母との確執
母は、ブルドーザーみたいな人だった。
たくましくて、力強くて、正直で、そして――あきれるほど無神経で。
今なら、わかる。
あの家で生きていくためには、何もかもをなぎ倒すほどの強靭さが、どうしても必要だったこと。
けれどそれはまた、柔らかな幼い心に傷をつけるには、充分すぎる凶器であったことも。
人には、とりわけ小さな子どもには、理屈抜きでひたすら優しく温かく包んでもらうことが必要なときがある。
おそらく母には、そういうものを感じとるセンサーが、まったく備わっていなかったのだ。
トクゾウじいちゃんばかりでなく、母もまたひどくデリカシーに欠け、いつもどこかポイントがずれている人だったのだ、と思う。
わたしは、小さなころから滅多に病気をしない丈夫な子どもだった。
が、あるとき、めずらしく風邪で熱を出した。
あれ、冬子の顔が赤いと気づいた姉が、おでこに手をあてる。
驚いたような母の顔。
すぐさま敷かれた布団に、火照った体を横たえた。
いつもと違う「特別扱い」に、どこかウキウキとしながら。
そのままうつらうつらとしていると、夕方、畑から戻った母が様子を見に来てくれた。
ほのかな甘さが、胸に広がる。
熱で潤んだわたしの瞳を、ぐいっとのぞき込む母。
が、次に聞こえてきたのは――
「まだ治んねえのかっ。まったく、しょうがねえな」
吐き捨てるような母の言葉に、浮かれ気分は凍りつき、小さな胸は一気にしぼんだ。
母はいつだってそんなふうに、わたしがおずおずと伸ばそうとする手を、いとも簡単に払いのけた。
そんなことが何度となく繰り返され、わたしは次第に、母にだけは決して弱みを見せまいとする、ひねた子どもになっていった。
だから、転んで膝から血が流れても、カッターで指先をうっかり切ってしまったときも、こっそり自分で手当てした。
そういうとき母は、まるで勝ち誇ったかのような顔になる。
「なんだ、そのくらいの傷。ほーれ、母ちゃんなんか、こんなに深く切ったんだぞ」
嬉しそうにそう言って、包丁でざっくりやってしまった自分の傷口を、わざわざ広げて見せつける。
まるで、どっちがすごいか競い合う子どもみたいに。
優しくないのは、自分の子どもに対してだけじゃない。
家に遊びに来た友達が、庭で転んで血を流していても、決してその場で手当てをしようとはしなかった。
「絆創膏だって、ただじゃねえんだ。もったいないから、そのまま帰ってもらえ」
え?
だって、この子、うちの庭でケガしたんだよ?
痛いって、目の前で泣いてるんだよ。
うちの母はちょっとおかしいと、その時初めて、はっきりと感じた。
考えてみれば、母に抱きしめられた記憶など、ない。
大丈夫か? と優しい言葉をかけられたことも。
母という人間と、そういったぬくもりや安心感というものは、わたしの中でまったく結びつかないものになっていた。
それでも幼い頃はまだ、自分が感じていることをどう言葉にしていいかわからなかったから、ただ黙って言う通りにするよりほかなかった。
が、思春期を迎え、口も充分達者になると、わたしは母に猛烈に反発し始めた。
母のやること成すこと何もかもが、ひどく的外れで思いやりに欠けている気がして仕方なかったのだ。
母は母で、わたしの言動にいちいち細かく口を出してくる。
一触即発、ささいなきっかけで毎日のように言い争い、そのたび父は「おまえらはそっくりだ、どっちも相手の言うことを聞こうとしない」とたしなめる。
わたしと母は口をそろえて叫ぶ。
「そんなことない!」と。
母は時折わたしをにらみながら、尖った声で言い放つ。
「おまえは、可愛げがなくなった。昔は素直でいい子だったのに」
やっぱり、なんにもわかってない。
いい子だったわけじゃない、あんたがおかしいと、まだわかってなかっただけだ!
行き場のない怒りと、居場所のない孤独感。
そこから逃れるように、わたしは空想の世界にのめりこみ、心の中に美しくて優しい理想の母親像をうっとりと想い描いた。
そして、虚構の母の温かい胸に抱きしめられて泣きじゃくることばかり夢に見る、ひどくこじれた少女時代を送ったのだった。