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 王妃よりも先に立ち上がり、リュシアンに向かってクラリスは膝を折ったものの、挨拶は口にしなかった。

 前回、顔を合せた時には婚約発表のどたばたで、まだ正式に紹介されていないのだ。


「やあ、義妹よ。いや、まだそれは早いな。私はルースロ公リュシアン・カルサティ。パトリスの不肖の兄だよ」

「……私は、前ボナフェ伯爵の娘、クラリス・デルボネルと申します」


 王妃が声を出せないので、クラリスは自分で名乗った。

 そのことを二人とも気にはしていないようだが、リュシアンはクラリスが居心地悪くなるほどじろじろと上から下から観察している。


 それを咎めたのは王妃だ。

 つかつかとリュシアンの傍に歩み寄ると、にっこり笑ってこれみよがしにリュシアンの足を踏んだ。

 しかし、その手はソファへと勧めている。


「……それでは、お言葉に甘えまして」


 二人のやり取りをはらはらしながら見ていたクラリスは、リュシアンにもお茶が必要だと気付いた。

 だが、今のお茶はもう冷めてしまっている。

 王妃はそんなクラリスの腕を取り、リュシアンの斜向かいへと座らせると、自分はその隣へと腰を下ろした。

 リュシアンにお茶を出す気はないどころか、まるでクラリスを守ろうとしているようだ。


「どうやら歓迎されていないようですね」

『当然よ』

「なんてことだ。相変わらず王妃様は私に冷たい」


 王妃が唇の動きだけでそう告げると、リュシアンは胸を押さえ、大げさに嘆いた。

 それからクラリスへと向き直り、にやりと笑う。


「ねえ、クラリス嬢。君はどうやってあのパトリスに結婚を承諾させたの?」

『殿下!』

「いいんです、王妃様。私は、とても卑怯なことをしてしまったのですから」

「へえ? 認めるんだ」


 怒って立ち上がろうとした王妃を止めて、クラリスは答えた。

 するとリュシアンが意外そうに片眉を上げる。

 クラリスはリュシアンなら、この結婚を止めてくれるのではと思い、訴えることにした。


「殿下、私の行動は軽率で、まさかこのようなことになるとは思ってはおりませんでした。ですから、どうか殿下からパトリス殿下に、この婚約を破棄してくださるようお伝えいただけませんか? 私の手紙はすべて開封されずに送り返されてしまうのです」

「そうなんだ? まあ、それは仕方ないかもね。パトリスは王家の名誉のために君に求婚したようだし。でも確か、君って結婚するつもりはないんだよね? そう言って、大勢の求婚者を断っていたって聞いたけど」

「――はい。私は今シーズンを終えたら、もう王都へ訪れるつもりはありませんでした。一生を過ごすのに困らないだけの財産はありますので、結婚はせずに一人で生涯を終えようと計画していたのです」

「ふ~ん。なるほどね」


 リュシアンは王妃の前だというのに、礼儀も何もなく、クラリスの言葉に答えると、テーブルの上の焼き菓子を一つ摘まんで口に放り込んだ。

 王妃はそんなリュシアンを不機嫌そうに見ている。


「じゃあさ、別にいいんじゃないかな?」

「はい?」

「パトリスと結婚しても」

「ですが——」


 驚き反論しかけたクラリスを、リュシアンは片手を上げて制した。

 そして立ち上がると、カートの上に用意されていたピッチャーからコップに水を入れて一気に飲み干す。

 同じように驚いていた王妃は石板に勢いよく書きつけると、リュシアンに見せた。


『リュシアン、いい加減にしなさい。クラリスの気持ちを少しは考えて!』

「考えていますよ。だからこそ、このままでいいんじゃないかって言ったんですよ。だって、クラリス嬢は一人で生涯を過ごすつもりだったんでしょう? だったら、パトリスと結婚しても同じことですよ。住む場所と身分が変わるだけだ。パトリスは公式行事以外には一切顔を出さないから、公爵夫人として公式の場に出ることはほとんどない。住む場所はパトリスの領地にある屋敷になりますけど、今のようにパトリスはクラリス嬢を無視して――というより、いない者として過ごすでしょうから、クラリス嬢もパトリスをいない者として扱えばいい」

『そんなの結婚じゃないわ』

「ええ、そうですよ。ですが、クラリス嬢もパトリスも本当は結婚したくない。だが、世間体のためにしなければいけない。なら誓約書だけの結婚でいいじゃないですか。何も問題はありません。では、私はこれで失礼しますよ。将来の義理の妹がどんな人物か見てみたかっただけですから」

『リュシアン!』


 また唇の動きだけで王妃はリュシアンに怒りを向けたが、リュシアンは気にした様子もなく、深く頭を下げて退室の礼をとると出ていってしまった。

 それは入ってきた時と同じように突然に。


 クラリスは立ち上がって見送ることもできず、ただリュシアンの冷ややかな言葉が頭の中にこだましていた。

 そんなクラリスの手を王妃は慌てて握る。

 はっとしたクラリスが目を上げると、心配に曇る空色の瞳にぶつかった。


「お、王妃様、私はその、大丈夫ですから……」

『レイチェルよ』

「はい?」


 唇は読み取れたが、意味がわからず訊き返したクラリスに、王妃は手を離して石板に何かを書いて見せた。


『私のことはレイチェルと呼んで』

「そんな畏れ多い……」

『私もあなたのことをクラリスと呼ばせてもらうわ。だから、レイチェルと呼んで。お願い』

「……はい」


 王妃に頼まれて断れるわけがない。

 ためらいながらも頷くと、レイチェルは優しく微笑んだ。

 女神と讃えられるほどのレイチェルの笑顔は、重かったクラリスの心を癒してくれる。

 やがて戻ってきたケリーナと共に王妃の間を辞したクラリスは、再び重くなる心を抱えたまま馬車へと乗り込んだのだった。




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