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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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カウンセリング的治療

 祖父の介護から解放され、離婚してカルト教団とも距離を置くようになったわたしは、ゆっくりではあるが普通の暮らしを取り戻そうとしていた。


「苦しさに圧倒されるときちんと考えることができなくなるので、補助的にお薬を使って気持ちを楽にしながら一緒に考えていきましょうね」

 そう言われて始まった精神科の治療。

 週に一度の診察では、ぐちゃぐちゃに絡まって身動きのとれなくなってしまった思考や感情を、ひとつひとつことばにしていくような作業が繰り返された。

 抱えきれなくなった苦しみをただ吐き出すような時間。

 穏やかな佇まいの担当医師は、そんなわたしの話にじっくり耳を傾け、ひとつひとつの気持ちを丁寧に確かめていってくれた。


 光など見えなかった。

 でも、そんなことを積み重ねていくうちに、ほんの少しずつだが何かが動き始めていく気がした。


 驚いたことに、その病院には高校の同級生が何人も通っていた。

 聞くと、彼女たちの担当医はいつもほんの数分で診察を終え、事務的に同じ薬を出すだけだという。

 わたしは、担当があの先生でよかったとしみじみ感謝した。



 春になると、近所の学習塾で講師のアルバイトを始めた。

 人前に立つのも子どもの相手も、大の苦手。でも、この田舎町で働ける場所なんて限られている。

 週に何度か数時間ずつなら、どうにかなるだろう。そう自分に言い聞かせ、抗鬱剤を飲んで不安を抑え込みながら、なんとか授業を進めた。


 きちんと準備をしていけば、とりあえず講義はできた。

 が、生徒たちはすぐに騒ぎ始めるし、成績も一向に上がらない。生徒たちにからかわれるのを上手くかわすこともできない。

 中3のクラスも受け持ったが、成績の一番いい生徒を集めたはずのわたしのクラスは、いつの間にか別の先生が担当する下のクラスに抜かれていた。

 ショックだった。


 みんな、わたしなんかのクラスになったばっかりに。

 そもそも、コミュニケーション能力のないわたしこんな仕事は無理だったんだ……。


 マイナス思考が止まらなくなり、日に日に落ち込んでいった挙句、とうとう出勤できなくなった。

 泣きながら休ませてくれと電話するわたしに、塾長も泣きそうな声で「教室にいてくれるだけでもいいですから……」と懇願してきたが、そんなこと許されるわけがない。


 もう、やめるしかない……。

 どんよりと思い詰めて、次の診察日を迎えた。



 ひと通り話を聞き終えると、担当医師はにっこり笑ってこともなげに言った。


「そういうときはいるだけでいいんですよ、とにかく、休まないこと。子どもたちにとっては、どんな授業でも休みよりは得ることがあるんです。それに、そもそも授業なんて、面白いほうが異常ですから。


 投入できるときはしたらいい。でもスランプのときってね、力を出そうと思って出せるわけじゃないんです。その期間は割り切って、機械的にやるしかありません。


 あなたは、要求し始めたらどこまでも自分に要求してしまうでしょう? 100か0かでなく、その中間の中途半端な状態でいられるようになることが、あなたのテーマのひとつなんです。


 いつも100じゃなくていい。70の力でいいから、とにかくやり続けること。ね?」


 100じゃなくてもいい。


 そんな風に考えたことなどなかった。

 いつでも全力でなければ許されない、幼いころからずっとそう思い込んで生きてきたのだ。


 もしかしてわたしは、自分に無理なことを要求し続けていたのか?



 それまでわたしは、長期の仕事をしたことがなかった。教会の活動でも、普通の派遣やバイトでも、もってせいぜい3カ月。

 最初は気を張ってテンションを上げ一生懸命こなすので、それなりに上手くいく。が、ひとつ何かにつまずくと、そこから全部の歯車が逆回転し始める。

 小さな失敗やちょっとした失言が気になって、どんどん自信がなくなっていく。最後は「やっぱり自分には無理だったんだ」と思い込み、その場にいるのが苦しくて仕方なくなるのだ。

 それでも続けようとすると、必ず体調を崩した。結果、辞めざるを得なくなり、辛抱のない自分を責めてますます自信を失っていく。


 その原因は、ここにあったのか。

 わたしはいつもわたしに不可能なことを要求して、自分の首を絞めていたのだ。


 ぐちゃぐちゃだった頭の中がほんの少し整理され、ふうっと力が抜けていく気がした。



 こんな風にわたしは、みんなが当たり前のように身につけている感覚をたくさん取りこぼしてしまっていた。


 通院していた2年間は、そういう欠落や歪みやねじれをひとつひとつ確かめる期間だったのだろう。

 そしてもしそのプロセスがなかったら、今よりもっともっと生きづらい人生を送っていたに違いない、と思う。

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