父の戸惑い
2015.5.23 第58・59話に手を加えひとつにまとめました。
順調な滑り出しを見せたかに思えた兄たちとの同居。
しかしわたしの知らないところで、家の中の歯車は少しずつ狂い始めていた。
ある日を境に、朝の台所に姿を見せなくなった兄嫁。
「めぐみは、ちょっと具合が悪いみたいでね」
それだけ言うと、兄は慣れた様子で洗濯機を回しながら子どもたちに朝ご飯を食べさせる。
その光景に、暗い眼差しを向ける父。
こっそりとついた、小さなため息。
素朴で優しい性質の兄嫁は、精神的な脆さをも抱えていた。
それでも長男としての責任感からか、数年前父の病気を機に、1度目の同居に踏み切った兄。そのときは彼女の状態もある程度落ち着いていたし、同居することでかえって逞しくなるのではないかという楽観的な考えもあった。
しかし、ことは思っていたほど簡単ではなかった。
「うちの嫁は、まだ起きてこねえのかっ!」
そう言って朝の5時半から兄たちの部屋の周りをうろつく祖父。
「そんなやり方じゃあ、だめだ」
歯に衣着せぬ母のきつい物言い。
時代に取り残されたようなこの家の暮らしに馴染むのは、決して生易しいことではなかった。兄嫁はだんだんおかしくなっていき、結果、数か月で同居は解消となった。
そうして互いの気持ちはすっかりこじれ、何年も直接連絡を取り合うことのないままに、母が急逝したのだ。
あの日、連絡を受け兄と一緒に病院に駆け付けた兄嫁は、家を出て以来ことばを交わすこともないまま母を逝かせてしまったことをひどく悔いて号泣した。
その後、頑固者の祖父も亡くなった。
今度は上手くいくに違いない。
そんな希望的観測のもとに始まった2度目の同居生活だった。
なのに。
日を追うごとに、家の中の空気が重く張りつめていく。
兄から伝え聞くのは、父が騒いでいる子どもたちの頭を思い切りぶって叱ったとか、指しゃぶりをしているのをきつく咎めたりしたというめぐみさんの訴えだった。ただそのときは、彼女も気にし過ぎるところがあるからと、こちらも話半分で聞き流していた。
が、ある晩仕事から帰宅すると、待ちかまえていたかのように兄がそっと手招きをした。
何事かと身構えるわたしに、難しい顔でひそひそとその日のできごとを話し始める。
「今日な、めぐみが悠斗を叱ってるところに、父さんが乱入してきたらしい」
「乱入?」
聞けば、めぐみさんがいたずらをした長男を叱っていると、いきなり父がやってきてこう言ったのだという。
「自分のこともきちんとできないような奴に、他人を叱る資格などないんだっ」
さらに、彼女の体調がすぐれないのを皮肉るかのように、
「子どもは働かなくてもしょうがないけど、大人は働かざる者食うべからずだからな」
そう吐き捨てたと。
兄嫁はすっかりダメージを受けて、ふさぎこんでいるという。
そうこうするうちに、平日はほとんど家にいないわたしにも、週末のほんの数時間で家の中の雰囲気がひどく険悪になっているのが見てとれるほどになっていた。
朝からだらだらとテレビを見ている甥っ子たちを、険しい表情で睨みつける父。食事の途中でふらふら歩き回ったり、脱いだくつをそろえなかったり、新聞をぐしゃぐしゃに踏みつけて遊んだり。たかが子どものやることなのにいちいち癇に障るのだろう、時には怒鳴り声が飛ぶ。
先回りするように兄嫁も厳しく子どもを叱りつけ、ピリピリとした空気が場を支配する。
「子どもの躾もろくにできない怠け者の嫁」
父のことばの端々から、そんな不満が滲み出ている。
当然ながら兄嫁の精神状態はますます悪化し、毎晩のようにそれを宥める兄も寝不足でふらふらになっていた。
「こう言っちゃなんだけどさ、以前の父さんとはまるで別人みたいだ」
兄が深いため息をつく。
そんなある日、すっかりまいっている妻を少しでも元気づけたかったのだろう、兄がケーキを買ってきた。
嬉しそうにパッと顔を輝かせ、いそいそと皿を用意する兄嫁。
が、それを見ていた父は、冷たく吐き捨てるように言った。
「なんだ、今日は誰かの誕生日なのか?」
華やいだその場の空気が瞬時に凍った。
このままではどうにもならないと、話し合いの場を持ってもみた。
「言いたいことがあるなら、まずは嫁としてやるべきことをきちんとやってからだ」
父のことばに、
「やらなきゃいけないと思っていても、調子が悪くてできないときだってあるんです」
そう兄嫁が食い下がる。だが父の態度は少しも変わらなかった。
「よその家に入るってのは、簡単なことじゃない。よっぽど覚悟していても、それでも大変なことなんだ。めぐみさん、あんたにそれだけの覚悟があるのかい」
勤勉で質素で忍耐強くあれ。
苦労を惜しまず不平を言わず、自分を犠牲にしてひたすらに働け。
遊んだり楽をするのはただの贅沢だ。
実際には父は一度もそんなことばを使ったことはない。でもわたしは、子どもの頃からいつもそう要求されていると感じてきた。そして何より父自身が、そういう生き方を貫いていた。
それができてしまったのは、人一倍自分に厳しかったからだ。
そしてその厳しさは、周りにも同じように向けられているに違いなかった。
子どもらしいわがままや、些細ないたずらさえも許せないほどに。
母というクッションを失った今、父の心の奥底に刻みつけられたその厳格さは隠しようもなくなっていた。
それはいつも他人との間を隔てるものではなかったか?
父はおそらく、誰にも心を開けない、家族というものの中にさえ本当には入り込めないとても孤独な人間なのだ。
もしかすると、わたしがわけのわからぬ孤独感を抱えた子どもであったのも、父のその性質を受け継いだせいなのかもしれない。
心のどこかで安堵している自分がいた。
自分と父との関係が上手くいかなかったのは、わたしのせいだけではないのだと。
『たぶんお父さん自身も、他人との距離の取り方がわからないんだよ』
先日の彼のことばがふと脳裏に浮かぶ。
だとすれば、おそらくこの事態に一番戸惑っているのは父のほうなのだ。
そう思い至った時にわたしは初めて、生身の父の苦しみにほんの少し触れた気がした。