カインの末裔
今回は少々長めです。
子どものころから、優等生として生きてきた。
人付き合いが苦手でも、頑固で暗い性格でも、成績さえよければ最低限のプライドだけは保っていられた。
なのに教会に入ってみると、いくらがんばっても神の愛など理解できず、伝道でも献金でも思うように実績をあげられない落ちこぼれ。
一方、同期のアカネは、いつも笑顔を絶やさない愛されキャラだった。思いやりがあって辛抱強く、おまけに何をやらせてもそれなりの実績を叩きだしていく。
彼女といると、自分が惨めで仕方なかった。
旧約聖書に、カインとアベルの兄弟の話がのっている。
2人はそれぞれ心をこめて神に供え物をするのだが、神は弟のアベルの物だけを受け取り、なぜかカインの供えたものには見向きもしないのだ。そのことに腹を立てたカインは、アベルを殺してしまう。
その物語を教会流に解釈すると、カインには「妬み」の感情を乗り越える使命があったらしい。
神に愛されるアカネ。
顧みられないわたし。
理屈はそうでも、湧き出る感情をどう扱っていいかわからない。
どうしてアカネだけが愛されるのだろう。
いつもどこかでそんな思いと闘っていた。
そんなとき、ある大学での伝道活動に駆り出されることになった。期間は3か月。行けば、留年は免れない。
が、うだつの上がらない自分を変えるには絶好の機会に思えた。
当時その大学では、左翼団体がまだ力を持っていた。彼らは教会に反対する立場を明確にしており、わたしたちが何かをするたび追いかけ回し、妨害してくるのだった。
「君たちには大きな使命がある。迫害されても、神のために命がけで伝道をするのだ」
朝に晩に教会長は、力を込めて檄を飛ばす。
迫害。命がけ。犠牲。
そのシチュエーションに酔いしれて、信者たちの間には一種独特の空気が作り上げられていった。わたしも必死に自分の気持ちを煽り立て、出ない涙を絞り出すようにして祈りを捧げ、伝道に向かった。
ある日、いつものようにキャンパスで学生に声をかけていると、坊主頭に下駄という変わった風貌の新入生がわたしの話に興味を持ってくれた。
手ごたえありだ。
が、そこに突然1人の左翼学生が乱入してきた。
「知ってるのか? こいつらはな、カルト宗教の団体なんだぞ。騙されるな」
万事休す。
けれどもその新入生は怯むどころか、男に向き直りこう尋ねたのだ。
「そんなこと別に構いませんよ。ところであなたのほうは、一体どういう社会を目指して活動しているんですか」
男は面食らい、しどろもどろの返事しかできない。新入生は、
「もういい、話にならない。僕はこの人の話を聞きます」
と言って、寮にまで来てくれた。
彼は、自分は団体にこそ所属してはいないけれど、天皇を崇拝していると言った。
が、彼の話を聞けば聞くほどに、天皇か神かの違いはあれど、教会の教えとたくさんの共通点があるように思えた。
胸が躍った。
落ちこぼれの自分が、こんな意識の高い人を伝道できるなんて。
わたしは彼のために必死に祈りを捧げ、水行をした。
ところが、当時の睡眠時間は毎日3、4時間、当然体は疲れ切っている。祈っている最中に、どうしても眠ってしまうのだ。
眠りは「魔」だと教えられていた。睡魔に打ち勝たなければ、彼は「魔」に奪われていくと。彼の背後では、神と悪魔が闘っていて、悪魔に奪われると言うことは霊的な死を意味するのだと。
彼が本当に死んでしまうと思ったら、眠ったりできないはずだ。
そう自分を奮い立たせて必死に祈ろうとしたが、やはりどうしても起きていられない。
そんなことが何度となく繰り返された。
このまま自身の限界を超えられなければ、彼はきっと奪われてしまう――見えない何かに追い立てられるように、わたしは3日間の断食を決意した。
断食中は、自分が食べられなくても感謝して食事を作るのが尊い行いだとされていた。わたしもそれにならって信者たちのために食事を作り続け、3日目の深夜12時、断食終了の祈りを捧げた。
断食明けの食事は慎重にしなければならない。胃に負担のないもので徐々に馴らしていくのだ。わたしは、用意された少量の重湯とリンゴジュースだけを口にして食事を終えた。
食器を片付け終わると、深夜の台所には誰もいなくなっていた。
その日の夕飯はチキンカツだった。作りすぎだったのか、ラップのかかった皿にはまだたくさん残っている。
それを見ていると急に、猛烈な食欲が襲ってきた。
サクッとしたきつね色の衣、やわらかくて弾力のある鶏肉にほとばしる肉汁。頭の中いっぱいに、チキンカツの食感が広がる。
――食べたい。どうしても、これが食べたい。
その衝動に、必死に抗う声。
――ダメだ。ここで負けたら、本当に彼は魔に奪われる。
けれど一度走り始めた欲望は、いくら抑えようとしても静まってはくれなかった。
――今ならだれも見ていないじゃないか。そもそも断食明けにこういうものを食べてはいけないと、誰が決めたんだ? 別にかまわないじゃないか。
抑えられない衝動に言い訳を与えながら、何かに憑かれたように手が伸びていく。
――ダメだ、食べてはいけないっ。
けれどその声は、成す術もなく流れに押し出されていく。
磁力に絡め取られたように引き寄せられるまま、わたしはとうとうきつね色の一片を手に取り、ゆっくりと口に運んだ。
――ああ、もうおしまいだ。
堕ちていく痺れた感覚の中でわたしは、次々と冷えたチキンカツを油まみれの唇に放り込んでいった。
ほどなく、右翼の彼に、教祖の存在が明かされた。
天皇を崇拝する者にとって、天皇以外の人間を崇めろという内容は、とても受け入れ難いものだったに違いない。
彼は怒りのあまりそばにいた信者を殴り、教会を出ていったという。そして、二度と戻っては来なかった。
そのことを知ったとき、すぐに思った。
「自分のせいだ」
わたしがあのとき、信仰を貫けなかったから。
わたしが、自分に負けたから。
わたしが、食欲さえ我慢できないようなダメな人間だから。
どうしようもない敗北感が、体に、心に、まとわりついて離れなかった。穴のあいた風船のように、体中からどんどん力が抜けていく。
今思えば、そもそも無理があったのだ。わたしは本当には、神を信じても感じてもいなかった。
信じていないもののために、頑張れるはずなどない。
けれど教会の発想にどっぷり浸かっていたそのときは、とてもそんな風には思えず、ただ闇雲に自分を卑下し続けた。
そのことを境に、わたしの中で何かが壊れていった。
もうどうでもいい、どうせ自分には越えられない。そんな投げやりな気持ちが、ひたひたと心を支配していく。
そんな状態に追い打ちをかけるように、入れ違いにその大学に行ったアカネは見事伝道に成功し、3か月後、皆の賞賛を浴びながら戻ってきた。
神に愛されるアカネ。
顧みられないわたし。
どうせ自分は、ダメなんだ。
どうせ自分は、愛されないんだ。
子どものころから感じ続けていたその思いは、こうしてさらに上書きされ、後の信仰生活をますます苦しいものにしていった。