がらんどうの寂しさ
小四のとき、食品メーカーに勤めていた叔父が、結婚した。
叔父と一緒にわが家にあいさつにきたお相手の女性は、きちんと控えめなお化粧をして、ほっそりした体にカナリアみたいなきれいな色のセーターを着ていた。
ふんわりとカールさせた長い髪からは、それまで嗅いだことのないような、いい匂いがした。
「冬子ちゃん? どうぞ、よろしくね」
うっすらと紅をひいた唇からこぼれる、柔らかく優しげな声。
人が好さそうに下がった目尻。
それまでわたしの周りにいた女性たちは、母を筆頭として、化粧なんてほとんどしないガサツな農家のオバさんたちばかりだったから、生まれて初めて「きれいなおんなのひと」に出会ったわたしは、思わずポーッと舞い上がってしまった。
そして、叔父夫婦がうちから自転車で10分ほどの場所に家を建てると、たちまち足繁く通い始めたのだった。
叔母はいつでも、ニコニコと笑って迎えてくれた。
遊ぶものがなくて、退屈じゃない?
遠慮しないで、お菓子いっぱい食べてね。
冬子ちゃんがいるなら、夕飯はカレーにしましょうか。
二人きりの家の中、叔母はわたしを細やかに気遣い、目が合えば必ず笑いかけてくれた。
たったそれだけのことなのに、愛情に飢えていたわたしは、天にも昇る気持ちになった。
おまけに叔父の家は、古くて暗くて重苦しいわが家とは違って、何もかもが都会的で小奇麗だった。
部屋は隅々までセンス良く整えられ、庭に目をやれば、たくさんの薔薇の花が揺れている。
わたしはソファーに座り、クッキーを食べながら、ゆったりと流行歌のレコードを聴いた。
毎日、放課後が待ち遠しくてたまらかった。
あんまり頻繁に行くものだから、母も呆れて、
「そんなに行ったら、向こうだって迷惑だろ」
そう言って止めようとした。
が、わたしはまったく聞く耳を持たなかった。
「だって、また来てねって言ってたもん」
そう言ってせっせと通い続け、まるで明かりに吸い寄せられる蛾みたいに、柔らかくて温かい叔母との時間にのめり込んだ。
家に帰っても、待っているのは母の仏頂面と耳障りな小言ばかり。そう思うとよけいに帰りたくなくなった。でも、どんなに願ったところで、わたしの居場所は結局あの家しかなくて。
帰り道はいつも、どうしてわたしは叔父さんちの子じゃないんだろう、とひとり嘆いてはため息をついた。
が、そんな日々も長くは続かなかった。
叔母に、赤ちゃんができたのだ。
お腹がどんどんせり出して、腰を叩いてフーフー言いながら草むしりをしていた叔母は、その数ヵ月後、叔父と連れだってわが家を訪れた。
小さな赤ちゃんを、壊れやすい大切な宝物みたいにそっと抱っこして。
父も母も、その場にいた誰もがその赤ん坊を見てとろけそうな笑顔を浮かべた。
叔母はもちろん、いつものように、わたしに笑いかけてくれた。
が、いつもと違ったのは、すぐに視線を手の中のわが子に戻し、次の瞬間、ふわっと花が開くような微笑みを浮かべたことだった。
あ。
その瞬間、わたしは静かに悟った。
この子以上に自分が愛されることは、もう決してないのだ、と。
わたしは、パタリと叔父の家に行くことをやめた。
大人たちは、そのことを少しも気に留めていないようだった。
おそらく、赤ちゃんの世話で大変な叔母に、わたしが遠慮しているとでも思ったのだろう。
わたしは幼い胸の中で、たったひとつの温もりを失ったがらんどうの寂しさを、絶望の形のままに、ひっそりと凍らせていった。
そして、心のずっと奥深くに、しっかりと仕舞い込んだ。
だって、本当の気持ちなんて、決して口に出してはいけないのだから。