愛するということ
神の教えと愛を全人類に伝え、この地上に天国を作る。
教会が掲げるそんな目的のために、欠かせないのが伝道活動だ。
最初から宗教と明かせば、当然のように警戒される。そのためまずはサークルの勧誘を装って、昼はキャンパスで声をかけ、夜は8時9時まで学生がいそうなアパートを訪問した。そうやって寮やサークルの部屋に遊びに来させ、入会させるのだ。
毎日ノルマが与えられ、達成できなければ「信仰が足りないからだ」と叱責される。そもそもが口下手なわたしは、何を話したらいいかわからず、声をかけるだけで精一杯だ。
徹底的に指導されたのは、「とにかく人の話を聞くこと」と「相手を褒めること」だ。
なるほど、そう言われれば自分が通っていた時も、森田も他の寮生たちも、何かと人を持ち上げるような物言いをした。「ウソ臭い」と醒めた目で見てはいたが、まんざらでもない気持ちがあったのも確かだ。
学生が連れてこられると話に加わり、ガチガチに緊張しながら、ひきつった笑顔で相手の話を聞き続けた。体は強張り、視線をどこにやっていいかもわからない。
苦しかった。
それでも必死で頷き、相槌を打った。話し終わるといつもへとへとだった。
が、不器用ながらもひたむきに接するうちに、打ち解けてくれる学生もいた。そういう経験が、長いこと人とどう接していいかわからなかったわたしにとって、かすかな自信につながっていったのも確かである。
皮肉なことだが、そもそも人とのコミュニケーションの仕方がわからなかった自分は、そこで強制的に訓練されなかったら、まともに人と会話を交わすことなどできないままだったかもしれない、とも思う。
伝道に際して教えられたのは、親のような気持ちで愛することができれば、相手はおのずと引き寄せられてくるということだった。そういう心境に至るために、ひたすら祈り、尽くすのだ。
早朝から深夜まで、祈祷室にはいつも誰かの涙ながらの祈りの声が響いていた。水行や断食も頻繁に行われた。真冬であっても毎日40杯の水をかぶり、断食をしながら活動する。最高で1週間、水だけで過ごしたことがある。不思議なもので、何も食べていないのにある時点から体がとても軽くなり、普通以上に動き回ることができた。信者はそれを神の力だと言った。
家族や友人も伝道するように言われた。実家に帰省するのも、友人と会うのも、神の愛を伝えるためだと。
それでわたしは、あれほど嫌っていた母にせっせと手紙を書くようになった。孝行娘なら何を書くのだろうと精一杯想像しながら、いつも感謝していますと、歯の浮くような言葉を並べたてた。そうやって何度も手紙をしたためているうちに、それが自分の本心のような気さえしてくるのだった。
母は「冬子もようやく親の気持ちがわかるようになった」とことのほか喜び、それらの手紙を大事にとっていた。母の死後、それらの束を見た時には、さすがに胸が詰まる思いがした。
が、最後までわたしは、ほとんど伝道に成功することはなかった。
今ならよくわかる。そうやっていくら尽くしてみても、体を打ったとしても、それで愛情が湧いてくるわけではないのだ。
結局は心から誰かを愛しいと思えることなどないままに、ただ敗北感に打ちひしがれていく日々が続いていった。