1. 入れ違い
ミラーハウスの出口に、制服姿の少年少女がたむろしている。学校行事の一環、遠足でのグループ活動だ。高校生にもなって地元の遊園地だなんて。せめてディズニーなら良かったのに。口々に不満を言っていたのも、出発するまでのこと。いざ現地に着いてしまえば、生徒たちは大いに楽しんでいるようだった。アトラクションがどうというより、友人たちと一緒に騒げるということが、若い心を何より弾ませるものなのかもしれない。
二人から三人ずつ入場するシステム、入り口の係員が程よく間隔を調整してくれるから、それに内部の複雑な構造のお陰で前後のグループの姿が見えることはほぼないから、無数に思える鏡に映る像は自分たちだけ。場所によっては凹面や凸面の鏡もあって、歪曲した自分の顔に笑ったり怯えさせられたり。合わせ鏡を覗き込めば、どこまでも連なる自分と対面できる。
それぞれのグループでたっぷり迷って楽しんだ後、場内で撮った画像を見せあっているところだった。
非日常の楽しさに、いつもよりおどけた顔でポーズを決める友人たちの画像にひとしきり笑った後――彼ら彼女らが語るのもまた、若者が好みそうなこと。
「やっぱ映ってないなあ」
「そうそう都合よく映らないでしょ」
「映っててもイヤだし、良かったんじゃん?」
「えー、どっか投稿とかしてみたかったのに」
「それより携帯どうすんだよ。お祓いすんの?」
「塩かけたら壊れそう!」
夏の日差しの下で他愛ない笑い声が弾けた。この遊園地の幾つかのアトラクションには出るという噂がつきまとっていて、その真偽を確かめるのも彼らの楽しみだった。メリーゴーラウンドに、観覧車。これまで遊んだ施設では幸か不幸か何事も起きなかった。もはや、映るかも、というのは写真を撮る口実でしかないかのよう。誰も本当に怪奇現象が起こるとは期待していないのだ。
それでも、未練がましく低い声を作る少年もいる。
「でも、ミラーハウスの怪談って入れ替わるってヤツだろ? 写真とかじゃなくてさ、実は、誰か入れ替わってたりして――」
ミラーハウスの中ならいざ知らず、外の明るい陽光のもとでは友人たちの失笑を買うだけだったけど。
「誰かいない人いるー!?」
「期末で急に成績上がったらそいつが幽霊だな」
「テストとか幽霊に代わって欲しいわ」
また笑い声――それが、ふと立ち消える。
「亜希子と有希子、遅いね……」
グループの全員が戻っていないことに、誰かが気がついたのだ。彼女たちが入場したのは、比較的最初の方だったはずなのに。迷路状の内部とはいえ、本当に出られなくて困るほどの複雑さではないのに。大体、どうしても迷ってしまったなら、各所に非常出口があったのを誰もが見ている。まさか、よりによって自分たちに? 親しい級友が、鏡から伸びる何者かの手に引きずり込まれる様がそれぞれの脳裏に描かれて、気温もすっと下がってしまったかのような。
「あいつら双子だから。倍、ややこしいんじゃない?」
「そうかもね……」
冗談めかしたコメントも、冷えた空気を払拭することはできなかった。だって明らかにおかしい事態だと思ったから。係員に尋ねるか――でも、大げさにするのも恥ずかしいし。でも、友人に何があったら?
気まずい沈黙が流れて、誰もがお互いの顔色を窺って口をつぐんだ時――涼やかな声が響いた。
「お待たせ。すっかり迷っちゃった」
亜希子、あるいは有希子の声だった。双子だけによく似ていて、友人たちにも咄嗟にどちらかは分からなかったけれど、とにかくどちらかだ。はっと顔を上げれば、果たしてそっくりな顔立ちの少女ふたりが手を繋いで微笑んでいる。彼らと同じ制服に、同じ指定のカバン。それぞれに個性を出そうとはしているのだろう、髪形やカバンについているアクセサリーは変えている。――彼らがよく知るクラスメイトに間違いなかった。
「遅いよー、何かあったかと思っちゃった」
「双子だと普通の人より迷っちゃうのかなって、言ってたとこ!」
重い空気を払拭しようとするかのように、わざとらしいほど明るい声が上がる。数人が双子に駆け寄ろうとして――でも、足を止めてしまう。
「二人とも……何か、雰囲気違くない?」
ミラーハウスの入れ替わり。級友たちのさっきまでの話題を知らない双子は、同じ角度で小首を傾げて微笑んだ。
「ええ、そうかなあ?」
「いつも通りだよお」
確かに、一見はいつも通り。ポニーテールの亜希子は、運動部で声も大きくはきはきとして。緩いおさげにしている有希子は、少しおっとりとした性格で。でも、ふたりを完全に見分けられるはずの友人たちも、今、この時に限ってはどちらがどちらと断言できない気がした。彼ら彼女らが知る亜希子と有希子ではない――少し、違うような。その違和感が、怖い。
表情を強張らせる友人たちを前に、双子は楽しげに微笑んでいる。その様子を、ミラーハウスから出た他の客が不思議そうにちらりと見ては通り過ぎる。今度の沈黙はさっきよりも長く続いた。誰も、怪談が自分たちの目の前に現れるなんて思ってもみなかったから。どうにかして、いつもの現実の続きだと信じたくて目を凝らして――ひとりの少女が、やっと答えを見つけた。
「亜希子、有希子、髪形変えたでしょ! バッグも持ち替えてる!」
そのひと言で、その場の空気が明らかに緩んだ。
言われてみれば、その通りとしか見えなかった。いつもの片割れの髪形をして、カバンも相手のものを持っていた双子。女子はカバンにクシやピンを持っているものだし、鏡はミラーハウスならそこら中にある。他のグループをやり過ごせる袋小路にでも隠れて、髪形を変えて。メイクも、少しいじったかもしれない。亜希子の髪型の有希子。有希子の髪型の亜希子。ふたりを見分けられる仲だからこそ、友人たちは敏感に違いに気付いた――というか、それを狙ったふたりの悪戯だったらしい。
「マジか、やられた!」
「亜希子が徹と一緒に行かないの、おかしいと思ったんだよ!」
「へへ、ごめんねえ」
「もしかして怖かった? こっちは楽しいんだけどー!」
そうと分かると、今度こそ遠慮も翳りもない、若い笑い声が青空に響いた。一瞬でも怖がったことを恥じて吹き飛ばそうとするかのように。
「ね、徹。私だってこういうのも似合うでしょ?」
双子の片割れ――有希子が少年のひとりにポニーテールを示して見せた。艶やかに揺れる長い髪は、きっと甘いシャンプーの香りを漂わせただろう。
「ん、そうだな……可愛いよ」
その証拠に、問いかけられた少年は――双子のもうひとり、亜希子の恋人、徹は、とてもくすぐったそうに頬を緩めて答えた。