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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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父のこと

 わたしは長いこと、自分の精神的な問題の根本は母との関係だと思っていた。

 が、夫と出会ったころからようやく、それまで表面化することのなかった父との関係が思っていたよりずっと根深いものであることに気付き始めた。



 ――父はわたしを愛していない。父にとって自分は「不本意な娘」なのだ。


 いつの頃からか、繰り返し胸を訪れるようになったその想い。

 おそらくそれこそが、わたしの心の一番奥に刺さっていた「棘」なのだと思う。



 大人になったわたしは、それがただの思い込みに過ぎないと知っている。

 父は確かに、わたしを愛していた。

 ただ、ちょっと不器用だっただけ。


 なのに今でも、ふとした拍子に胸の奥底がどうしようもなく疼きだす。


 そんなときに思う。

 もしかしたらその棘は、なくなってはいないのかもしれない、と。





 幼い頃からずっと、父はわたしに笑顔を向けてくれることがなかった。


 今になってみれば、それは父の不器用さや父自身が抱えていた多くの問題のせいだったとわかる。

 が、幼い子どもにそんな理屈は通じない。

 無知で無力な子どもたちは、親の不幸せを全部自分のせいだと思い込んでしまうというが、たぶんわたしもそうだったのだろう。そうでなければ未だにひきずっているものの説明がつかない。



 母や祖父に対しては、反抗することも腹を立てることもできた。明らかにおかしいところがたくさんあったからだ。

 が、父は一見すると非の打ちどころのない人格者。

 そのせいで、父への気持ちがとりわけこじれていった気がする。



 このことに関しては、自分の筆力ではどうにもうまく伝えられる自信がない。が、とりあえずは頭の中にあるものを、ひとつずつ書き記していこうと思う。






 父は、農家の長男坊として生まれた。


 真面目で学校の成績もよく、いつも級長をまかされるしっかりした子どもだったという。


 優秀な生徒だった父は、中学の先生からぜひ高校に進学するよう熱心に勧められていた。

 が、人一倍ケチで頑固な父親が許してくくれるはずがない。

 15歳の少年は、すべての夢を自分ひとりの胸に閉じ込めたまま、家業の農家を継いだ。


 数十年の時を経て大学に進学したいと言い出したわたしに、父は初めてそのことを語った。そういうものの上に自分が立っているんだということを決して忘れるな、と。

 わたしは何も言うことができなかった。




 幼い頃から無口で思慮深く、そして我慢強かった父。決して我儘を言わず、いつのときも周囲のことを考えて自分を犠牲にできる強さを持った人だった。

 そんな父のことばには、母だけでなく周囲のだれもが従わざるを得ない重みがあった。

「何でも言えばいいというもんじゃない。黙っている勇気というのもあるんだ」

 感情的で思ったことを考えなしに口にしがちな母を、そう言ってよくたしなめていたのを覚えている。





 が、父がそうして飲み込んできた多くの想いは、時間をかけて発酵し歪んだ形で突然噴き出すことがあった。



 わたしが小四、姉と兄が中学生のときだったと思う。

 給食のない田舎町で、わたしたちは毎日母の作った弁当を持って学校に通った。帰ってきたらすぐに自分の弁当箱は自分で洗う決まりになっていたが、それが面倒くさくて、ずるずると夕飯後まで先送りするのが常だった。

 その日も母にぶつぶつ文句を言われながらもなかなか腰を上げずにいると、父がすごい形相でわたしたちを台所に呼び、横一列に並ばせた。

 異様に張りつめた空気に、身動きもできないわたしたち。


 と、父は姉につかつかと歩み寄り、パーンとその頬に平手打ちをくらわせた。

 姉はよろめき、兄とわたしはその光景に体を強張らせた。

 父は続けて兄の前に立ち、同じようにビンタをした。

 そして次はわたし。


 頬に熱い痛みが走ると同時に、湧きあがる疑問。

 確かに弁当箱をすぐに洗わなかったのは悪い。でも、こんな風にぶたれなきゃならないほどいけないこと?


 が、とてもそんなことを口にできる雰囲気ではなく、ただ黙って身を固くしたまま父の怒りが静まるのを待った。



 そして、中学生のとき。

 すぐ近所に猫をたくさん飼っている家があった。あるときなぜか、その家のばあさんが猫を食べたらしいという噂話が流れた。

 ことの真偽はわからない。が、変に生真面目なところのある母はそれを信じ込み、本気で嫌がっていた。

 そんなとき、たまたま夕飯前に母が「酒のつまみは何がいい?」と父に尋ねた。父がほんの冗談のつもりで「猫かな」と答えると、母はそれを真に受けて怒り出したのだ。


 その日の夕飯で、珍しく父は機嫌がよかった。

 ニヤニヤ笑いながら、「なあ冬子、母ちゃんはな、酒のつまみに猫がいいって言ったら、本気にしたんだぞ」なんて話しかけてくる。

 話の内容はともかく、いつも難しそうな顔ばかりしている父が笑っている。それだけでとても幸せな気分になった。


 やがて食事を終え、流しで皿を洗っているときだった。

 背後でいきなりガチャン、と食器が割れる音がした。


 見ると、父が食器の入ったカゴを土間のコンクリートに叩きつけ、さらに地下足袋の足で力一杯踏み続けていた。

「どうして、どうしてお前はそのくらいの冗談がわかんねえんだよ!」

 吐き捨てるようにそう叫びながら。

「わかったからよ、やめてくだせえよ!」

 母の絶叫。

 凍りついた空気の中で、ついさっきまでの幸せな気持ちは粉々に砕け散った。




 後に50代で母が亡くなると、父の鬱屈はあからさまにトクゾウじいさんに向けられるようになった。

 苦労ばかりかけたまま母を逝かせてしまったことが、どうにもやりきれなかったのだろう。

「もったいない」が口癖のトクゾウに、父はいつも食べきれないほどの食べ物をあてがった。たとえば卵を5個も6個もゆでて殻をむき、トクゾウの席に置いておく。

「こんなには、食べれないや」

 とトクゾウが言うと、

「でも、こんだけゆでちゃったから、残すと捨てるようになっちゃうな」

 皮肉たっぷりの口調に気付いているのかいないのか、トクゾウは、

「捨てるんじゃ、もったいないなあ」

 そう言って結局食べてしまうのだ。

 頂き物のお菓子も同じように、「悪くなるともったいないから、食べちゃったほうがいい」と言って勧める。言われるがままに食べ続けるトクゾウに、憎しみに満ちた視線を送る父。

 そのようすを見るたびに、自分が睨まれているようないたたまれない気持ちになるのだった。

 



 そんな父も、犬や猫といるときだけは手放しの笑顔を見せた。


 ゴロゴロと喉を鳴らして布団に入ってくる猫たちの背中を、慈しむような微笑みを浮かべてそっと撫でる父。その光景に、えもいわれぬ淋しさを感じた。

 ――やっぱり父は、わたしを愛していないのだ。

 その想いだけが胸の奥深くに根を張っていった。

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