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5. すれ違い

 手探りで、鏡を伝いながら歩く。指先に曲がり角が触れたから、恐る恐る覗き込む。後ろを向いても前を向いても、区別のつかない一面の闇――でも、灯りが見えないことにほっとしてしまう私もいた。有希子にしろ徹にしろ、それぞれ灯りを持っているんだろうから。二人と鉢合わせたら何をされるか――暗闇よりもこの遊園地にまつわる噂よりも、その方がずっと怖かった。


 出口はどこだろう。


 這うように進むのは、アテがあってのことじゃない。転んで起き上がった時に、方向感覚を失ってしまったし。出口を目指して来た道を戻っているつもりで、全然違う道に迷い込んでしまっているかもしれない。大昔に一度入ったことがあるというだけのミラーハウス、真っ暗な中で闇雲に彷徨うなんてバカバカしいとは分かってる。もと来たルートを完全に覚えている訳でもないし、余計に迷っちゃうだけかも。でも、じっとしていると暗闇に押し潰されそうだった。暗闇と――恐怖が、私を潰してしまう。


 同じミラーハウスの中、壁を何枚か隔てたところにいる有希子と徹の気配が私を怯えさせて駆り立てているんだ。


有希子(ゆっこ)ぉ! 出て来いよ! どこに隠れてやがる!?」


 太い怒鳴り声に、床か壁を殴るか蹴るかする音が続いて、私は震える。もともと薄っすらと汗を掻いていたけど、今や背を濡らすのは冷汗だった。有希子の痣を見せられて、徹の本性を疑っていた訳じゃないけど、暴力性を改めて見せつけられるのはまた話が別だった。


 有希子も、こんな恐怖を味わっていた? それも毎日? 母親とかにもはっきりとは言っていないようだったのは、心配を掛けたくなかったからか、それとも自力でどうにかしようとでも思ってたのか。――だから潰れてしまって、私のせいだと思うようになった?

 双子の片割れの境遇を思って胸が痛んだのも、ほんの一瞬の間だけだった。徹の声に応えるように、また別のところから有希子の声が響いたからだ。


「探せるもんなら探してみなよ! 話す態度じゃない奴の前に、出る訳ないでしょ!」

「――(ぁん)だとぉ!?」


 挑発するように笑う有希子に、徹はまたどこかを殴ったようだった。ガラスが割れる音に、よく聞き取れない怒声が被さる。多分、何か聞くに堪えない雑言だ。鏡を割り砕くほどの激昂が、私や――有希子に向いたら、一体どうなってしまうんだろう。


「警察……」


 呟いて、私はポケットに入れていたスマートフォンを取り出した。110番できたら、と思って、有希子に置いて行かれた時に真っ先に見た画面は、無情にも圏外を示していた。郊外の廃遊園地だからか、ミラーハウスには電波を遮断する設備でもあるのか。どちらにしても、再び見てみても圏外表示には変わりなかった。つまり、助けを求めるには少なくともミラーハウスから脱出しなければならないということだ。

 ライト機能で、前後の様子を一瞬だけ照らす。充電は温存しておきたいし、万が一にも光で徹に見つかってしまうのが怖いから。この先の通路の別れ方と、それに何より人影が見えたりしないのを確かめて、私はそっと息を吐く。肝試しにしても、こんな怖さや緊張感はご免だった。お化けなんかより、身近に迫った暴力の気配の方がよっぽど怖い。しかもこれは遊びではなくて、途中でリタイアすることもできないなんて。


 引き攣った私の顔がライトの中にいくつも見えて、また消えた。有希子と一緒の時は楽しんでいた鏡の仕掛けも、今はもう不気味なだけだ。映される表情が笑っていないというだけで、自分の顔でさえも見え方が全く変わってしまう。


 徹の声は、あっちから聞こえた……。


 泣きたくなるのを必死に堪えて、私は頭の中で地図を描く。スマートフォンの灯りで見えた分岐と、徹と有希子の声が聞こえた方向。奥までやって来た時の記憶。それぞれを擦り合わせて、進む方向を決めなくちゃ。多分、徹の方が出口――というか入り口? ――に近いと仮定して。でも、絶対に鉢合わせたりしないように。


 一歩ずつ、そろそろと。できるだけ音を立てないように。一方で周囲の物音には細心の注意を傾けて。それでもたまに爪先が床の亀裂か何かに引っかかってしまって転んでしまいそうになって。自分が立てた音に飛び跳ねるような思いをして。


「有希子! 呼び出しといてどういうつもりだ!? 出て来いよ!」

「嫌! またひどいことする気でしょ!」

「お前が変なこと言うから――」

「ほら! そうやって私のせいにする!」

「……もうしない! しないから出てきてくれよ、有希子……!」


 その間にも、徹と有希子の痴話喧嘩のような怒鳴り合い――それに徹が鏡だかキャラクターの装飾高を壊す音――を聞かされて。あんなに暴力の跡を刻まれて、取り乱していたようだったのに、有希子の声は驚くほど強気な気もする。迷路の中では捕まらないと思っているのか――私を、身代わりにして安心しているのだとしたら。


 その思い付きに震えあがって、でも必死に否定する。違う。有希子がそんなことするなんて。きっと他に意図があるはず。ほら、二人の声がしている限り、おおよその居場所は分かる。暗闇の中でぶつかりながらだから真っ直ぐに進める訳じゃないけど、徹のいる方を避けて進めば、そのうち出られるはず。――ミラーハウスの中心に入り込む一方なんじゃないか、なんて。絶対に、考えちゃいけない。それよりも、一歩でも前に進むんだ。一歩ごとに出口は近づいていると、信じなきゃ。


 必死に自分に言い聞かせて、また足を踏み出そうとした、その時――


「見ぃつけたぁ」


 耳元で囁かれた。その、吐息を感じた瞬間、私の腕を()()が引いた。捕まってしまった。あんなに気を付けていたのに。恐怖と絶望に心臓が痛む。喘いで開いた口から絶叫が漏れそうになって――でも、口を掌で塞がれて叫ぶことさえできなかった。


「静かに、ね……? あいつに見つかっちゃうよ?」


 その掌が、意外と小さくて薄いことに気付いたのは、くすくす笑う声がまた耳をくすぐった時だった。有希子の声だ。かくれんぼでもしているかのような軽い、明るい声。この状況を作り出したのはこの子だっていうのに、なんて不釣り合いな。


 背後から腕を掴まれて口を塞がれている姿勢は、有希子の意図が分からなくて、まだ怖い。必死に身体をよじって、目でどうして、と訴えかけると、私と同じ顔が得意げに笑うのが目の端に見えた。有希子が持っている懐中電灯で、辺りは全くの闇ではなくなっていた。


「従業員の通用口、っていうのかな。あちこちにあるの。で、ショートカットもできるんだ」


 言われてみれば、私たちの顔を無限に増殖させる鏡が、周囲にはなかった。代わりにぼんやりと浮かび上がっているのは、そっけないグレイの壁。遊園地の裏の顔と言われれば納得できるし、確かにミラーハウスのあちこちには、非常出口に加えてスタッフオンリーの表示もあちこちにあった、気もする。それは、分かる。でも――


「なんで、知ってるの……そんなの……」


 普通に遊んでいる分には、知らない――知る必要がない、知ることができない部分のはずなのに、どうして有希子は使いこなしているのか。謎が謎を呼ぶ、というやつ。それも、嫌な感じをますます強める方向に。


 有希子は楽しそうな笑顔のまま、私の腕を引っ張って引きずった。この子のどこにこんな力があったのか、それも不思議なほど。私が、呆然としてしまってまともに身体を動かせないのもあるんだろうけど。


「下見、したもん。あんたを脅かしてやろうと思って。何度も何度も。ここで、やり返してやろうと思ってたんだ」

「私が、何を……!?」


 やったのは、あんたの方じゃない。そう言いたかった。徹を取った。披露宴でのスライドも、私の存在を消すかのようなやり方だった。好きな人を手に入れて、幸せになったんじゃなかったの? そうならなかったのは、私のせいなの? そんなの、絶対おかしい!


「あんたさえいなければ良かった。双子なんてずっと嫌だった。私を、ちゃんと見て欲しかったのに……!」


 引きずられた先に、また扉が見えた。遊園地には不似合いな、いかにも業務用、って感じのアルミサッシの扉。でも多分、扉の向こう側には鏡が貼られているんだろう。


「徹って案外トロいのね。こんなに手間取るなんて。――だから、手伝ってあげようと思って」


 私を掴んでるのとは逆の手で、有希子が扉に手を掛けた。薄く開いた先は、漆黒の闇。徹が潜んでいるかもしれない闇。呑み込まれそうで吸い込まれそうで、足が竦む。


()は、()だけで良い。あんたさえいなければ私は私になれる!」


 耳元で、有希子が鋭く囁いた。言い切ると同時に、扉の隙間、闇の中に押し込まれる。倒れたところで、扉が閉まる音が聞こえた。有希子の持つ灯りも扉の向こうに消えてしまって。


「有希子、待って!」


 また暗闇に置き去りだなんて。有希子の言っていることは分からなかったけど、縋れるのはあの子しかいないと思った。床を這って、膝立ちになって、鏡――らしい――つるつるした面に取りついて、必死に隠された扉を、取っ手だかノブだかを探る。でも見つからない。


 もどかしく、虚しく。手を滑らせていると、私の背後から光が射した。


「なんだ、有希子。そこか……!」


 目の前の壁はやっぱり鏡だった。恐怖に凍り付いた私の顔が大きく映し出されている。それに、少し目を上げれば、背後の光景も。埃を被った可愛らしいキャラクターたち。合わせ鏡で何倍もの数がいるかのように見える、彼ら。虚実入り乱れた像の只中で、懐中電灯を構えていたのは。


 久しぶりに見る、徹の姿だった。

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