3. 場違い
BGMとして聞くともなく聞いていたラジオの音が、止んだ。やっと目的の場所――あの遊園地の跡に着いたらしい。瞑想するように物思いに耽っていた私は、車のエンジンが止まる軽い反動で我に返った。
「――寝てた?」
「ううん。ごめん」
運転手を務めていた有希子の声は少し皮肉っぽくて、咎められているように感じてしまう。ほとんど無理矢理連れてこられて、後ろめたく思う必要なんてなのかもしれないけど――つい、謝罪の言葉が口から漏れる。
「酔ったんじゃないなら良いけど。行こ」
ダッシュボードに手を伸ばす、有希子の声も仕草も無造作であっさりとしたものだった。でも、シートベルトを外してもいない私の目の前で懐中電灯を取り出すのを見て、こちらは上ずった声を上げてしまった。
「え、出るの?」
車の外に? ヘッドライトが辛うじてごく狭い範囲を照らし出してはいるけれど、それも圧倒的な闇の濃さを強調しているだけ。少しでも車を離れれば、ほとんど手探りで進むしかないだろうと分かる。ここに来てどうするか、とかはっきりとイメージできていた訳じゃないけど、闇に踏み出す覚悟なんてできていない。
「ミラーハウスまで行かないと意味がないでしょ。ほら、結構人も来てるみたいだし。大丈夫だって」
尻込みする私を鼻で笑って、有希子は懐中電灯を車外に向けた。余裕ある言葉通り、確かに光の輪の中にペットボトルや空き缶、お菓子の袋が散乱しているのが見えた。それもまだ新しいもの。肝試しスポットになっているというのは本当らしい。――でも、有希子とふたりきり、それもこんな良い歳になってまで肝試しなんてしたくない。こんなところまで来てゴミを捨てていくような人たちと鉢合わせしたくもないし。
「……嫌ならそこにいなよ。私は行くから」
「ちょっと、待ってよ……!」
シートから腰を上げられないでいると、不意に目の前が真っ暗になった。有希子が車内灯を消して、懐中電灯を外に向けたんだ。心強い灯りは私の傍から離れて、有希子に持って行かれてしまう。焦って、もどかしくシートベルトを外して追いかけて。そして車がロックされるがちゃりという音を聞いて、気付く。有希子に嵌められたってこと。車のリモコンキーはにやにや笑う有希子の手の中。この子の気が済まない限り、帰らせてはもらえない。
「本気なの……!?」
「幽霊なんていなかったでしょ。あの時だって。ね、お願い。付き合ってよ」
泣きごとのように喘いでも、有希子は取り合ってくれない。でも、言葉の後半は懇願するような調子があった。私と同じ顔と声が、双子の情に訴えかけている。私は昔から有希子の頼み事には弱かった。この子もそれを知っていて、こんな顔をしてくるんだ。徹の、時だって。だって好きなの、と言われて私は引き下がるしかできなかった。この子のこういうところが時々すごく嫌で。でも、一番悪いのは、多分言うことを聞いてしまう私の方だ。
私こそ、双子であることに誰よりも囚われているのかもしれない。
この遊園地に来たのは、高校の遠足のあの時一度だけ。でも、格子が外れた門から敷地内に入ってみると、意外とアトラクションの配置や雰囲気を覚えているものだった。
園の中央に位置するのは、いかにもおとぎ話の絵本に出てきそうな先の尖った塔のあるお城。ディズニーのシンデレラ城と比べると、大分安っぽい色と作りだったと思うし、実際改めて見てみても子供だましな感じは否めない。でも、ペンキを塗ったくったようなピンクや水色のパステルカラーは、星明りを反射させて辺りを気持ち程度、照らしてくれているような気もする。荒廃した光景をはっきり見ることができるからと言って、恐怖を紛らわせることができるかはまた別だけど。
黒々と巨大な蜘蛛の巣のように聳える観覧車からは、幾つかのゴンドラが落ちていた。肝試しの客が万が一にも下敷きにならないように、ということなのか、かなり広い範囲にロープが張ってあって、黒と黄色で「危険・立ち入り禁止」を示している。メリーゴーラウンドは、屋根のテントが破れて馬や馬車が風雨に晒されて、黒い汚れの膜を被ったようになっている。前脚を上げた馬のポーズが、本来なら躍動感があるはずなのに、泥に呑み込まれてもがいているようにも見えて。――どれも、前は徹と乗ったものだけど。
「っ、と……」
「大丈夫」
「ん。そこ、気をつけて」
園内はそんな有り様だから、足元も当然おぼつかない。閉園以来修繕なんてされていないのだろう、花や動物を描いたタイル模様も、ところどころ隙間から雑草が生えてひっくり返されている。そこから雨が染み込んでタイルが緩んで、時々足を置いたところがぐらりと揺れてびくりとさせられる。いつしか、私と有希子はしっかりと手を握り合って寄り添うように進んでいた。
最後にこんな風に有希子と手を繋いだのはいつだっただろう。小学校か、中学校か――もしかしたら、あの件のちょっと前までだったら、私たちは仲の良い姉妹だったのかもしれない。見間違えられたりセット扱いされるのにはうんざりしていたけど、だからといって相手を嫌う理由にはならなかった。あの入れ替わりの悪戯だって面白いと思ったくらいで。
有希子も、今、私と同じ気持ちなら良いのに。入れ替わって拗れてしまった私たちの間が、この場所で戻れば良いのに。
有希子もそう思ったからこそ、こんなドライブというか肝試しに連れ出してくれたのかな。ぎゅっと、ひとつの懐中電灯をふたりで握って進む。不気味で真っ暗な廃遊園地も、もうあまり怖いとは思わなかった。
真夜中の廃遊園地を彷徨うことしばし――私たちはあのミラーハウスの前に辿り着いた。他の遊園地ではそれぞれ違った趣向もあるのかもしれないけど、ここのはお城と同じくメルヘンな装飾が施されていた。はっきりと名前は出していないけど、鏡の国のアリスをイメージしているようで、フリルがたっぷりのドレスをきた女の子だとか、チェスの駒のナイトのようなキャラクターが外壁に描かれている。他にも太った双子とか、不思議な姿のチョウやトンボ。それらはメリーゴーラウンドの馬たちと同じくすっかり汚れてはいるものの、建物自体はしっかりしているようだった。少なくとも、観覧車のようにいつ崩れるか分からないって感じはしないし、ロープが張られていることもない。
「――入ってみる?」
「……うん。そうだね」
だから、つい――というか。有希子の提案にも、すんなりと頷いてしまう。有希子と一緒にここまで来て、怖さよりも懐かしさを感じ始めていたから。心霊スポットって噂が、胸に一瞬だけ影を落としたけど、あの日の記憶が拭ってくれる。私たちは一度ここに入って無事に出てきてる。入れ替わりごっこ、なんて儀式というかおまじないめいたことをしたにもかかわらず、だ。
有希子もいるんだし、大丈夫。この子の気持ちの整理を手伝うだけ。ちょっと入って出てくれば、この子も落ち着くだろうから。
私たちはどちらともなく懐中電灯を握り直した。光の輪は濃い闇の前にあまりにも小さいと思っていたけど、ミラーハウスの中へと光を向ければ、無限かと思うほど鏡が光を反射してくれる。その明るさにも励まされて、私たちはそっと足を踏み出した。