。


 クラリスが気になったのはサモンドの態度だ。

 夫人に案内してもらっている時に一度出会ったのだが、クラリスだけでなく夫人に対してもどこか威圧的に感じられた。


 確かに使用人の地位でいうなら、サモンドのほうが上である。

 しかし、仮にも長年家政婦を務めている年上の夫人に対しては、もっと敬意をもっていいのではないか。

 しかもメイドたちへの指示は本来は夫人の仕事であり、家令が直接口を出すなど余程でない限りあり得ない。


(サモンドは優秀かもしれないけど、どうにも好きになれないわ……)


 この城だけでなく、広大な領地を管理しているのだから大変なのだろうが、それにしても態度が悪い気がする。

 昨日はクラリスに対してだけかと思っていた。

 当然、サモンドも噂は耳にしているだろうし、ひょっとしてパトリスから何か聞いているかもしれないのだ。

 そう思うとぞっとした。


(いっそのこと、自分の領地に引き籠ってしまえば……)


 しばらくここで過ごした後、自分の領地が心配だからと理由をつけて戻れば、きっと領館のみんなは温かく迎えてくれるだろう。

 そのまま滞在を引き延ばしてしまえばいい。

 きっとパトリスは何も言わないどころか、むしろせいせいするのではないだろうか。


(でもダメだわ。まだ時期が早すぎる…)


 あまり早すぎると、パトリスが花嫁に逃げられたと噂になるかもしれない。

 やはりある程度、ここに放置された後に――二年くらい経てば、逃げられたのではなく、わざと追い出したと思われるだろう。

 そこまで考えて、クラリスはふと我に返った。


(本当に、私はこのまま逃げ出すの……?)


 それならいっそのこと、みんなが手を差し伸べてくれた時に逃げ出せばよかったのだ。

 みんなの好意を断ってまで結婚したのは、パトリスの傍にいたかったからではないのか。


(まあ、傍にいるも何も、いないけどね)


 自分の状況ににやりと微笑んで、クラリスは読んでいるふりをしていた本を閉じた。

 最近の自分はくよくよしすぎていたと思う。

 クリスでいた頃はこんなことはなかった。

 理不尽な状況でも挫けずに前を向いて生きていたのだ。

 パトリスとの出会いでも、初めは迷惑がられていたが、めげずに話しかけていると答えてくれたのだから。


(そうよ。特に馬の――デッドのことでは、パトリスは饒舌になって……)


 自分とパトリスには馬好きという共通点がある。

 それをきっかけに、せめて友達にはなれないだろうか。

 クラリスは立ち上がると、窓へと歩み寄り、広大な庭を見下ろした。


 城内のことはハットン夫人に任せていれば大丈夫だ。

 そのほうが夫人も自分の領域を侵されないことに安心するだろう。

 もちろん女主人としての役割は果たすつもりだが。


(明日は、厩舎へ行ってみよう。きっとパトリスのことだもの、馬たちを大切にしているはずだわ)


 馬のことを考えたクラリスは、久しぶりに心が浮き立った。

 少し前にファラを亡くしてしまってからは、まだ新しい馬を持つ気にはなれなかったが、ここでは可愛い馬たちに会えるだろう。


「ねえ、エネ、アミラ。明日は私、厩舎に行ってみるわ。まだ馬には乗るつもりはないから乗馬服は必要ないけど、厩舎に相応しい適当な服を用意してね」

「――はい、かしこまりました」


 エネとアミラは久しぶりに見たクラリスの偽りのない笑顔に、ほっとしながら答えたのだった。




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