訪問販売
大学が休みに入ると、学生信者は普段と違う活動に駆り出される。多くの信者たちは、献金のために朝から晩まで訪問販売をさせられた。
各大学から集められた信者は6、7人ずつに分けられ、班ごとにワンボックスカーで生活をした。寝返りも打てないほどぎっしりの車内で夜を明かすので、体中が痛くてたまらない。疲れが取れないまま這うように車を降りると、まだ薄暗い公園で顔を洗い、歯を磨いた。
車を走らせながらコンビニのおにぎりやパンの朝食を詰め込み、朝7時ごろには1人ずつ離れた場所に落とされていく。そのときに渡される地図が、その日の任地だ。
売り物は、絵だったり日用雑貨だったり食品だったりした。新入社員の研修を装い、重いカバンを肩から提げて、一軒一軒飛び込みでトークするのだ。
どんなに非常識な時間でも、たとえ相手が寝ていたとしても、訪問しなければならなかった。実際、怒鳴られたり、話も聞いてもらえないことがほとんどだったが、それでも足を止めることなく、ひたすら次の家に向かった。
どんな逆境も甘んじて受け入れれば、神が働き実績が出るはずだ、だからひどい仕打ちを受けるほど感謝しろ、すべては「信仰で」乗り越えろ。それが教会の教えだった。
ひとつも売れない日もざらにあった。それでも休むことは許されない。1時間ごとに実績報告の電話を入れると、ときに励まされ、ときに信仰が足りないと厳しく詰め寄られた。
唯一の楽しみが、昼食代として渡される500円だ。普段の教会生活では、自由にお金を使えることなど皆無に等しい。
公園のベンチや神社の境内や、時には田んぼのあぜ道に座り込み、夢にまで見たドーナツやお菓子を夢中で頬張った。
夕飯は、運転手の信者がカセットコンロを使って用意してくれた。食事が済むと、再び今度は夜の街へ向かう。スナックやバーを回るのだ。ドアを開けるなりママさんに「しっしっ」と追い払われることも多かった。それでもノルマが達成できなければ、それが深夜まで続いた。
くたくたになって車に戻ると、また公園で顔を洗い、歯を磨く。風呂に入れるのは週に2回程度、それ以外はウエットティッシュで体を拭くだけだ。
そんな生活を、来る日も来る日も続けた。夏はアスファルトから立ち上る熱気を全身に浴びながら、冬は寒風吹きすさぶ中を、ひたすらに走る。
神様を、教祖様を思って乗り越えなさい。
そう言われてみても、わたしの中のそれはあまりに観念的で、いくら頭で考えてみても、何の力も出てこなかった。
ただひたすらに、早く終われと願いながら過ごす、苦しい時間。
今でもふと思い出す。
とっぷりと日が暮れたあとの、窓から漏れる家々の明かり。包丁の音、カレーの匂い。硝子越しにぼんやり見えるテレビの画面、賑やかな家族の話声、温かな空気。
ごくごく当たり前の、普通の暮らし。
それを外から見ているだけの自分。
どうしてわたしは、こんなところにいるのだろう。
どうしてあの平凡な光景に、手が届かないのだろう。
世界の外側に追いやられてしまったような寂寥感に、胸が潰されそうだった。
残念ながら、いや今思うと幸いなことなのか、わたしは心身ともにその生活についていけなかった。いくら祈り、教えを繰り返し唱えてみても、ふっ切ることなどできないままで、最後は原因不明の鼻血が止まらなくなり、途中でリタイアすることを許された。
正直、ホッとした。
が、一方でずば抜けた実績を上げる者もいて、彼らは「信仰者」だと褒め称えられた。そして誇らしげに語るのだった、「自分は神を感じた」と。
彼らこそ、教会内のエリートだった。