マインドコントロール
母を失った家の中は、しん、と静かだった。
その冬はとみに寒さが厳しく、雨水の溜まった桶には氷が張り、霜柱を踏みながら庭に干したタオルはあっという間に固く凍った。あかぎれだらけの冷え切った手に何度も息を吹きかけながら、遠い春を思う。
わたしはかつて母がしていたのと同じように、毎朝炊きたてのご飯を仏壇に供え、雑巾がけや洗濯や食事の支度をした。祖父はときどき粗相して下着を汚すようになり、その始末もしなければならなかった。
「これで冬子も、家を出れなくなっちゃったな……」
泣きそうな顔で、父がぽつりと呟く。
夕飯の後片付けを終え風呂に入り自分の部屋に戻ると、知らず涙が溢れてくる。
自分を守っていてくれたものが、ふっと消えてしまった心許なさ。
わかってないと反発し、口うるさいと腹を立て、あれやこれやと文句を言いながら、それでも母を頼りにし甘えていた自分だったと、今さらながらに思い知らされる。
彼は、母の葬儀に顔を見せなかった。
形だけとはいえ夫なのだからと何度も電話で頼んでみたが、最後まで「自分が行っても居場所がないから」の一点張りだった。
教会には反対しながらも彼のことだけは受け入れてくれた母の想いが、ぞんざいに踏みにじられたような気がした。その苦さは胸の奥にいつまでも黒いシミとなって残り、時が経つにつれてじわじわと大きく広がっていった。
母の死から4カ月が経ったころ、わたしはなんとか離婚を認めてもらおうと教会に出かけていった。こんな気持ちのままでいるのは、もう限界だった。
が、面接で詳しい事情を聞かれるうちに、わたしは別の男性と付き合っていたことを告白せざるを得なくなった。たとえ彼と別れることができたとしても、そのまま何もなかったように信仰生活を送り続けることなどできない、と思ったのだ。
案の定、それまで同情的だった面接官がさっと顔色を変えた。
「そうなると、話は全然違ってくるよ。まずはあなた自身がその罪を心から悔い改めるところからだ」
さっきまでとは違う厳しく固い口調に、思わず体が強張った。
結局離婚については保留となり、わたしは当分実家で悔い改めのための期間を送ることになった。
その日に記した日記が手元に残っていたので、抜粋してみたいと思う。
4月26日
面接に行き、逆に自分の負債と幼さを思い知らされた。
この状態で神が働くわけがない。天に宝を積むということを、私は完全に忘れていた。この世的になっていたのだ。
辛い道である。こんなにも辛いとは思わなかった。夜、あまりの辛さに嗚咽して泣いた。しかし、自分のための涙。こんなにも弱い自分がどうしてこの道を行けるのかと、不安で苦しくてたまらない。神様が自分を愛しているとわかるだけに、苦しみを越えられない自分が情けなく、すみません、私は行けませんと祈るほかなかった。
教えでの厳密な戦いを思うと、気が狂いそうになる。だから逃げ道を探したけれど、神の愛を踏みにじり、今までの犠牲のすべてを無駄にし、すべてを失うことを思う時、どうしても離教に踏み切れなかった。
力がどんどん抜けて、その時、寮母のことばを思い出した。
「冬子ちゃんは、やる前から結果を考え過ぎる」
やってみもせずに先のことばかり考えるので、不安ばかりがつのり動けなくなるのだ。自分に愛想を尽かすのはもっと先でいい。やってみて、それでもダメだったら、その時落ちるところまで落ちたらいい。それからだって遅くないのだ。
今私にできることは、悔い改めに至るための祈りをこつこつ積み続けることだ。それしかないではないか。それさえも全うできないのだったら、その時すべてを放棄することを考えたらいい。それは今でなくていい。
この日記を読み返してみて、わたしが長いこと教会を離れられなかった理由のひとつを思い出した。
それは、自分がこの教会に導かれてくるために、たくさんの先祖たちが苦労して条件を積んできていると教えられていたからだ。もし離教するとしたらそれは自分だけの問題でない。何千年かけて先祖たちがしてきたことのすべてが無駄になり、また一からやり直すことになってしまう、と。
先祖や家族、親兄弟の救いがすべて自分の肩にかかっている。自分はそういう大きな使命を担ってここにいるのだ。だからもし信仰を失えば、自分が地獄に行くだけでなく先祖も地獄に落ちることになる。
もちろん結婚に関しても同じだ。自分からそれを破棄することは、自分だけでなく先祖や家族の救いの道をも断ち切ることになる。
そう叩きこまれてきた信者は、辛い信仰を捨てようとするたび、愛のない結婚から逃れたいと思うたびに、どうしようもない恐怖と罪悪感にかられて踏みとどまってしまう。
日記の中でわたしは「神様が自分を愛しているとわかる」なんて書いているけれども、今ならよくわかる、そんなのは嘘だ。萎える気持ちを無理やり鼓舞し、信仰的な発想を本心だと思い込もうと自分を騙して無理を重ねてきたのだ。
そんな風に生きるうち、わたしはありのままの自分の気持ちをすっかり見失っていたのだと思う。
そう、もしかしたらこれこそが、マインドコントロールというものだったのかもしれない。