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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
トンネルの先に待っていたもの
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逃亡

 3か月の伝道を終えて寮に戻ってきたとき、わたしの中に残っていたのは、深い挫折感だけだった。


 何をする気にもならなかった。

 祈りも伝道も奉仕活動も、ただ苦痛なだけ。

 それでも逃げ出さなかったのは、他に居場所がなかったからだ。


 大学では留年が確定し、クラスからは完全に浮いていた。

 親にはすでに信仰を明かし、猛反対されていた。


 わたしは一般社会での足場を、すっかり失っていた。



 そんなわたしに次に与えられた活動が、選挙の手伝いだった。教会に賛同的な候補者を、総力を挙げて応援するのだ。


 指定されたのは、新幹線で2時間ほどかかる場所。初めての土地で、信者ではない一般人に混ざって活動しなければならない。


 教会に入ってからは、化粧もおしゃれもしてこなかった。恋愛は一切禁止。男性との交流は、活動に関することだけ。異性の気を引くような身なりやそぶりは徹底的に否定された。とにかく、恋愛につながりそうな要素は一切認めらない。この世にいながら、まるで出家しているかのような潔癖さを求められてきた。

 なのにいきなり、世間の人から浮かないようにきちんと化粧をし服装にも気を使い、ときには男性に媚びるような振る舞いもしろと言う。

 最悪だったのが、選挙カーのウグイス嬢を任されたことだ。そもそも人と接するのが苦手な人間に、上手くこなせるわけがない。

 慣れない化粧にひきつった笑顔、トンチンカンな受け答え、半端ない場違い感。おまけに、男性にきわどいジョークをふられても、お尻を触られたとしても、笑って受け流さなければならないのだ。


 選挙では、同じ候補者のもとに集まった数十人の信者が、いくつかの班に分かれて活動する。何をやらせても不器用なわたしはすぐに、ウグイス嬢の班長にやることなすこと否定されるようになっていった。

「声が小さい」「気が利かない」「笑顔がない」「尽くす心が足りない」「感謝していたらそんな風にはしないはず」等々。

 信仰的な振る舞いと社会でのマナーとがごちゃまぜになった叱責。どちらも身についていないわたしには、何を言われているのかさえわからない。とりあえず「はい」とは答えるものの、結局同じことを何度も怒られる羽目になる。

 厳しい叱責が繰り返され、わたしは日に日に委縮していった。今度は何を言われるのかといつもびくびくしているから、肝心なところでまたミスをする。

 次第に頭がぼんやりして、何も考えられなくなっていった。やがて班長の顔を見るだけで、頭が真っ白になった。


 どうしていいかわからない。

 もう、ここから逃げ出したい。


 そんな気持ちを抑え込みながらやっとの思いで一日を終えても、眠って起きればまた朝が来る。それが怖くてたまらなかった。



 そんな毎日にとうとう耐えきれなくなったわたしは、ある日、台所に置いてあった食事当番用の財布からお金を盗み、夜が明ける前にこっそり教会を抜けだした。

 とんでもないことをしてる自覚はあった。でも、もうどうしても我慢できなかった。


 体中が心臓になったみたいに早鐘を打ち続ける。それを振り切るように急いでターミナル駅に向かい、朝一番の高速バスに乗った。

 こんなときでも、どうしても家に帰ろうとは思えず、結局は寮に戻るしかなかった。

 自分には本当に帰る場所がない、そのことがひどく悲しかった。



 寮に戻り、普段は使っていない部屋にこっそり隠れていると、連絡が入ったのだろう、寮母がわたしを探しに来た。わたしは隙を見て、教会の活動用に借りている別のマンションの鍵をこっそり持ち出し、そこに逃げ込んだ。

 それに気付いた信者たちが押しかけて、わたしの名を呼びながらドアを激しく叩く。

「小日向さん」

「冬子ちゃん、開けて!」

 が、わたしは決してそこを開けなかった。

 いつまでもそうしていられるはずなどないと、わかってはいた。

 けれど、どうしても出ていくことができなかったのだ。



 デッドエンド。


 教会でもこの世でも、生きていくことができない役立たず。

 何の希望もない。

 もう何も考えたくない、何も感じたくない。


 死にたい。



 そもそも20歳で死ぬつもりだった。

 けれど教会に入り、自殺は罪だ、地獄に落ちると教えられた。死んでも無になるわけではない、逃れようとした苦しみがずっと続くことになるのだと。


 この苦しさが、孤独が、未来永劫続くと思うと、怖くて死ぬことなどできなくなった。


 もう楽になりたい。

 死にたい。

 でも、死んだら楽になれない。


 ぐるぐる、ぐるぐると同じことを考え続けた。

 いくら考えても袋小路、考え疲れ、何もかも忘れたくて、ひたすら眠った。


 このまま、目が覚めなければいいのに。


 でも、ずっと眠り続けられるわけがない。

 目覚めて、まだ生きていることに絶望して、わけのわからないことを泣き叫びながら、当たりのものを滅茶苦茶に壁に投げつけた。


 わたしの人生もう終わってるのに、どうしてこんなになってまで生きているんだろう。


 毎日そんなことばかり考えながら、わたしは1か月以上もその部屋に閉じこもって過ごした。



 その間、盗んだお金の残りで食料を買いに出た記憶はうっすらと残っている。が、風呂も着替えもどうしていたのか、そしてそこからどうやって出てきたのかは、もうよく覚えていない。


 覚えているのは、それでも教会から離れられなかったこと、そして、それ以来明らかに「問題児」「要注意人物」の扱いになったこと、だ。

 ノルマも与えられなくなった。長い休みも訪問販売でなく、研修会の食事当番に回された。誕生日の色紙にも、「あなたは離教しないでいるだけで徳を積んでいるのです」と優しいことばが書かれるようになった。


 そんな惨めな信仰生活が、大学卒業まで続いた。

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