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備忘録1 生きにくさの根っこ  作者: 小日向冬子
わたしを形作るもの
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たぬき先生

 小三のときの担任は、若い男の先生だった。

 みんなを笑わせるのがとてもうまくて、目がくりくりっとしてて、ちょぴり太めで、ついたあだ名が「たぬき先生」。


 当時わたしは「さっちゃん」と新聞係をやっていた。さっちゃんは、アーモンド形の大きな目をした、色白で可愛い女の子。放課後二人で教室に残って、ワイワイ言いながら記事やイラストを書いた。印刷は自分たちだけではできないので、たぬき先生にお願いして三人で作業した。


 仲良しのさっちゃんと面白くて優しいたぬき先生と、あれこれ意見を出し合い、ときに腹を抱えて笑い転げながら過ごす楽しい時間。

 このままずっと続いてほしい、強くそう願った。



 あっという間に一年が過ぎ、わたしたちは四年生になった。

 たぬき先生は、またこの学年で担任をもつという。


 始業式の日、ドキドキしながら、貼りだされた名簿を目で辿った。

 どうか、さっちゃんもわたしも、先生のクラスに入ってますように。また今年も楽しい時を過ごせますように。


 けれども――。


 ない。


 何度繰り返し見ても、わたしの名はそこになかった。




 あったのは――さっちゃんの名前。



 世界から音が消えた気がした。


 そうか。

 たぬき先生はさっちゃんを、さっちゃんだけを、選んだんだ。




 もちろん、そんなことじゃないと、今のわたしは知っている。

 あのときだって、頭ではわかっていた。


 でも。


 わたしは「感じて」しまったのだ。

「おまえは、いらない」と言われたんだって。


 とん、と心の真ん中に置かれた静かな寂しさが、ゆっくりと見えない根を張っていく。


 と同時に、わたしは固く口を閉ざした。

 そんなことを思っているなんて、言ってはいけない気がしたのだ。

 本当の気持ちは、決して口に出してはいけないのだ、と。




 いつもそうだった。

 積み重ねられた、ほんの些細なできごと。

 凍らせてきたありのままの感情。

 ボディーブローのように、あとから効いてくるダメージ。


 そんなことを繰り返すうち、いつしか意識に上るのは、迷い続ける理屈や混乱した思考ばかりになって。

 ほんとうの気持ちは何重にもくぐもって、自分でも触れることができなくなっていた。




 今になって、ようやく思う。


 あのとき、自分の中に確かにあった寂しさを、誰かに打ち明けることができていたら。

 そしてただ、寄り添ってもらえたら。


 いやそれ以前に、そんな話ができる関係を持っていたならば、わたしはこんな風になっていなかったに違いない。




 あのとき大人たちは、誰もわたしの中で起こっていることに気付かなかった。

 だから今、大人になったわたしが、置き去りになったままのあのときのわたしに会いに行く。


 地層のように深く積もった記憶から、取りこぼしてきた悲しみのカケラたちを、ひとつひとつと拾い集めて溶かしていこう。

 そうしたらきっと、新しい何かが見えてくるような気がするのだ。

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