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2. 筋違い

「あの遊園地、閉園したでしょ」


 体育座りをして、自分の膝に顔を埋めた有希子がぽつりと呟いた。唐突な流れについて行けなくて、思わず聞き返してしまう。


「遊園地? どの?」

「高校の時行ったとこ。遠足で。ミラーハウスで髪型変えたでしょ、あそこ」


 言われてやっと思い出す。もう十年近くも前のことを。青春、なんて言うのは気恥ずかしいけど、何となく胸がじわりと痛む。あの頃は楽しかったなあ、なんて。有希子とも仲が良かったし。


「ああ……なんで? 不景気?」

「それもあると思うけど。あの頃から()()って噂だったでしょ? 段々お客さん来なくなって、それで、って」

「ふうん」


 いつ頃だろう、と思ったけどあえて聞こうとは思わなかった。大学で地元を離れてひとり暮らしを四年間。就職ではこちらに戻ったけど、通勤には電車を使うから、結局地元で過ごす時間は少ない。高校までの友達ともそんなに頻繁に会う訳じゃないし。地元と疎遠になっていた間にいつの間にか、ということだろう。それなら聞いたってどうしようもない。

 それよりも聞きたいのは――


「あそこがどうかした?」


 なんで有希子があそこのことを言い出したのか、ということ。


 会社から帰ってやっとひと息、と思ったタイミングでチャイムが鳴って、ドアを開けたら自分と同じ顔がそこにいた。泣いて喚くのを宥めて家に上げて、作り置きの食事を出したり話を聞いたり。何といっても血を分けた姉妹のことだから、放って置く訳にはいかないし、力になってあげたいとは思う。でも、いくら何でも話の脈絡が分からない。刺激しないように言葉を選んで、腫れ物扱いするのにも疲れ始めてきていたこともあって、つい――本当に、つい――詰問するような、苛立ちのような感情が、ほんの少しだけ声に滲んでしまったと思う。


「……もう一度、行ってみない?」


 首を上げてこっちを見てきた有希子の顔――泣き過ぎて赤くなった目や腫れぼったい目蓋を目にすると、それ以上強く言うこともできなくなってしまったけど。この子と私は同じ顔。だから、辛そうな顔をしていると私も同じ目に遭ったような気になってしまう。有希子が狙ってやっているのかは分からないけど。でも、有希子に真っ直ぐ見つめられて、私は途端にしどろもどろになってしまう。


「は? 廃園になったんでしょ? 入れる訳――」

「入れるんだって。肝試しスポットみたいになってるって。柵とか壊れてるなら、むしろイケると思う」

「今何時だと思ってるの? 本当に肝試しでもするつもり? ……家に、帰らないの?」


 最後の問いを口にするのは、少し勇気が要った。有希子は家に帰りたくないんだ。だから私なんかのところで時間を潰してる。そうと分かっている癖に邪険にするようなことを言ったら、この子を追い詰めてしまうのかもしれない。実際、有希子はくしゃりと顔を歪めた。また泣きだすんじゃないか、ってこちらを不安にさせるような表情。


「……悪いとは思ってるよ。でも、どうしても行きたいな、って」

「…………」

「亜希子……お願い。あそこで始まったようなもんじゃない? だから、あんたとまたあそこに行って……そうしたら、やり直せる気がするから」


 私はちらりと壁の時計に目をやった。いつもなら、もうお風呂に入って寝る準備をしている時間。明日のことを考えるなら、有希子を送り出す方向に宥めた方が良いに決まっている。それは、はっきりしていたけれど。

 でも、双子の片割れの頼みを断ることはどうしてもできなかった。有希子の声は、ほとんど懇願するような響きがあった。この子がここまで言うなんて。私に頭を下げるような態度を取るなんて。それに。

 私は、有希子が()()()()を謝ってくれるつもりじゃないかと思ったから。




 有希子は私の家の近くのコンビニに車を停めていた。替え玉受験ができるんじゃ、なんて揶揄われることも多かった私たちだけど、当然免許はそれぞれ自力で撮った。でも、日常的に運転しているらしい有希子と違って、私はペーパードライバーになって久しい。ひとり身で電車通勤をしていると自家用車なんていらないものだ。


 だから当然のように運転席に有希子、助手席に私が座る。シートベルトを着けながら、交わす言葉は淡々と。かつて他愛ないことをいつまでもおしゃべりすることができたのは、多分同じ学校に通って似たような日々を送っていたから。お互いに実家を離れて全く違う生活をしている今となっては、改めて語りたいようなことはもうないのかもしれない。


「場所、分かるの?」

「ん、多分。ナビ入れて」

「廃園になったんでしょ? 登録されてるかな……」

「近くまで行ければ分かるよ。観覧車とか、目立つでしょ」


 訝しむ私を押し切るように、有希子はキーを回した。車が動き出すとエンジン音に加えてラジオから流行りのアイドルの歌が流れてくる。甲高い女の子の声が意外とうるさくて、それに有希子の集中を乱すのも気が引けて、私は何となく口をつぐんで押し黙った。

 窓に目を向ければ、黒い窓ガラスに顔が映る。久しぶりに有希子に会って思い知らされた、離れて暮らしてそれぞれの歳月を重ねた後でもなおそっくりな――顔。


 ガラスに映る半透明の顔越しに、夜景を眺める。住宅街の街灯は郊外に出るとやがてまばらになって、対向車の姿もまれになる。カーナビの地図には、あの遊園地の跡地がぽっかりとした空き地として表示されている。この分だと、現地は真っ暗なんじゃないだろうか。有希子に言われるまま車に乗ってしまったけど、暗闇の中であのミラーハウスまで行くなんて、どう考えてもおかしいんじゃない? ふと不安と恐怖が過ぎってしまって運転席の有希子を窺っても、感情が見えない顔でハンドルを握って前を見つめているだけ。本当に有希子なの? って――あの日のみんなも、こんな落ち着かない気分になったんだろうか。


 まさか。有希子はちょっと気持ちを落ち着けたいだけ、それだけだ。そのために昔の思い出に浸るだか決別するだかしたいだけ。幽霊なんているはずない。別に寒い季節でもないんだし、夜の散歩って思えば良いはずだ。

 そう自分に言い聞かせて、私は車のシートに身体を預けた。




 暗い中で一定の振動に揺られていると頭の芯がぼんやりとしてくるものだ。そんな時は、とりとめのない記憶や情景が浮かんでくることもある。


『新郎新婦は、高校の時の遠足でお互いを意識したそうです。遊園地での普段よりもはしゃいだ姿に惹かれてしまったとか。この時はまだ並んで映っていないですが、後でふたりでデートに行ったこともある、思い出の遊園地なんですよね!』


 ――これは、有希子と()の披露宴での司会者のセリフだ。スライドショーで、あの日の集合写真を映しながらのことだったと思う。確かにあの時、ふたりはまだ隣り合ってはいなかった。彼の隣にいたのは私――でも、徹を目立たせるように囲んだ花のスタンプで、私の顔は隠れていたから、大部分の招待客は新郎が新婦の双子の片割れと肩を寄せ合っているのには気づかないで、微笑ましいエピソードに喜んでいたようだった。

 高校時代の友人たちは、ちらちらと親族席の私の方を見てきて、困ってしまったけれど。高砂のふたりをちゃんと見てあげるように目で促して微笑んだのは、別に無理をしたという訳じゃない。スライドの演出は、少し驚いたし全く不快でなかったということもないけど。でも、私にとっては終わったことだったから。


 ミラーハウスでの入れ替わりを提案してきたのは、有希子からだった。みんなを驚かせたいから、っていうのは面白そうだったし、観覧車やメリーゴーラウンドで徹と一緒に乗る流れにされていたのが少し恥ずかしくて少し鬱陶しくもあったので、私も喜んで乗った。

 結果としては悪戯は大成功で――そして同時に、有希子のもうひとつの目的も大成功になっていたんだろう。徹に、私と有希子は同じ顔だと改めて認識させること。そして、有希子の方が私よりも彼を好きだと気付かせること。同じ顔なら、自分をより好きな相手の方が好ましい――最終的に、彼にそう思わせたこと。


 そう、徹の方から告白してきたんだ。だから私は積極的に彼を好きだった訳じゃない。初めてのことで舞い上がっていただろうとは思うけど、もしも有希子が彼を好きだと知ってたら、決して受けたりはしなかったはずだ。それでも何度かデートして、手を繋いで、キスは――したんだったかどうだか。その程度の関係で、その程度の想いだった。だから私としてはそれほどの深手ではなかった……と、思っている。

 友達なんかが私以上に怒ったり泣いたりしてくれたこともあるし。有希子の想いが叶ったならそれはそれで良いか、と思った。あるいは思おうとした。


 どの道、双子だからって四六時中一緒にいる時期はそろそろ終わるところだったんだろうと思う。大学まで同じところなんて中々難しいだろうし。私は自分の進路をよく考えた上で進学先を選んだ。有希子と徹が選んだ大学と違うところになったのは、あくまでも結果論。ふたりの姿を見たくないからじゃなかった。第一、大学で学んだこと、出会った人たち――その中にはいわゆる彼氏だって何人かいた――、得た経験。どれも私にとっては大事な財産になってるんだから。初恋、それもこちらから告白したのでもない関係が、ちょっと角の立つ終わり方をしたからって、ひきずるなんて大人げない。


 私はひきずったりなんてしてない。もう終わったことだ。あの当時だって、別に振られたのが悲しかった訳じゃなかった。悲しいとしたら――もっと違うことに対して。

 徹に告白されたのは、恋愛的な意味ではそんなに嬉しくはなかった。それでも受けたのは、()自身を見てくれたと思ったから。双子のどちらか、ではなくて、どこか有希子とは違う良いところを見つけてくれたのだろうと思ったから。

 でも、そうじゃなかった。多分、徹はたまたま目についた方に声を掛けただけだった。私の方が運動部で目立っていたからとか、きっとその程度のこと。顔は同じでも性格は違う有希子に、あっさり乗り換えて行ったのはそういうことだ。傍から見れば私も有希子も()()だと突きつけられた――ううん、でも良かったはず。私を慰めてくれた子、有希子に怒ってくれた子。友達は、私たちの違いをはっきりと気づいてくれた。私が私だけの道を歩き始める、切っ掛けにもなった。


 そう。それに何より。結局、有希子と徹は結婚したんだから。大学を卒業した次の年に、有希子はジューン・ブライドになった。付き合って五年とか六年とか、それだけの時間を積み重ねたなら、ふたりの気持ちは本当だったってことなんだろう。徹も、ちゃんと有希子自身を見て、好きになったってことのはず。有希子の気持ちは報われたってことのはず。だから私の出る幕はやっぱりなくて、こうなるのが一番だったってこと。


 ――ずっと、そう信じようとしていたのに。

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