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4. 仲違い

「うわ……!」

「夜に来るのも面白いかもね」

「うん、どこまで鏡か分からないから。この方が、迷っちゃうんだね」


 懐中電灯を壁に巡らせると、無数の私と有希子が鏡に浮かんでは闇に消えた。

 ミラーハウスの内部は、やっぱり外のアトラクションほど荒廃しきってはいなかった。入り口付近こそゴミや砂埃が舞い込んでいたけど、ある程度入ってしまえば意外なほど床も壁も綺麗だった。外に比べて歩きやすいっていうのが良い。鏡はさすがにうっすらと埃を被って曇ってしまっていたものの、映る影が見えなくなってしまうほどじゃない。懐中電灯の光が反射する明るさもあって、それこそ一種のお化け屋敷を満喫しているような気分だった。廃遊園地に忍び込むなんて――いわゆる、チャラい大学生とかなんだろうと思ってたけど、年甲斐もなく楽しんでしまっている私がいた。


「この辺かなあ? あの時、髪型変えたとこ……」

「どうだっけ。もっと奥じゃなかった?」


 童心に帰る、ってやつになるんだろうか。曲がり角の度に有希子と言い合って闇の先を指さして。たまに鏡にぶつかってしまうのもご愛嬌というやつだ。多分、明るいところに戻ったら服はドロドロになってしまってるだろうけど。まあ、部屋着のジーンズとTシャツだから構わない。有希子も似たような格好だし、だからこそ気兼ねなくきゃあきゃあ言いながら進むことができる。


 そして――


「あ、ここだ」

「だね。みんなに見つからないように、って言ってたもんね」

「うん。ここならそうそう入って来ないよね、って」


 確かに記憶にある一角を見つけて、私たちは顔を見合わせて笑った。何度も角を曲がった果てに辿り着いたから正確なところは分からないけど、多分ミラーハウスの最奥とでも言うべき袋小路だった。最短ルートからはもちろん外れているし、わざと迷おうとしなければ入り込まない、どこに繋がっている訳でもない場所だ。ここで、私たちはお互いの髪を解いて相手の髪型を真似たんだ。みんなの驚く顔を想像しながら。……有希子は、また違う目的があったんだろうけど。


「あのね、亜希子――」


 十年前、もっと若々しくてぴちぴちで――死語だ――、夢や希望に溢れていた私たちを映していた鏡を、有希子がそっと撫でた。今映し出される姿がくすんで萎れて見えるのは、時を重ねたからだけじゃない。ましてや、鏡が曇っていたり辺りが暗かったりするのも、理由ではない。私の立ち位置から見える有希子の顔は、鏡に映った影。それでも、双子の片割れの顔に深く刻まれた疲れや悲しみはよく見て取れた。


 さっきまではしゃいでいたのは強がりだったんだと、すぐに分かってしまう。何て声を掛けたら良いか、分からなくなってしまう。だから私は口を(つぐ)んで、有希子の言葉に聞き入った。半ば独り言のように、訥々と語られることに。


「私、徹のことが好きだったの。だから、亜希子と付き合い始めたって聞いて悔しくて悲しくて――双子なのにどうして、って。私だって同じ顔なのに、私さえ見てくれれば、って。だから、あの時あんなこと……」

「うん」

「ずっと思ってたの。私が徹を亜希子から奪っちゃった、って。あんなことしなければ二人はずっと付き合ってたかもしれないのに、って」

「有希子、あのね――」


 今こそ、口を挟んでも良いタイミングだろう、と思った。そんなことないよ、気にしてないよ、って言ってあげなきゃ、って。この十年、私たちは――仲違いとまでは言わなくても――どこか余所余所しい関係になってしまった。でも、有希子は今夜は私を頼ってくれたはず。仲直り出来たら――そうすれば、有希子はまた先に進めるだろう。


 でも、紡ぎ出すはずだった言葉は、激しい音に遮られた。鏡を撫でていた有希子の手が拳を握り、ガラスを思い切り殴った音だ。


()()()()に遭うのは、あんたの方だったはずなのに!」


 有希子が私に向きなおって、怒鳴る。表情も、何か被っていたものをかなぐり捨てたかのように、見たこともないくらい険しい――憎しみさえ籠っているんじゃないかと思うほど。目を吊り上げて、口を歪めて懐中電灯を振り回す。VネックのTシャツが激しい動作につれて(よじ)れて、有希子の鎖骨を露にする。そこにはっきりと刻まれた、青黒い痣。……そこだけじゃない、身体のあちこちにも暴力の跡が残されている。さっき、有希子が自ら(めく)り上げて見せてくれた。


「有希子……?」


 有希子たちの夫婦仲が円満ではないようだ、とは知っていた。母が心配そうに言っていたから。でも、ここまでのことだとは思ってなかった。まさか徹が――そう思う一方で、私は彼のことをほとんど知らなかったことに気付かされた。高校の時のクラスメイトのひとりとして、という程度しか。泣いては怒り、泣き疲れてはふて腐れて黙り込む有希子を宥めながら、私は徹の本性に愕然としていた。暴力だけじゃなく、暴言や束縛も。有希子の言うことに逆らえなかったのは、あまりにショックを受けていたからでもあると思う。


「あんた、あいつがあんな奴だって知ってたんでしょ!? 知ってて、私に押し付けた! なのに自分は被害者ぶって……!」

「有希子……何言ってるの……?」


 どうして有希子に責められなければならないのか、さっぱり分からなかった。


 私は二人が幸せなら、と納得しようとしていたのに。有希子の現状を理解することすら手に余って混乱していたのに。どうして親やもっと親しい友だちじゃなくて、私のところに来たんだろう――不思議に思いながらも、尋ねる余裕すらなかった。あの入れ替わりからこんなことになってしまうなんて、と思うと胸が痛んだし、有希子も同じ思いなのかとちらりと考えてただけ。

 確かに――有希子も()()が切っ掛けになったと考えていたらしい。後悔も、したんだろうか。でも、私が考えていたように反省するとか、謝ってくれるとか、そんな感じではなくて。


()()()()()なんてやるんじゃなかった! こうなるって知ってたら、私、あんなことしなかった! あんたもどうして乗ったのよ!?」

「痛――っ」


 突き飛ばされて、背中が鏡にぶつかる。本当はそれほど痛い訳じゃない。それよりも驚いて声が出てしまった、という感じが強い。それに、痛いとしたら心の方だ。

 混乱しているのは有希子も一緒だ、と思おうとした。好きだった相手が豹変してしまって、責める相手を探しているだけだ。私なら何をしても良い、何をしても受け入れてもらえる、そんな甘えがあるんだろう。双子だから。すごく小さい時なんか、お互いが違う人間だなんてよく分からなかった頃もあったし。誰にも言えないようなことでも、私になら言えるってこと。多分、そう。


「有希子。落ち着いて聞いて……」


 浅く荒くなってしまった息を、必死に整える。声が震えたりしないように。鏡に映った沢山の有希子が私を睨んでいる、それに怯まないように。そうだ、この子を落ち着かせなきゃ。今は私を責めたって良い、その次はちゃんと行動が起こせるように。徹と話し合うとか。その時はうちの父親なり弁護士なり、頼れる人を同席させるとか。そういう方向に、考えさせなきゃ。


 踵で背後を探りながら、私は有希子から距離を取ろうとした。息を乱して肩を怒らせる有希子は、まるで毛を逆立てた猫のようだ。ふとした弾みで掴みかかってくるんじゃないか、って思ってしまうほど興奮している。こんな状態なのに、私の言葉をちゃんと聞いてくれるのか――自信は、全くなかったけど。


「私も全然知らなかった。お母さんは様子が変だとは言ってたけど、ここまでなんて。今夜、初めて聞いてすごく心配したんだよ。だからここまで一緒に来たし、力になってあげたいと思う」


 ――双子だからってあっさり乗り換えるような男、ろくなもんじゃない。


 必死に呼びかける私の声に被るように、誰かの声が聞こえた気がした。徹の件の後、有希子たちに憤って私を慰めてくれた友達が言ってたことだ。――正直言って、私もそう思って忘れようとしていた。

 その言葉を有希子に言わなかったのは、もしかしたらひどいことだった? でも、あの時の私が言ったら負け犬の遠吠えにしか聞こえなかっただろうし、有希子が取り合ったはずもない。

 何より、徹との付き合いはもう有希子の方がずっと長いんだ。人の本性なんて簡単には分からないものだけど。ふたりの間に今まで何があったのか、有希子の言動に何かしら徹を刺激することがあったのか、私が簡単に推測して良いことじゃないけど。でも、だからこそ、こうなったのは誰が悪いってことじゃないはず。有希子は徹を好きだったから、限界まで我慢してしまっただけ。一度感情を爆発させて、それが過ぎ去ったなら。きっと分かってくれるはずだった。


「力に……? ほんと……?」


 祈るように見つめていると、有希子の口元がふ、と綻んだ。よほど顔に力を込めていたのだろう、強張った歪な微笑みだったけど、とにかく笑顔は笑顔だ。ようやく良い兆しを見られた気がして、私も緊張を緩めることができる。


「うん。あの……帰りたくないなら、(うち)に泊まっても良いし。会社の伝手で弁護士、探せるかもしれないし――」

「ううん。そんなこと良いの。ただ――」


 緊張を、緩めてしまったから――有希子の笑顔が急に迫ったのを、私は理解できなかった。


「もう一度、()()()()()()?」


 視界が揺れる。鏡に映った私がぐるりと回る。お尻と、掌に痛み。倒れた――転ばされた、と。その痛みでやっと気づいた。


「私がこんな目に遭うなんておかしいもん。徹はあんたに返すわ」

「有希子。何言って……?」


 追い詰められた犯人のように、上から懐中電灯の光が浴びせられる。眩しい。有希子の表情は逆光で見えない。でも、声は愉しそうに笑っているのが怖かった。逃げなきゃ、と――どこへ、どうすれば良いかは分からないけど、思う。手に力を込めて、立ち上がろうとして。――その掌に、振動を感じた。()()()()を歩いている!


有希子(ゆっこ)ぉ? どこだぁ? いるんだろお!?」


 ()()()の気配に私の背筋を寒気が走り――同時に、ミラーハウスに男の人の声が響いた。聞き覚えのある声じゃない。十年も経てば、人は声だって変わるもの。でも、苛立ちも露に有希子の名前を呼ぶ、あの声は。


「徹も呼んでたんだ。思い出の場所で話し合おう、って」


 有希子の顔は相変わらず見えない。でも、声の調子で分かる。この子は徹に私を差し出す気だ。自分の身代わりに! 入れ替わりって、そういうことだ!


「あんたが相手してあげてよ。本当はそうなるはずだったんだから」

「有希子。冗談でしょ? 待って!」

「良い気味。ふたり揃って私の前からいなくなれ!」


 私が立ち上がるよりも、辺りが闇に包まれる方が早かった。捨て台詞を吐くなり、有希子は足早に走り去った。足音と共に懐中電灯の光も遠ざかって、消える。有希子は行ってしまった。どこかの角を曲がって、もう追いつくのは難しい。


 私は暗闇の中で、たった一人で、徹から逃げ切らなければならないのだ。

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