第二章 3
「うむ。通ってよし」
人相書を確認して問題ないと判断したのか、門番の男が言った。
「……どうも」
町の入り口に構えられた巨大な石の門をくぐって、マヒルはタタラの町に入った。
せっかく町についたというのに、気分は最悪だった。
「信じられない。マジで信じられない、ありえないでしょ、走っていくとか」
文句を垂れるマヒル。その頭の中では、トヨヒサが逃げ出す後ろ姿がリピート再生されていた。竜狩りの民は義に厚いという話は、きっと彼らが自分に都合のいいように喧伝しまわったに違いない。もしくはトヨヒサという男だけがクソなのかもしれない。いやきっと、トヨヒサだけがクソ垂れのクソまみれのクソ野郎なのだ。今度会ったら、あのクソにクソを食わせてクソみたいな屈辱を与えてやる。
まあ、どちらにせよ。
「もういい。別にいいもん。こうなったら一人で行ってやる」
といいつつも、それが現実的な考えではないことはわかっていた。
追手のこともあるし、やはりボディーガードは必要なのだ。
それも、竜人と単身で戦えるような、とびっきり強い奴が。
(……やっぱ、トヨヒサぐらいじゃないと。というかあいつ、ここにいるのかな?)
周囲の建物はすでに夕焼け色に染まっている。もうすぐ夜がくるというのに、山を越えているとは思えない。ふつうの考えなら、町で一泊して、次の日に山を越えるはずだ。
(でもあいつ、ふつうじゃないしな……結構、頭弱そうだったし)
失礼なことを考えながら歩いていると、香ばしい匂いが鼻をくすぐった。
飯屋が目に入った。その店先の縁台で、一人の男が団子を食っている。串に刺さった緑色の蓬団子をほお張るたびに、男は幸せそうに目じりを下げていた。
ぎゅ~。
マヒルの腹が鳴る。
(そういえば、牢屋を出てから何も食べてないや……牢屋にいるときも最低限の食事しかもらえなかったし。……ヤバっ。すっごいお腹減ってきたんですけど)
しかし金はない。ふところの竜の牙はトヨヒサのボディーガード料金だから使えない。
こうなったら――手段は一つだ。
マヒルは男のそばに駆け寄り、
「おじさん!」
「へっ?」
縁台にすわる男が、不思議そうな顔でマヒルを見た。
そんな男に対して、マヒルは合掌する。
「おねがいがあるの。お団子、一つだけでいいから、ちょうだい!」
「は? いや、ダメだよ」
「おねがい……ほんとう……もう……一つだけでいいから」
マヒルは誇りや尊厳を捨てて、男の前にひざまずいた。
そして同情心を誘おうと、なんとか目をうるませようとするが――うまくいかずにくしゃみが出そうで出ないような顔になっていた。
そんな不憫なマヒルに、周囲の人が哀れみの目を向ける。自然と彼女をひざまずかせる男にも注目が集まる。何もしていないのに、非難の目を向けられる男は、
「か、かんべんしてくれよ。わかったから、ほら」
皿にのった串団子を一つ、差し出した。
目をかがやかせて、マヒルはそれを受け取る。
「ありがとうおじさん!」
「ひざについた土、ちゃんと払いなよ」
「うん!」
串団子を手にマヒルはその場をあとにした。歩きながら、さっそく串に刺さった団子の一つを食らう。口の中に蓬の風味が広がり、かつてない幸福感に満たされる。
(生きているって……最高ね)
なんて町中を練り歩きながら、マヒルがほほをほころばせているときだった。
「ちくしょう!」
近くから、怒声が飛んできた。
(なになに? ちょっと、なになに?)
野次馬根性がうずき、声がしたほうに近づいてみる。
建物と建物の間、裏通りにつづく脇道に、五人組の男がたむろっていた。怪我をしているのか、全員がひたいに脂汗をかき、ほほや脇腹などを手で押さえている。
「どうするんだよ、マジで。このままじゃ帰れないって」
「金を取り戻すしかないだろっ」
「あいつから? おれ、やだよ。だってあいつ、むちゃくちゃつええじゃんか」
「しかもさ、腰のでっかい野太刀、あれ斬竜刀だろ? ってことはあいつ、竜狩りの民とかじゃねえの? しゃべり方も田舎臭かったし。気狂いの戦士とか、やべえって……」
「でもこのまま、おめおめと帰ってみろ? 俺らが土に埋められるぞ」
自分たちの末路を想像したのか、五人組は一斉に沈黙し、うなだれた。
話から察するに、男たちは竜狩りの民に金を巻き上げられたらしい。
(……絶対トヨヒサだ)
マヒルには妙な確信があった。敵が手を出せないとわかっていて自分を平然と盾にしたり、見捨てて逃げたりしたりと、あの男の行動は常に道徳を無視している。
金がないから、別のやつから巻き上げる、くらいはやるはず、いや、絶対にやる。
マヒルは、串団子を見下ろす。
それは、羞恥心と人間としての大切な何かを捨ててようやく手に入れた代物だった。
方や頭を下げて団子一つ。
方や傍若無人に振舞って大金。
これを理不尽といわずして、何を理不尽と呼ぶのか。
目じりを吊り上げて、マヒルは串に刺さった残り三個の団子を乱暴に食らう。
(許せない……っ! なんてやつなの! あたしはこんなに苦労してるのに……とりあえず、トヨヒサのやつはまだ町にはいるみたいね。早く見つけて文句言わなきゃ。あの人たちなら居場所を知っているみたいだし、聞いてみようっと。ちょっと怖そうだけど、きっとわけを話せば……被害者同士、仲良くなれるでしょ)
脇道で意気消沈する五人組に、マヒルはフレンドリーな笑顔を浮かべて近づく。
「どうもー、こんばんはっ」
五人組が、一斉に顔を上げた。
「なんだ、おまえ。裏通り行きたいなら、別の場所を通れ。今は俺たちの貸切だ」
「そうじゃなくて、今、言っていた竜狩りの男ってどこにいるかわかる?」
「……おまえ、あいつの知り合いか」
途端に男たちの瞳に、ぎらついた光が灯った。
「ちょちょちょ、ちょっとまったっ。あたしもあなたたちと同じで被害者なのっ」
「なに?」
パチンと指を鳴らしてから、マヒルは意気揚々と語り出す。
「聞いてくださいよ、ちょっと、ほんとうね、あいつひどいやつなのよ。あたしね、訳あって一人旅をしているんだけど、ほら、野党とか竜とか怖いじゃない? だからボディーガードを雇おうと思ってその男にたのんだら、なんと全力疾走して逃げやがったのよ! 信じられない! ほんっと、ありえないっしょ! どう思う?」
「おまえ、いくつだ?」
予想外の質問だった。
間抜けな顔になるマヒル。
「へ? え、十歳だけど」
「その髪と耳と目、西方系の血を引いているんだな」
「らしいわね。親は誰か知らないけどね」
「さっき、一人旅って言ってたよな」
「うん、そうだけど……」
「そうか。そりゃちょうどよかった」
「え? いや、なにが?」
すると男たちが互いに目配せをしてから、腰を上げた。そして男の一人が、これでもかといわんばかりの笑顔で、マヒルに向かって手を差し伸べた。
「手を組もうじゃないか。一緒に、あの男に一泡吹かせてやろうぜ」
「お、おう! そうこなくっちゃねっ」
「実はあいつがどこにいるのか、もうわかってるんだ。一緒にくるか?」
「ほんと? いくいくっ」
男たちに手を引かれ、マヒルは表通りのほうに歩き出す。
果たしてトヨヒサは今、どこにいるのだろうか。
そして日が落ちた頃にたどり着いた場所は、横幅のある三階建ての建物だった。
周囲を堀で囲まれており、その堀を小橋がまたいでいる。壁は塗料によって血のように赤く、提灯の火などでライトアップされており、高級感あふれるたたずまいだった。
(あれ……ここって、あれ?)
嫌な予感が、汗となってマヒルのほほを伝った。今、にぎっている男の手が悪魔のそれに思えてきた。そして建物入り口にかかげられた看板を見て、予感は確信に変わった。
《遊郭・山田亭》
「あ、あたし急に用事を思い出したからこれで」
帰ろうとするが、男はつかんだ手を放してはくれない。
「そうはいかんよな、おじょうちゃん」
「俺たちは、あんたのお友だちにひどい目に合わされた」
「だったらその責任を、キミに負ってもらわなきゃねぇ」
「取られた分の金、銀貨四百枚分、きっちりと働いて返してもらうよ。西方系の血を引く子は、高く売れるし、指名がつきやすいんだ」
男に金髪、碧眼、とがった耳を指差され、マヒルの顔から血の気が引いた。
「いやーっ! ちょっと放してーっ! い――んんんっ!」
口を手でふさがれてしまった。通りかかる人は、凶行を見ない振りをしていた。
マヒルは知らないが、看板に山田亭と書かれている通り、ここはヤクザである山田組の本拠地で、誰も関わりあいになりたくないのだった。誰だって自分の命が大切なのだ。
(なんでこんなことになるのよ……クソ! もうなんなのよっ。誰か助けてよっ)
そのままマヒルは、のれんをくぐって、遊郭の中へと連れ込まれてしまった。