たぬき先生
小三のときの担任は、若い男の先生だった。
みんなを笑わせるのがとてもうまくて、目がくりくりっとしてて、ちょぴり太めで、ついたあだ名が「たぬき先生」。
当時わたしは「さっちゃん」と新聞係をやっていた。さっちゃんは、アーモンド形の大きな目をした、色白で可愛い女の子。放課後二人で教室に残って、ワイワイ言いながら記事やイラストを書いた。印刷は自分たちだけではできないので、たぬき先生にお願いして三人で作業した。
仲良しのさっちゃんと面白くて優しいたぬき先生と、あれこれ意見を出し合い、ときに腹を抱えて笑い転げながら過ごす楽しい時間。
このままずっと続いてほしい、強くそう願った。
あっという間に一年が過ぎ、わたしたちは四年生になった。
たぬき先生は、またこの学年で担任をもつという。
始業式の日、ドキドキしながら、貼りだされた名簿を目で辿った。
どうか、さっちゃんもわたしも、先生のクラスに入ってますように。また今年も楽しい時を過ごせますように。
けれども――。
ない。
何度繰り返し見ても、わたしの名はそこになかった。
あったのは――さっちゃんの名前。
世界から音が消えた気がした。
そうか。
たぬき先生はさっちゃんを、さっちゃんだけを、選んだんだ。
もちろん、そんなことじゃないと、今のわたしは知っている。
あのときだって、頭ではわかっていた。
でも。
わたしは「感じて」しまったのだ。
「おまえは、いらない」と言われたんだって。
とん、と心の真ん中に置かれた静かな寂しさが、ゆっくりと見えない根を張っていく。
と同時に、わたしは固く口を閉ざした。
そんなことを思っているなんて、言ってはいけない気がしたのだ。
本当の気持ちは、決して口に出してはいけないのだ、と。
いつもそうだった。
積み重ねられた、ほんの些細なできごと。
凍らせてきたありのままの感情。
ボディーブローのように、あとから効いてくるダメージ。
そんなことを繰り返すうち、いつしか意識に上るのは、迷い続ける理屈や混乱した思考ばかりになって。
ほんとうの気持ちは何重にもくぐもって、自分でも触れることができなくなっていた。
今になって、ようやく思う。
あのとき、自分の中に確かにあった寂しさを、誰かに打ち明けることができていたら。
そしてただ、寄り添ってもらえたら。
いやそれ以前に、そんな話ができる関係を持っていたならば、わたしはこんな風になっていなかったに違いない。
あのとき大人たちは、誰もわたしの中で起こっていることに気付かなかった。
だから今、大人になったわたしが、置き去りになったままのあのときのわたしに会いに行く。
地層のように深く積もった記憶から、取りこぼしてきた悲しみのカケラたちを、ひとつひとつと拾い集めて溶かしていこう。
そうしたらきっと、新しい何かが見えてくるような気がするのだ。