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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
愛をください
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精神科へ

この話には希死念慮や過食についての記述がありますのでご注意ください。

 何もかもに行き詰まり、生きていることが苦しくてたまらなかった。

 けれども父にはどうしても言えず、仕事の話だと嘘をついてこっそりと隣町の大学病院に向かった。


 受付を済ませて問診票を書く間も、ずっとドキドキしていた。

 みんなもっと辛くてもがんばって生きているのに、このぐらい我慢できないなんて。きっと、「こんなことくらいで病院に来たんですか」と言われてしまうに違いない、と。



「小日向冬子さん、どうぞ」

 びくびくと緊張しながら診察室に入った。

 メガネをかけた若い医師は、穏やかな笑みをたたえている。

「どうしました?」


 どこから話していいのかわからなかった。が、その医師は「不安」「憂鬱」「意欲低下」「生きている意味がない」「死にたい」等々たくさんの丸がついた問診票を見ながら、巧みに心にあるものを引き出していってくれた。

 そうして誰にも語ることのできなかった心の内を吐露し終えると、彼は慈しむような表情でこう言った。

「それは、お辛かったでしょうね……」


 その途端に、熱いものが込み上げてきた。


 そうか、自分は辛かったんだ。

 辛いと言ってもよかったんだ。


 ガチガチに追い詰められていた心が、ようやく緩んだ瞬間だった。


 さらに医師は続けた。

「最近、新興宗教に入っていたという患者さん、すごく多いですよ」

 そのことばを聞いて初めてわたしは、思っていた以上に教会との関わりが自分の心に大きな影を落としているのだということを理解した。



 家に帰り、やっとのことで父に打ち明けた。

 毎週の通院にかかる時間や治療費のことを考えると、隠し通せるはずがないのは火を見るよりも明らかだったからだ。


「……あのね、今日、本当は仕事の話じゃなくて、せ、精神科に行ってきたの……」

 ぐっと胸が詰まって、それ以上ことばにならなかった。

 あとからあとから溢れる涙。


 ごめんなさい、こんな娘で。

 ごめんなさい、こんな根性無しの役立たずで。


 ただ肩を震わせ泣きじゃくるわたしを、父はいったいどんな想いで見つめていたのだろう。



 処方された薬を飲むと、糸が切れたように眠った。

 目が覚めると辛くて泣けてくる。死にたい、死にたい、そればかりを思う。

 何も口にすることができず、かと思うと突然過食が始まり、食べては吐き、消えたくなる。

 そんな状態ではあったが、なんとか家事だけはやり続けた。やらなければ、自分の存在意義がなくなる気がしたのだ。




その後しばらくの状態については、当時の日記を抜粋してみたいと思う。


 10月25日

 だるい。動機、息切れ、離人感。

 自分の中の信仰という秩序を失うのが怖いのかもしれない。

 何に従って生きたらいいのか。

 精神的治療のレベルで留まってしまうほうが、自分にとっては楽なのだ。それ以上を要求しようとすれば、何らかの反応が強く出るだろう。

 先生に対して、人間的にはいい医師と思うが、信仰に対して否定的であるという点で悪魔かと思う。

 そういう教会的な発想と、それが不毛な拘束だという想いとが闘っている。

 楽になりたい。教えの頭をすっかり失くしてしまいたい。

 しかしそれは取り返しのつかないことではないかという恐怖。

 結婚しなければ意味のないこの道。

 しかし、それが自分は嫌になっている。

 信仰を持って考えられない。

 自由になりたい。


 教えの枠を取り外したら、自我が拡散し形をなさなくなってしまう気がして恐ろしい。

 そういう所から、誰がわたしを育て直してくれるのか。

 誰もいないのだ。


 赤子に戻りたい。

 子どもでいることを許してくれる人に、わたしは惹かれてしまうのだ。

 わたしは未だに一個の対等な人間になりたくないのだ。



 10月28日

 母の夢。母に会いたい、守られていたいという想いで、目覚めた後、泣く。

 夜過食、吐く。



 10月29日

 ふと空しくなる。何のためにいきているのかな、と思う。

 力が出ない。ただ、やるべきことをやっている。

 わたしは何故生きているのだろう。

 早く彼と別れたい。

 好きに暮らしたい。

 けれどそれも楽しいものではないと知っている。

 神様。

 夕方過食、吐く。



 10月30日

 担当医がいないので病院はパス。

 たった2回行っただけなのに、すでに病院を心のよりどころにしている自分に気付く。

 救って欲しいと思ってる。何から? 何の呪縛から?

 赤子に返りたい。もう何もかも忘れて、何の責任もない存在になりたい、と思う。

 睡眠薬が欲しい。たくさん飲んで、たくさんたくさん眠りたいのだ。

 死にたいとは思わない、ただ眠りたい。

 こんな自分がまともに生きて行ける日が来るのだろうか。

 何もしたくない、自分の好きなことだけやっていたい。

 けれどそうしても幸せにはならない。

 食事の支度がもう面倒で仕方ない。力がわかない。

 いやだ。だるい。

 ずっと眠っているにはどうしたらいいの?


 11月2日

 昼、夕食後、夜中と、3回過食、吐く。

 我ながら異常。エスカレートしていく気がする。

 意欲減退、すべてから逃げたい、闘う気力がない、泥沼。

 疲れたよ。どうでもいいと思ってしまう。



 11月3日

 朝、夕と2回過食、吐く。

 何やってんのか……

 姉の家族来る。

 お父さん喜ぶ。

 話も行動も、その時は普通にできる。

 けれどわたしの中心はすっぽ抜けて、いつも死にたがっている。

 枠組みだけができて、中身は何もない。

 何の生きる意味も見いだせない。

 病院に救いはあるか?

 教会に救いはあるか?

 どうしてわたしはこうなってしまうのだろう、普通の人のように生きていくことができないのだろう。

 神様がいなくなったら、わたしには生きる意味が見えない。

 夜、泣けて泣けて、何が悲しいのか。

 チャトランが慰めてくれた。



 ※チャトランというのは、当時飼っていた茶色のトラ柄のオス猫だ。

 この夜チャトランは、ベッドに座りポロポロと泣き続けるわたしをじっと見つめていたかと思うと、流れる涙をペロペロとなめてくれた。

 まるでわたしの苦しみを知っているかのように。

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