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「今シーズンが終わったら、領地に帰りますぅ? はっ、よく言ったものよね? 体が弱いので誰とも結婚する気がないとか、大嘘だったわけよ」

「まさか、誰もが無理だと諦めていた大物を釣り上げるとはね。参ったわ」

「あの難攻不落の女嫌いの王弟殿下相手に、いったいどうやったのかしらねえ?」

「本当よね。ぜひご教授願いたいわ」


 あちらこちらの社交の場で新たに交わされるようになった会話。

 主役は変わらずボナフェ伯爵令嬢だが、内容は様変わりしてかなり悪意あるものになっていた。


 誰もが一度は憧れ、焦がれ、玉砕して諦めていた男性――パトリス王弟殿下を射止めたのだ。

 当然と言えば当然なのだが、今までの求婚者への断わり文句が仇をなし、かなりの反感を買っていた。


 当の伯爵令嬢は、あれから一度も社交の場へと出てこない。

 それもクラリスが部屋へと引き籠ってしまっているからなのだが、それさえも悪意の的になっていた。


「そりゃ、お茶会とかならともかく、舞踏会には婚約者のエスコートなしでは恥ずかしくて出席できないもの。だけど、パトリス殿下が王家主催の舞踏会以外に出席なさるわけないのだから、諦めるしかないわよね」

「まあ、愛する婚約者のためなら嫌いな舞踏会にだって出席するかもしれないけれど……」

「本当に、クラリス嬢は上手く殿下を罠にはめたってわけね」

「イヴォンヌは思わせぶりにしか教えてくれないけれど、要するに、舞踏会がお嫌いな殿下がお一人でお庭に出ていらしたのを、クラリス嬢が暗がりに連れ込んだのよ。そこに示し合わせたケリーナがイヴォンヌを連れて騒ぎになったってわけね。しかも運のいいことに、両陛下まで居合わせてしまったんだもの。パトリス殿下としては名誉のために、クラリス嬢に求婚せざるを得なかったってわけ」


 別の場所では、こうしてクラリスとケリーナの企みだったと噂される。

 そもそもか弱い令嬢が軍人であるパトリスを暗がりに連れ込むなどできるわけがないのだが、あたかも事実のようにして語られるのだ。


 あの婚約発表の時に、少しでもパトリスがクラリスに優しい眼差しを向けていれば違っただろう。

 しかし、あの時のパトリスはいつも以上に不機嫌な表情で、クラリスを睨みつけるように見ていた。

 それが悪意ある噂に拍車をかけているのだった。


 そのような中でも、とっくに正気を取り戻していたケリーナは堂々と社交の場に出席していた。

 あれは本当に偶然だったとはいえ、これほどの良縁はないのだ。

 言いたい人には好きなように言わせておけばいい。

 ただ、強気のケリーナにも心配はあった。

 それは今回のことで一番の主役であるクラリスである。


 クラリスはあれ以来部屋に閉じ籠ってしまい、どうにかして婚約を破棄してほしいと嘆いている。

 本来なら、クラリスの望まぬ結婚などさせたくはなかった。

 だが相手は王族なのだ。

 パトリスに結婚の意思がある以上、こちらから断ることなどできない。


 そのことを言い聞かせると、クラリスはうなだれて部屋に戻ってしまった。

 それから後に、執事からクラリスが王妃宛てに手紙を出したと聞いた時には肝を冷やした。

 いったい何を書いたのかと問い詰めれば、今回の事の経緯を説明し、婚約を破棄することに力添えしてほしいとお願いしたというのだ。


 ただ王妃陛下は慈悲深い方だと有名なので、無礼だと咎められることはないだろうが、どのように受け止められるだろうかと、ケリーナは心配していた。

 すると驚くことに、王妃陛下からクラリスへケリーナを付き添いに、お茶のお誘いがあったのだ。

 お茶会として催すつもりはないので、気軽にお越しくださいとの文面が添えられて。


「まあ、クラリス。とても綺麗よ」

「ありがとう、お姉様。それから、今日はありがとう」

「何を言っているの。あなたに付き添うのが私の役目よ。しかも王妃様からのご招待だなんて、これを逃したらもう二度とないかもしれないわ」


 婚約が決まってからしばらく取り乱していたが、クラリスはやっと落ち着いたらしい。

 そのことに安堵すると、ケリーナは悪戯っぽく告げてクラリスと腕を組み、待っている馬車へと向かった。


「ようこそいらっしゃいました」


 王城に到着すると、どこかのサロンに案内されると思っていたのに、まさか王妃の居室に通されるとは思ってもおらず、クラリスもケリーナも驚いた。

 そして迎えてくれたのは、王妃と侍女の一人。

 侍女から歓迎の言葉を受けて、クラリスは慌てて王妃に向かって膝を折った。


「このたびはご招待くださり、ありがとうございます」

「このような栄誉に与り、私も大変嬉しく思っております」


 クラリスとケリーナの謝辞に頷くと、王妃は手で示してソファを勧めた。

 噂では聞いていたが、王妃が声を失くしているというのは本当なのだと、クラリスは改めて思った。


 あの時はあまりに混乱していて、王妃が一言も発しなかったことに気付かなかったのだ。

 侍女を介してひと通りの会話が終わると、王妃からの勧めとして侍女がケリーナを中庭へと誘った。


「こちらの中庭はとても見事ですので、ブレッヒ子爵夫人にご覧になっていただきたいと、陛下はおっしゃっています。私がご案内いたしますので、どうぞいらっしゃってくださいませ」

「……ええ、そうね。では、王妃陛下のお言葉に甘えさせていただきます。クラリス、陛下に失礼のないようにね」

「はい、お姉様」


 そうして二人きりになった王妃とクラリスの間にはしばらく沈黙が落ちた。

 ここは自分が先に口を開いてもいいのだろうかと、そうするしかないとクラリスは考え、カップをそっとテーブルに戻した。


「王妃陛下、このように発言することをお許しください。――私は手紙に書きました通り、パトリス殿下との結婚を望んでいないのです。ですからどうか、陛下から殿下にこの婚約を破棄してくださるようお伝えしていただけないでしょうか?」


 今まで何度もその旨の手紙はパトリスに宛てて書いたのだ。

 しかし、最初の一通に『婚約を破棄するつもりはない』と素っ気ない文面での返事があっただけで、それ以降は封を切られることなく送り返されてくる。

 そのために無礼を承知で、唯一殿下に口出しができる相手にすがることにしたのだった。


 王妃はじっとクラリスを見ていたが、カップをテーブルに戻すと、傍に置いていた小さな石板を取り出した。

 そしてカツカツと音を立てて、何かを書き、クラリスへと見せる。

 石板に書かれていたのは簡潔に一言。


『あなたはパトリスが嫌いなの?』

「い、いいえ。まさかそのような……。ですが、このまま殿下に望まぬ結婚を押し付けてしまうなど……」

『あなたはパトリスのために、この婚約を破棄したいの?』

「はい、当然です。私は殿下を――いえ、殿下を驚かせようとした私が愚かだったのです」


 最後の言葉に王妃は驚いたが、俯いてしまったクラリスは気付かなかった。

 今、自分がどのような発言をしたのかわかっていないのだろうかと、王妃は首を傾げる。


 あのパトリスを驚かそうとしたなどと、普通の令嬢では考えられない行動なのだ。

 ひょっとして二人の間には何かあるのだろうかとも考えたが、パトリスの様子からはそうは思えなかった。

 そもそもパトリスが何を考えているのかさっぱりわからない。

 それは、夫である国王も同様であるらしい。


 ただ一つ、確かなことはわかった。

 クラリスはパトリスを嫌っているわけではない。――どころか、好意を寄せているように思える。

 ただ報われない想いほどつらいものはない。

 王妃はどうするべきか悩んだ。

 そして、一つの賭けに出ることにした。


『残念ながら、パトリス殿下はとても意思が強く、一度こうと決めてしまったら、陛下でさえ曲げられないそうなの』

「そんな……」

『だから、殿下からの婚約破棄はあり得ないわ。力になれなくてごめんなさいね』

「いいえ、王妃陛下が謝罪なさる必要はございません。私が……」

 言いかけたクラリスは、王妃が小さく微笑んでからまた何か書き始めたので口を噤んだ。

 だが、次に見せられた文面に息を呑む。


『どうしてもこの婚姻が嫌なら、あなたをブライトン王国にいる私の叔母に預けるという手もあるわよ。そうすれば、パトリスだって諦めるしかないでしょうし、あなたを醜聞から守ってもあげられるわ』

「ですがそれでは、殿下が恥をかいてしまいます! 婚約者に逃げられたなど、そのような不名誉を殿下に負わせることはできません!」

『……』


 王妃は何も答えなかったが、これで心は決まった。

 二人の問題に口を出すのは控えようと。

 きっと二人の間には何かがあるのだ。

 もし結婚後に、クラリスが悲しむことがあるならいくらでも話を聞くし、何か協力できることがあればしようと決意して、王妃はまた石板に文字を書き始めた。


『それでは、残念ながら私に今、力になれることはないわ』

「そう、ですか……」


 がっくりと肩を落としたクラリスを慰めようと王妃が立ち上がりかけたところで、前室が騒がしくなった。

 まさか、と王妃は思ったが、そのまさかが護衛騎士の制止も聞かずに部屋へと乗り込んでくる。

 思わず王妃らしさも忘れて、大きくため息を吐いたのも仕方ないだろう。

 この先はもう自分の手に負えなくなってしまったのだから。


「王妃様、ご機嫌いかがでしょうか? もうすぐ私の義妹になるボナフェ伯爵令嬢とお会いになっていらっしゃると伺い、いつものごとく先触れもなく、参上いたしましたことお許しください」


 軽薄な調子で挨拶を口にすると、二人に向けて深く頭を下げた紳士。

 彼はパトリスの母違いの兄であり、もう一人の王弟殿下であるルースロ公リュシアン・カルサティであった。




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