自傷
この話には、リストカット、その他の自傷行為の描写がありますので、ご注意ください。
やがてわたしは中三になり、未来に何の希望も見いだせないまま、高校受験が近付いてきた。
コンスタントに一定の成績をとり続けていたおかげで、そのころになると、「勉強したいから」と言いさえすれば、家の手伝いをしなくても、夜更かしをしていても、たいていのことは許されるようになっていた。
もちろん勉強なんて、ただの方便だ。
実際は、優等生の仮面に容易くだまされる大人たちを嘲笑うかのように、夜中にこっそり自傷行為に耽っていたのだ。
「リスカ」という呼び方も、まだない頃のことだった。
家族がすっかり寝静まった静寂の中、見えない何かに突き動かされるように、隠し持っていたカミソリを、こっそり手首に押し当てた。
何度も痛みを重ねるうちに、傷は少しずつ深くなっていく。
やがて皮膚が裂け、赤い血が流れる。
癒されるような、解き放たれるような、不思議な感覚。
腕を伝ってゆっくり流れていく血を、ぼんやりと見ている間だけは、夢見るように苦しみを忘れていられた。
一度その味を覚えてからは、寂しさや怒りを感じるたびに、知らずカミソリに手が伸びた。胸に渦巻くはちきれそうな負の感情を、他にどう扱ったらいいのかわからなかったのだ。
そのくせどこかひどく冷静で、誰にもばれることのないように、切る場所や深さに細心の注意を払ってもいた。
本当は睡眠薬も手に入れたかったが、当時の田舎の中学生には、その術が見つからなかった。
それで代わりに、家にあった鎮痛剤を大量に飲んだ。
ネットも普及していない時代。
それがどれくらい危険な行為なのかは、確かめようがなかった。が、運がよければ、恐怖を感じることもなく逝けるかもしれない。そんなかすかな期待を抱いて、水と一緒に白い錠剤を必死で飲み込んだ。
しばらくすると、地べたに叩きつけられるような、ひどいめまいが襲ってきた。奈落の底に引きずり込まれそうな、耐えがたい感覚。
ひとり布団の上で、一晩中もがき苦しんだ。
翌朝の気分は最悪で、体はふらつき、出るのは冷や汗と生あくびばかり。
たぶん、ひどい顔色をしていたと思う。
それでも、母にだけは決して弱みを見せたくなくて、必死にいつも通りに振舞った。
「食欲ないから朝ご飯はいらない」
と言うと、母は、
「そうか」
と言っただけ。それ以上追及されることも、鎮痛剤が一箱丸々なくなっているのに気付かれることもなかった。
タバコを食べると死ぬらしいと聞けば、それも試した。
このときは、一晩中トイレで吐き続けた。
けれどやはり死ねないままに朝を迎え、悪寒に震える体で学校に向かった。
何度となくそんなことを繰り返しながらも、わたしは学校を休まなかった。
決して学校が好きなわけではなかったが、それでも家にいるよりは、遥かにましだと思えた。
それに万が一、わたしがやっていることを母に気づかれたら、何を言われるかわからない。
心の中の、一番柔らかで傷つきやすい大切な部分。
母はいつだって、それを土足で無神経に踏みにじっていく。
だからわたしは、固く決意していた。
親に知られるときは、本当に死ぬ時だけだ、と。
登校しても机に突っ伏して動けずにいるわたしに、夜中まで勉強して寝不足なのだと思い込んだ担任はいつも、「そんなに根を詰めるな」と、的外れのいたわりの言葉をかけてきた。
親も教師もクラスメートも、おそらくそう信じ込んでいたはずだ。
それでいい、みんな、そう思っていればいい。
が、そんな中でただひとり、マリコだけは、わたしがそうやって自分を虐め続けていることを、感じとってくれていた。「助けて」と声に出すことがどうしてもできなかったわたしの、歪んで掠れたSOSは、彼女だけには届いていたのだ。
わたしが保健室に連れて行かれるたびに、彼女は隣のクラスからわざわざ様子を見に来てくれた。
「どうした?」
心配そうに覗き込むマリコ。
いつも軽口ばかり叩いている彼女が、この時ばかりは真剣で、ひどく胸を痛めてくれているのがしんしんと伝わってくる。
そんな彼女の前でだけは、素のままの弱い自分が、ポロリと顔を出した。
「……タバコ、食べたけど、死ななくてさ」
精一杯、何でもないことのようにつぶやいてみる。
わたしが自分を傷つけていることを知ると、マリコはいつも、怒ったような泣いているような顔で、わたしのおでこをコツンと叩いた。
「馬鹿」
そんなときの彼女の声は、とても温かくて。
わたしはようやく、どうしようもないくらい寂しかった自分に気づくのだった。
もしかしたら、その一瞬のためだけに、わたしは自分を虐め続けていたのかもしれない。