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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
自分の足で
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離婚

 父はその冬のうちに、祖父を老人病棟のある市内の病院に入れた。

「このままじゃ、冬子がおかしくなっちゃう」

 そう言って。


 正直、ホッとした。

 けれど介護し切れなかった罪悪感と敗北感はついて回る。それを薄めるかのように、北風の中自転車をこいでせっせと見舞いに通った。


 頭を丸刈りにされた老人たちがずらりと横たわる病室。そこでも祖父は、頑固で人一倍手間がかかるとナースたちに嫌われていた。

 これでは家で面倒見切れなかったのも仕方がない、自分自身にそう言い聞かせた。



 教会からは、ようやく離婚の許可が出た。

 最終的に彼は、歩み寄る意志がなかったとみなされて破門となった。もちろん教会関連の仕事は続けられなくなり、小さな会社に転職したという。

 どうせ離教するのなら彼を教会に残してあげればよかったと、今ではそう思う。

 けれどそのときのわたしは、とてもそんな心境にはなれなかった。

 しょんぼりとうなだれた彼を前に、心の中で「ざまあみろ」と呟いた。「わたしをちゃんと愛そうとしなかった罰だ」と。



 そうして自分を取り巻く状況が変わり始めるとともに、行き詰っていた心も少しずつ動き始めた。


 その頃の日記。


 12月1日

 何もかもをリセットしたい。

 もう一度、育ち直したい。


 今度はちゃんと、自分で決める。

 自分の「生」の責任は、自分で負うのだ。


 生きている限り、何かを切り捨て、何かを選び取り、そしてその結果を自分で負わねばならないのだと思う。

 そういう、人間として最も基本的なことができないままのわたしだった。

 信仰以前に踏まえるべきことを、もう一度やり直したい。


 普通の暮らしがしたい。

 それが人並みにできるようになってから、もう一度信仰というものを考えたい。




 これを書いた数週間後、わたしは正式に離婚の手続きをした。

 それは、教会という枠を出て、自分で考え自分の足で歩き始める第一歩だった。




 何の実体もない結婚だったけれども、いざひとりになってみるとえもいわれぬ寂しさが襲ってきた。

 教会からも距離をおきつつある今、自分は本当にひとりなのだ、と思った。


 寂しい。

 一緒に歩いて行ける人が欲しい。

 ともに泣いて、笑って、色とりどりの人生を紡いで行けるような。

 辛いことも支え合って越えて行けるような。

 そんな人に出会いたい、そう思った。



 それからしばらくの間に、わたしはいくつもの恋をした。飛び越えてしまった季節を一気に取り戻そうとするかのように。

 もちろん自分がまだ完全に教会を捨て切れていないことも、教義に背くのを恐れていることもわかっていた。

 でもそれ以上に、与えられた答えをなぞって生きることに耐えられなくなっていた。



 最初のうちは、すがりつくような恋ばかり。

 ただでさえ不安定な心を持て余していたわたしは相手のことばに一喜一憂し、些細なことで舞い上がり、会えない時間に不安を募らせ身悶えした。が、そうして抑えきれないときめきや寂しさや嫉妬の感情に翻弄されながら気がついたのだ。

 自分はずっと、こういう生々しい感情を持てないまま生きてきた、と。



 今でも覚えている。自分の意志で心を閉ざしていくあの感覚。

 何にでも器用に傷ついてばかりだった思春期のわたしは、人と関わり合い生の感情と向き合うことを何より恐れていた。

 そして強く強く願ったのだ、傷つかない石になりたいと。


 それからはいつも、自分の周りに薄い膜が張られているような妙な感覚があった。すべてが「向こう側」にあるような。


 あのときひいた分厚いカーテンは、ずっとそのままわたしを守り、同時に疎外していたに違いない。

「幼い」と言われたのは、そこから時が止まっていたからだ。教会に入るよりもっとずっと前に、わたしの心は凍ってしまっていたのだ。


 そのカラクリが見えた時、石になって生きた十数年間を「もったいない」と思った。喜びを喜びとして、苦しみは苦しみとして味あわなくてはいけなかったのに、きちんと傷つくことさえしなかった長い時間。

 それはもう二度と、取り戻すことができない。



 その日、狂おしい後悔に胸を詰まらせながら強く思ったこと。


 もう、空っぽでいたくない。

 たとえ傷ついたとしても、ちゃんと自分の心で生きていきたい。


 その想いは、ともすればくるんと膝を抱え心を閉ざしてしまいそうになるわたしを、何度も思いとどまらせてくれた。

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