父のキモチ
この話には、介護に関するグロテスクな表現や自殺未遂の記述がありますのでご注意ください。
祖父の状態はどんどんひどくなっていった。
「まだご飯食べてない」
とせがまれるたび、何度も食事を用意した。
オムツは頑として拒否。が、粗相をしてそのまま歩き回るので、部屋は汚物まみれだ。来る日も来る日も、汚れた下着の洗濯と畳の目にまで入り込む汚物の掃除に追われた。
記憶もどんどん曖昧になり、「冬子、仕事にいかないのか」「医者は呼んだのか」と、辻褄の合わない言動が増えていく。
夜中も10分おきにトイレにつれていけと騒ぐので、叔父や伯母、兄までが交代で寝ずの番に来てくれるようになった。それでもみんながへとへとになっていく。
こんなことがいつまで続くのか。
先のことを考えると、暗澹たる気持ちになった。
でも、逃げ出すわけにはいかなかった。
精神科に通い始めて2週間経った頃、手元にある薬を一度に飲んだ。
なんだかひどく疲れてしまって、もうずっと眠っていたかった。
が、期待はあっさり裏切られ、翌朝もいつものように目覚め、そしていつもと同じ一日が始まった。
「薬、全部飲みました」
次の診察で言うと、先生はとくに驚きもせず、ああ、と微笑んだ。
「そういうことがあっても、大丈夫なようになってますから」
そうなんだ、と拍子抜けした。
11月13日
病院へ。
「客観的に見て、あなたが甥っ子たちを育てるのは無理だし、やる必要もないと思いますよ。そもそもおじいちゃんを看てるだけでもかなり負担なはずです。どうしてそこまでやらなければいけないと思ってしまうんでしょうね」
先生のことばに、目から鱗。
そうするのが当たり前、できない自分が根性無しなのだと思っていたけれど、そうではないのだろうか?
11月14日
この家には朝のんびり寝ているという習慣がない。子どものころからどんなに遅くとも6時半には起きていた。
だからか、朝起きられなかったり、昼間から横になっていると、とてつもない負債感が押し寄せてくる。
誰が何を言うわけでもないのに。
父が介護の手伝いに来てくれた兄に、
「車に乗っていると、ぶつかって死にたいとばかり考える」
と言うのを聞いて、ショック。
自分が責められているように聞こえて辛い。
11月15日
朝はやはり、なかなか動けない。
やっとのことで起き出すと、すでに父が玄関の雑巾がけをしていた。
「姉ちゃんとこで久しぶりに来るから、きれいにしておかないとな……」
そのことばに、えもいわれぬ感情が込み上げてくる。
「……わたしが起きてこないのが、そんなに不満なの?」
言いながら、堪え切れずに大声で泣き出してしまう。
父はひどく驚いた様子。
「当てつけてるんじゃないんだ、冬子が、可哀想だから……冬子に泣かれちゃあ……」
わたしは尚も続けた。
「どうせわたしなんて、姉ちゃんみたいに我慢強くないし、役立たずだし……こんなんじゃあしょうがないって思ってるんでしょ!」
もう止められなかった。
ずっと溜め込んできた想いを全部吐き出すかのように、なりふり構わず泣き喚く。
父は悲痛な表情のまま、何も答えない。
次の通院日にそのことを話すと、
「不器用な形かもしれませんが、お父さんに気持ちをぶつけられたのはよかったですね」
と言われた。
よかった? あれが?
感情を抑えられずに父を傷つけてしまったと自分を責めていたわたしにとって、それは意外なことばだった。
確かに、いつも父の沈黙を「非難」と感じていたわたしにとって、「冬子が可哀想だから」という父のことばは、まったく予想外のものだった。
幼いころから、家の中ではいつも黙って難しい顔をしていた父。
わたしはいつも、自分が父を不機嫌にさせているのだと思い込んできた。
――わたしは、父にとって不本意な子どもなのだ。
その信念は、長い時間をかけてわたしの心の隅々にまで深く染み込んでしまっていた。
が、もしそうでないとしたら?
そのとき初めて沸き起こったかすかな疑問は、がんじがらめにもつれた心を、ゆっくりと動かし始めていた。