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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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ブラックホール

 彼とは本当にたくさんの喧嘩をした。


 一番ありがちだったのが、わたしが心に蓋をして黙り込んでしまったときと自信がなくてふらふらしているときだったけれど、付き合い続けていくうちに、何気なく口にした悲観的なことばに彼が反応することもあった。


「そこから何か生まれてくるんだ? 俺は、そういう考え方は大嫌いだ。思っても俺には一切言うな!」

 が、その頃になるとわたしも少しずつ口答えができるようになっていた。

「不安だから言いたくなるのに、その気持ちを受け止めて欲しいのに、どうしてわかってくれないの?」


 でもひとりになって冷静に自分を見つめてみると、彼が怒る理由が見えてくる。そのときのわたしはそこまで不安だったわけじゃなく、ただ慰めてもらいたくて彼の気を引くようなことばを安易に口にしていただけだった。


 そのことに気づいてすぐさま電話で謝ると、彼は何でもないことのように穏やかな、そして少しだけ嬉しそうな声でこう言う。

「それがわかったんなら、もういいよ」



 一生懸命慣れない化粧をしていったのに、彼に「ブサイクだな~」と笑われて喧嘩になったこともある。

「そりゃあ美人じゃないかもしれないけど、わたしだって好きな人にはきれいだって言ってもらいたいよ」

 そう言って食ってかかると彼は真顔でこう言った。

「俺は冬子の顔なんてどうでもいい。いつも心だけ見てる」

 ……完敗。



 わたしにとっては、こんな風にまっすぐにぶつかり合えることも、なんのしこりもなく仲直りできることも、そしてそのたびにもっと深くわかりあえることも、生まれて初めてのことだった。

「怒られる」と「嫌われる」「責められる」は同義語で、ほんのちょっと注意されるだけで拒絶されたと思い込み、委縮してしまうのが常だった。

 が、彼はわたしがそう感じてしまうこともよくわかっていて、話の途中で必ず「別に冬子を責めてるわけじゃないからね」と言って、その不安を解こうとしてくれた。


 怒っても、わたしのことが嫌いになったわけではない。


 親に対してさえも、そんな風に思えたことはなかった。それはとても新鮮で、このうえなく満たされた感覚だった。



 先日たまたま連れ合いとそんな話をする機会があった。


 どうして? って聞かれると、それだけで責められてるように感じて逆切れしたり言い訳する人が多いよね、とわたしが言うと、彼はこう答えた。

「そうなのかもしれないね。実際、責めるつもりで聞く人もいるだろうし。でも、俺がどうして? って聞くときって、ただ純粋にどうしてそう考えるのか知りたいってだけなんだよね……」

 そのとき気づいたのだ。わたしはおそらく彼に出会うまで、自分が何を考えているのか純粋に興味を持って聞いてくる人間に出会ったことがなかったのだと。


 それはわたしが少し変わった子どもだったせいもあったかもしれない。親も先生も友達も、わたしの言うことと自分たちの願う答えを照らし合わせて、これはいい、それは違う、こんなのはおかしいと、勝手に評価を与えるだけだった。誰もわたしが考えていることをそのまま知りたいなどと思っていなかった。

 だからわたしは、大切な本心が踏みにじられないように、心の奥深くに隠してしまったのだ。


 彼は初めて、ありのままのわたしの心にアクセスしようとしてくれた人間だった。彼が怒るのはいつだって、何らかの理由でわたしがわたしらしくないときだ。



 けれどそうして誰も踏み込んだことのないところまで彼が入り込んできたときに、わたしの心は堰を切ったように失い続けたすべてを取り戻そうとし始めた。

 彼と一緒にいるときに、わたしはしばしば体調を崩した。それが精神的なものであることは自分でも薄々気がついていた。

 ――もっとわたしだけを見て、もっと大切にして、もっともっと愛して!

 その叫びが、胃の痛みや息苦しさやめまいへと形を変えていく。


 彼はいつも全身全霊でわたしを支えようとはしてくれたが、寄りかかることは決して許さなかった。きっと彼は、誰かが誰かを背負い続けることなど不可能だと最初から知っていたのだろう。だからわたしが自分の足で歩けるようになるために、すべてのエネルギーを注ぎ込んでくれたのだ。



 2月23日

 わたしの中には深いブラックホールがあって、いつも愛を欲しがっている。普段はどうにかバランスを保っているが、その怪物が暴れ出すとすべてを破壊に導くようなマイナスのパワーを持ってしまう。

 彼といることでわたしはそれを治められるようになるのか、それとも2人で破滅に向かってしまうのか、そのどちらかだ。

 誰と近付き過ぎてもきっとそうなるのだろうけれど、彼と一緒になるなら刺激は強烈だ。彼はいつもわたしの心の奥深く、一番の核心をついてくるから。





 ときおりひょっこりと顔を出し猛威をふるう負の力と闘いながら、わたしの心は確実に彼との暮らしを夢見るようになっていた。別々の家に帰っていくことが身を裂かれるように辛く、そして不自然なことのように思えてならなかった。

 この人と生活を共にし、喜びも悲しみも分かち合って生きていきたい。


 その頃からわたしたちは少しずつ、新しい暮らしに向けての具体的な準備をし始めた。


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