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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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出会い

 タケちゃんと別れてから、すっかり恋に臆病になった。


 結婚なんて、わたしにはとても無理。

 でも付き合っていれば必ずいつか、結婚するか別れるかの選択を突きつけられる。そこで傷つけあうのなら最初から本気になんかなるまい、そう心に決めた。


 だから、ひょんなことで出会った男性に「おねーさん、一緒にカラオケ行こうよ」と誘われたときも、相手が年下だったこともあり、恋愛対象とはまったく考えていなかった。



 対人恐怖症気味のわたしは、緊張のあまり変な動きをして冷ややかな視線を浴びることが多かった。運動会の行進で手と足を一緒に出してしまう、ちょうどあんな感じだ。

 初めて彼とカラオケに行った日も、助手席のドアを閉めるときに変に力が入って、バタンとすごい音を立てた。

 ああ、またやっちゃった。

 首をすくめて彼の顔色をうかがう。

 と、彼はいたずらっ子のようにニヤッと笑って言った。

「こら! この車まだ買ったばかりなんだから、壊しちゃダメだよ」


 あれ、この人、嫌がってない。

 強張っていた気持ちがすーっと楽になった。


 それからも彼は、わたしが何に怯えているのかを全部知ってるみたいに、ひとつひとつさりげなくフォローしてくれた。

 歯並びの悪い口元からポンポン出てくる軽口はとても心地よく、口の重いわたしがいつの間にかそのペースに乗せられている。

 誰かといて、こんなに楽だと感じたのは初めてだった。



 わたしたちは、まるで磁石が引き合うみたいに来る日も来る日も会い続けた。深夜のファミレスでコーヒーを頼み、時間を忘れて話し込んだ。

 両親の不仲や幼い頃に患った大病、借金の取り立て、極貧生活。彼は、わたしなんか比べ物にならないような辛い経験をしてきた人だった。

 話せば話すほどもっと深く彼のことを知りたくなり、自分のすべてを知って欲しくなった。


 そんなある日、彼が子どもの頃のアルバムを持ってきた。

 写真の中の彼はどれも一様に、ひどく暗く寂しい瞳をしていた。じっと眺めているうちに、そのやせっぽっちの少年が味わい続けてきた寂しさや辛さがしくしくと胸に押し寄せてきて――――気がつくと、泣いていた。


 この人の心を、ぎゅっと抱きしめてあげたい。


 そんな気持ちになったのは、生まれて初めてのことだった。

 愛を欲しがるばかりだった空虚なわたしは、そのときようやく誰かを「愛する」気持ちを知った。



 が、2人の距離が縮まるにつれ、ある不安が膨らみ始めた。

 付き合っている女性がカルト宗教にどっぷりつかった過去を持ち、今なお精神科に通っていると知ったら。

 普通の男性なら、きっと去っていくに違いない。


 彼を失いたくない。

 でも、隠したままではいられない。


 何日も悩んだ挙句、送ってもらった車の中で思い切ってすべてを打ち明けた。


「あのね……話しておかなきゃいけないことがあるの」


「ん? なに?」


「あの……わたしね、今まで言えなかったんだけど……」


 ぎゅっとこぶしを握り締めながら、唾を飲み込んだ。


「実はずっと、せ、精神科に、通ってるんだ」


「うん、それで?」


 体が震える。でも、どうしても最後まで言わなくちゃ。


「それとね、ずっと、新興宗教に入ってて……

 何年も、集団生活とかしてて……」


 途中から涙がボロボロ溢れてきて、上手くしゃべれなくなった。しゃくりあげながら必死にことばを続ける。


「こんなこと言ったら、君が離れていくんじゃないかって、怖くて……でも、ちゃんと言わなきゃって……」


 が、彼は驚いたようすもなく、泣きじゃくるわたしを見つめて言った。


「わかってたよ」


「え?」


 一瞬耳を疑った。

 が、いつもと変わらない穏やかな声で彼は続けた。


「宗教だとはわからなかったけど、何かあるんだろうとはずっと思ってた」


「それって……いやじゃ、ないの?」


 恐る恐る問いかけると、彼はにっこり笑った。


「いやだなんて思わない。

 今の世の中、まともな人ほどそういう宗教に走ったり心を病んだりしてるんじゃないかな。

 だから冬子ちゃんも、人より純粋で本質的なだけなんだよ」


 思いもしなかった彼のことばに、わたしは体を震わせ泣き続けた。

 その涙と一緒に、長いこと胸の奥に抱えていたしこりが泡になって溶けていくような気がした。

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