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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
愛をください
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見えない未来

 教会での面接を受けたわたしは、3年間ひとりで頑張ってみようと思い直した。

 その間、父と祖父の世話をしながら働いて、少しずつでも献金をし悔い改めの祈りを捧げながら信仰を深めていこう。彼とのことがどうなるかは、天に任せよう、と。


 けれどそう考えたのは、洗脳されたわたしの頭。

 心はとっくに悲鳴をあげていた。

 もういやだ。もうたくさんだ。


 その声を聞き入れることができなかったのは、教えられてきたからだ。人のために、国のために、世界のために、神のために、より大きなもののために自分を犠牲にするのが善なることだと。自分の気持ちを優先するのは悪なのだ、と。


 よくよく考えてみれば、この家も同じだった。

 長男だった父は家を継ぐために高校進学をあきらめ、家族のために朝から晩まで汗にまみれて野良仕事を続けた。何の趣味も持たず、楽しみもないままに。

 が、自分自身を一切顧みない父の生き様からわたしが感じ取ったのは、愛ではなくて「自分を犠牲にしろ」というメッセージだった。

 だからこそわたしは、自分を捨てろという教会の教えを簡単に否定することができなかったのだと思う。


 けれど実際には、わたしの信仰生活はもう限界に来ていた。

 神の愛もわからないままで、最後の希望と思えた結婚もうまくいかず、何ひとつ教えの通りにはいかない現実。


 そうして長年信じていた価値観が自分の中で崩壊しかかっていることに、何よりわたしは混乱していたのかもしれない。



 別居していた兄たちは、再び実家に戻ってこようとしていた。長男であるからには家に入るのが当たり前だと、周囲も本人も思っていた。が、兄嫁は心を病んでいて、長年精神科に通い続けている。これまでも、ほとんど兄が育児を引き受けてきたという。

 事情を知ったわたしは、自分が甥っ子たちの面倒を見なければならない、と思った。誰がそう言ったわけでもない、ただそうしなければならないと思い込んだ。


 さらに、秋口に体調を崩した祖父に、おかしな言動が目立ち始めた。

「まだお昼食わせてもらってない」と言っては何度も食事を要求し、トイレの場所がわからなくなり、「うちに帰る」と裸足でどこかに行こうとする。次第に目が離せなくなり、わたしはパートを辞めざるを得なくなった。


 母を失った心細さと、長年よりどころにしていた価値観が崩壊していく恐怖、先の見えない不安。

 それに加えて祖父の介護と父の世話、甥っ子たちの育児。さらに家事も畑も親戚づきあいも何もかも、自分がどうにかしなければと一途に思いつめた。

 が、そもそもが精神的に不安定な人間なのだ、そのすべてを抱えきれるはずもない。



 夜になり、家事や介護を終えて部屋に戻った途端、涙が激しく込み上げてくる。

 もう無理だ。

 でも、そんなことはとても言えなかった。

 苦しくて虚しくて、毎晩ひとり泣き続けた。


 その頃からわたしは、たびたび過食嘔吐をするようになった。

 甘いパンやチョコレート、手巻きずしに缶コーヒー。コンビニで目についたものを手当たり次第に買い込んだ。

 何かを口にしている間だけは、すべてを忘れていられた。

 が、食べ終わった瞬間に押し寄せる虚無感と、また欲望に負けてしまったという罪悪感。どうして自分はこんなにも意志の弱い人間なのか。なぜこんなになってまで生きているのかと、自分を責めた。


 朝になり目が覚めた瞬間に、まだ生きていることが辛くて泣けてきた。

 体にも心にも重い鉛をつけたまま、果てしなく続く砂漠を歩いているような気がした。


 自分という意識を消してしまいたい。

 ずっと眠っていたい。


 それでも辛いとは言えず、這いずるように家事をこなし、祖父の面倒を看た。

 こんなことくらいで弱音を吐くのは、ただの甘えだと思えた。

 それに、言ったところで誰にもどうすることもできない。



 そうして誰にも助けを求めることができないままに、わたしの心はゆっくりと壊れていった。

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