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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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結婚します

 4月。

 満開の桜の花の中、兄の一家は引っ越してきた。


 家中に所狭しと積まれた段ボール。

 玄関に並ぶ小さな運動靴。

 ピカピカのランドセル。


 小学校に上がったばかりの悠斗と弟の海斗のはしゃいだ声が、死んだように静まりかえっていた家の中に明るく響き渡る。


「家のことはわたしがやりますから、冬子さんは安心してお仕事に行ってください」

 そう言って夜も明けやらぬうちから起き出しては、朝食の準備に掃除に洗濯にと精力的に立ち働く兄嫁のめぐみさん。


 以前同居したときは母とも祖父とも折り合いが悪く、あっという間に音を上げた彼女。が、長男が家を継ぐのが当たり前の田舎町、今度こそはと並々ならぬ覚悟で臨んでいるのが見て取れた。


 そのようすに安堵と一抹の淋しさを感じながら、わたしは新しい職場に通い始めた。



 相変わらずの緊張っぷりながら、仕事はどうにかこなすことができた。

 少し慣れてくると、帰りに彼の部屋で夕飯を作るようになった。週末も、一週間分の食料を買い込んだり、安い食器やら日用品やらを見て回ることが多くなった。

 新しい生活の準備に、胸を膨らませる日々。


 そうして5月の連休が終わると、彼は正式に結婚のあいさつに訪れた。

 きっちりとしたスーツに身を包み、手土産に高級な日本酒を持って。




「冬子さんと、結婚したいと思っています」

 今までの数々の非礼を謝罪したあとで彼がそう口にすると、父は難しい顔のまま「ああ」と唸るような声を出した。


 ――来月には地方に住む自分の親に会ってもらうつもりでいます。


 ――結婚式は、どうしましょうか。


 父は眉根を寄せテーブルに視線を落したままで、いつものように「うむ」「そうだな……」と答えにならないような答えを返すばかり。


 喜んでくれてはいないのかもしれない。

 そんな不安がふと胸をよぎる。


 それでも、言うべきことは言った。そして、兎にも角にも反対はされなかったのだ。わたしたちはホッと胸をなでおろした。




 が、彼が帰ったあとで、兄が苦言を呈してきた。


「冬子さ、ちょっと筋が違うんじゃない?」


「え?」


「こういうのって、最初は申し込みだけをして、了解を得てから具体的な話を進めるのが筋だよね。

 でも、自分たちで時期とかも勝手に決めてしまって、事後報告みたいなのはおかしいと思うよ。

 これって、父さんの気持ちを踏みにじることだと思わない?


 なんかそういう感じだと、周りからしたらもう賛成とか反対とかという感じではないよ。

 自分たちが責任を持つんだったらいいんじゃないの、としか言いようがない」


 そう言って渋い顔をした。


 勝手にすれば、と突き放されたような気がした。




 兄の言っていることもわからなくはなかった。

 わたし自身、彼のやり方を強引に感じることもよくあったからだ。

 正直言うと今日の話の持っていき方も、あれ? とは思った。


 でも。


 そうだとしても、父は「ダメだ」とはひと言も口にしていないのだ。


 はっきり言われたわけでもないのに、難しい顔をしているからきっとダメなのだと解釈し、勝手にあきらめようとする。

 そうして何もかもが、周囲が思う父の意向に沿ってなされていく。それがこの家では当たり前だった。


 ずっとその中で育ってきたわたしは、それを苦しいと感じはしても、おかしいとは思わなかった。


 でも彼は違う。周りに合わせて流されるのでなく、周りを動かし欲しいものをつかみ取ろうとする人間だった。

 その発想自体が、おそらくこの家では異質で受け入れ難いものになってしまうのだ。




 兄の反応を聞くと、彼はふう、とため息をついてからこう言った。


「あのね、お父さんは今日、俺と一度も目を合わせなかったんだよ。なぜだと思う? たぶんお父さん自身も、他人との距離の取り方がわからないんだよ。


 これは第三者の勝手な意見だけどさ。

 誰もお父さんを人間と思ってない気がするんだ。

 みんなお父さんを神かなにかのように崇め奉って、そのひと言ひと言に踊っているだけだ。


 でもね、お父さんだって、ひとりの人間なんだよ」



 

 今思えば、彼はわたしたち家族の誰よりも、父とあの家のことを理解していたのかもしれない。

 彼のことばは、このあとに起こる出来事を、見事に暗示していたのだ。

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