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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
思春期のトンネルへ
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自傷

この話には、リストカット、その他の自傷行為の描写がありますので、ご注意ください。

 やがてわたしは中三になり、未来に何の希望も見いだせないまま、高校受験が近付いてきた。


 コンスタントに一定の成績をとり続けていたおかげで、そのころになると、「勉強したいから」と言いさえすれば、家の手伝いをしなくても、夜更かしをしていても、たいていのことは許されるようになっていた。


 もちろん勉強なんて、ただの方便だ。

 実際は、優等生の仮面に容易くだまされる大人たちを嘲笑うかのように、夜中にこっそり自傷行為に耽っていたのだ。

「リスカ」という呼び方も、まだない頃のことだった。



 家族がすっかり寝静まった静寂の中、見えない何かに突き動かされるように、隠し持っていたカミソリを、こっそり手首に押し当てた。


 何度も痛みを重ねるうちに、傷は少しずつ深くなっていく。

 やがて皮膚が裂け、赤い血が流れる。


 癒されるような、解き放たれるような、不思議な感覚。

 腕を伝ってゆっくり流れていく血を、ぼんやりと見ている間だけは、夢見るように苦しみを忘れていられた。



 一度その味を覚えてからは、寂しさや怒りを感じるたびに、知らずカミソリに手が伸びた。胸に渦巻くはちきれそうな負の感情を、他にどう扱ったらいいのかわからなかったのだ。

 そのくせどこかひどく冷静で、誰にもばれることのないように、切る場所や深さに細心の注意を払ってもいた。




 本当は睡眠薬も手に入れたかったが、当時の田舎の中学生には、その術が見つからなかった。

 それで代わりに、家にあった鎮痛剤を大量に飲んだ。


 ネットも普及していない時代。

 それがどれくらい危険な行為なのかは、確かめようがなかった。が、運がよければ、恐怖を感じることもなく逝けるかもしれない。そんなかすかな期待を抱いて、水と一緒に白い錠剤を必死で飲み込んだ。


 しばらくすると、地べたに叩きつけられるような、ひどいめまいが襲ってきた。奈落の底に引きずり込まれそうな、耐えがたい感覚。

 ひとり布団の上で、一晩中もがき苦しんだ。


 翌朝の気分は最悪で、体はふらつき、出るのは冷や汗と生あくびばかり。

 たぶん、ひどい顔色をしていたと思う。

 それでも、母にだけは決して弱みを見せたくなくて、必死にいつも通りに振舞った。

「食欲ないから朝ご飯はいらない」

 と言うと、母は、

「そうか」

 と言っただけ。それ以上追及されることも、鎮痛剤が一箱丸々なくなっているのに気付かれることもなかった。


 タバコを食べると死ぬらしいと聞けば、それも試した。

 このときは、一晩中トイレで吐き続けた。

 けれどやはり死ねないままに朝を迎え、悪寒に震える体で学校に向かった。



 何度となくそんなことを繰り返しながらも、わたしは学校を休まなかった。

 決して学校が好きなわけではなかったが、それでも家にいるよりは、遥かにましだと思えた。


 それに万が一、わたしがやっていることを母に気づかれたら、何を言われるかわからない。


 心の中の、一番柔らかで傷つきやすい大切な部分。

 母はいつだって、それを土足で無神経に踏みにじっていく。


 だからわたしは、固く決意していた。

 親に知られるときは、本当に死ぬ時だけだ、と。




 登校しても机に突っ伏して動けずにいるわたしに、夜中まで勉強して寝不足なのだと思い込んだ担任はいつも、「そんなに根を詰めるな」と、的外れのいたわりの言葉をかけてきた。

 親も教師もクラスメートも、おそらくそう信じ込んでいたはずだ。


 それでいい、みんな、そう思っていればいい。



 が、そんな中でただひとり、マリコだけは、わたしがそうやって自分を虐め続けていることを、感じとってくれていた。「助けて」と声に出すことがどうしてもできなかったわたしの、歪んで掠れたSOSは、彼女だけには届いていたのだ。


 わたしが保健室に連れて行かれるたびに、彼女は隣のクラスからわざわざ様子を見に来てくれた。


「どうした?」

 心配そうに覗き込むマリコ。

 いつも軽口ばかり叩いている彼女が、この時ばかりは真剣で、ひどく胸を痛めてくれているのがしんしんと伝わってくる。

 そんな彼女の前でだけは、素のままの弱い自分が、ポロリと顔を出した。

「……タバコ、食べたけど、死ななくてさ」

 精一杯、何でもないことのようにつぶやいてみる。


 わたしが自分を傷つけていることを知ると、マリコはいつも、怒ったような泣いているような顔で、わたしのおでこをコツンと叩いた。


「馬鹿」


 そんなときの彼女の声は、とても温かくて。

 わたしはようやく、どうしようもないくらい寂しかった自分に気づくのだった。




 もしかしたら、その一瞬のためだけに、わたしは自分を虐め続けていたのかもしれない。

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